主文 本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中120日を原判決の刑に算入する。
 理由本件控訴の趣意は,弁護人斎藤隆弘(主任)作成の控訴趣意書および控訴趣意 補充書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。1 訴訟手続の法令違反の主張について
本件公訴事実の要旨は「山口県A市内のB会社に勤務していた被告人が, 同社の店舗兼事務所を焼損しようと企て,平成19年3月17日午後10時 55分ころ,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいないCら共有に係 る上記店舗兼事務所(木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建,床面積合計約180.7 8平方メートル)の1階事務所内において,火を放って同事務所の板壁や天 井に燃え移らせ,もって現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいない上 記建物を全焼させて焼損した」というのである。論旨は,被告人が,平成20年2月18日,山口地方裁判所平成20年(わ) 第119号,第133号,第186号建造物侵入,窃盗被告事件(以下,そ れぞれを「119号事件」「133号事件」「186号事件」ともいう)につ いて,懲役1年2月,3年間執行猶予の有罪判決を受け,その判決は同年3 月4日に確定しているところ,本件非現住建造物等放火は,119号事件の 建造物侵入,窃盗と公訴事実の同一性が認められ,上記確定判決の一事不再 理の効力が及んでいるから,本件については,刑事訴訟法337条1号によ り判決で免訴を言い渡すべきであるにもかかわらず,それをしなかった原判 決は,重大な法令解釈の違反をしており,この訴訟手続の法令違反が判決に 影響を及ぼすことは明らかである,というのである。所論にかんがみ記録を調査して検討するに,原判決の判断には一部是認で きない点があるものの,本件において免訴の言渡しをしなかった原判決に, 所論の訴訟手続の法令違反はない。以下付言する。(1) 記録によれば,原審の審理経過等は以下のとおりである。
ア 被告人は,平成19年6月29日,建造物侵入,窃盗被告事件で起訴 された。その公訴事実の要旨は「被告人は,正当な理由がないのに,平 成19年3月17日,B会社事務所内に侵入し,同所において,現金5 万円および商品券236枚ほか1点を窃取した」というのである(11 9号事件)。その後,被告人は,2件の窃盗被告事件(133号事件,1 86号事件)で起訴され,119号事件と併合審理されて,同年10月 30日までに公判期日が3回開かれた(以下,これらの事件を合わせて 「119号等事件」ともいう)。イ 被告人は,同年11月8日,本件非現住建造物等放火被告事件により 起訴された(以下,119号等事件のことを「前訴」,本件のことを「後 訴」ともいう)。同月16日,119号等事件について,合議体により 審理および裁判をする旨の決定がなされるとともに,119号等事件に 本件非現住建造物等放火被告事件が併合された。なお,前訴および後訴の弁護人は,同じ弁護人である。
ウ 同年12月26日の第4回公判期日において,弁護人が,119号等 事件と本件非現住建造物等放火被告事件とを分離して審理するよう請求 し,検察官は反対意見を述べたものの,原裁判所はその旨の弁論の分離 決定をした。そして,同期日において,本件非現住建造物等放火被告事件の審理が行われた。
エ 119号等事件は,上記1(1)イの合議体により審理および裁判をする旨の決定が取り消されて,別の裁判所によって審理された。平成20 年2月18日の公判期日において,検察官が,この事件を本件非現住建 造物等放火被告事件と併合して審理するよう請求したものの,弁護人が 反対意見を述べ,この弁論併合請求は却下されて,論告,弁論等の後, 被告人は,懲役1年2月,3年間執行猶予の有罪判決を言い渡された。
 そして,この判決は同年3月4日に確定した。オ 本件非現住建造物等放火被告事件については,上記1(1)イの後,5 回の公判期日が開かれ,この間に裁判長が交替したため公判手続が更新 され,同年7月11日の第9回公判期日において,論告,弁論等が行わ れて結審し,判決宣告期日が同年8月13日に指定された。その後,同 期日は,検察官の請求により同月26日に変更され,さらに,同月21 日,職権により取り消され,追って指定とされた。そして,同年9月2 日,弁論の再開決定がなされ,同年10月9日の第10回公判期日にお いて,一事不再理の効力に関し,補充の論告,弁論等が行われて,改め て結審し,同月31日,原判決が言い渡された。(2) ところで,下記2で説示するとおり,被告人は,本件当日,119号 事件の建造物侵入,窃盗(上記1(1)ア)を犯し,B会社(以下「会社」とも いう)の店舗兼事務所(以下「本件建物」ともいう)から出て,付近に止め てあった自動車に戻った後,すぐに本件建物内に立ち入ったことが認めら れる。そして,原判決は,以下のとおり説示して,本件は免訴とされるべ きではない旨判断した。すなわち,前訴および後訴の各訴因の間の公訴事 実の単一性の判断は,基本的には,前訴および後訴の各訴因のみを基準と して,これらを比較対照することにより行うのが相当である。初回侵入後 の退出時の被告人の挙動に格別変わった様子はなく,仮に放火の意図があるのであれば焼損させれば足りる手配書入りの段ボール箱を持ち出してい ることなどに照らせば,初回侵入時の放火行為はないと認められ,初回侵 入行為と本件放火行為とは牽連関係にない。そして,前訴の訴因は,窃盗 とその手段である初回侵入のみで構成され,本件訴因は,初回侵入とは手 段結果の関係にない放火であり,犯行の手段となった再侵入行為は,両訴 因を通じて訴訟手続に上程されていないから,公訴事実の単一性を判断す るに当たってこの事実を基礎とすることは相当でない。前訴に係る確定判 決の一事不再理の効力が本件に及ぶと解することはできず,本件は免訴と されるべきものではない,というのである。(3) しかし,以下に説示するとおり,原判決のこの判断をそのまま是認す ることはできない。下記2で説示するとおり,被告人は,単独で本件建物に2度侵入してお り,そのいずれかの際に放火行為に及んだことが認められるところ,たし かに,本件の事実経過等にかんがみると,原判決の説示するとおり,被告 人が,本件建物に再侵入した際に放火行為に及んだと考える方が自然であ り,その可能性も高いと考えられないではない。しかし,被告人が,本件建物に1回目に侵入した際,窃盗だけでなく放 火行為にも及び,自動車に戻った後,首尾よく火が燃えているのかを確認 するために本件建物に再侵入したという可能性がないとはいえない。後述 のとおり,被告人は,本件建物に再侵入しただけでなく,その直後,同建 物に3度目の侵入をしており,その際被告人に同行したDが目撃した炎の 高さは,約1.2または約1.5メートルであったというのである。この程 度の高さまで炎が上がるのに要する時間が分かれば,1回目と2回目のい ずれの侵入時に放火行為に及んだのかを確定できる可能性はあるものの,そのような証拠の裏付けがない本件においては,原判決が指摘する事情だ けから,被告人が,本件建物に再侵入した際に放火したとまで認定するの は困難である。原判決が,初回侵入時の放火行為はない旨認定したのは, 事実を誤認したものといわざるを得ない。もっとも,以下に説示するとおり,本件については免訴を言い渡すべき ではないから,この誤りは判決に影響を及ぼすものではない。なお,上記のとおり,被告人が放火した時期を証拠上特定することはで きないものの,本件につき免訴を言い渡すべきか否かを検討するに当たっ ては,被告人に有利に,被告人が,本件建物に1回目に侵入した際に放火 したことを前提として検討する。(4) 刑事訴訟法337条1号は,「確定判決を経たとき」には,判決で免 訴の言渡しをしなければならないと定めており,この確定判決の一事不再 理の効力は,前訴の公訴事実の同一性の範囲内の事実に及ぶものと解され ている。前訴の119号事件の建造物侵入,窃盗の訴因(以下,この訴因 については「119号事件」の表示を省略する)と後訴の本件非現住建造 物等放火の訴因とを比較対照すると,犯行日および犯行場所が同一である 両訴因が一罪ではないかという疑問が生じるのであり,それを契機として, 関係証拠にも照らし実体的に判断するに,前訴の建造物侵入は,前訴の窃 盗および後訴の非現住建造物等放火の手段であり,前訴の窃盗および後訴 の非現住建造物等放火は,前訴の建造物侵入の結果であるという関係にあ るということになる。そうすると,これらの両訴因が,前訴の建造物侵入 をいわゆるかすがいとして一罪の関係にあり,公訴事実の同一性が認めら れることは,所論の指摘するとおりである。しかし,本件の審理経過等をみると,前訴である119号等事件と後訴である本件非現住建造物等放火被告事件とは,もともと弁論が併合されて いたにもかかわらず,弁護人の請求により,原裁判所が弁論を分離し,そ の後の前訴の審理においても,検察官の弁論併合請求が却下されたため, 両者は別々に審理されて判決を言い渡されたという経緯がある。弁護人は, 弁論の分離を請求して以後,一貫して,両者の弁論を分離して別々に審理 することを求めていたのであるから,その時点では,両者を分離し,その それぞれについて審理がなされて判決が言い渡されることを当然の前提と していたと考えられる。そして,本件非現住建造物等放火被告事件の公判 手続更新の状況や,第9回公判期日における弁論の内容,弁論再開後の第 10回公判期日において,初めて一事不再理の効力に関する当事者の意見 が述べられていることなどに照らすと,弁護人は,本件非現住建造物等放 火被告事件について,判決で有罪無罪の判断が示されることを求めていた のであって,119号等事件との弁論の分離を請求した時点においてはも とより,第9回公判期日において弁論が終結された時点においても,一事 不再理の効力を主張して免訴を求めることを全く考えていなかったことは 明らかである。それにもかかわらず,前訴につき言い渡された有罪判決が 先に確定したからといって,後訴において,前訴の確定判決の一事不再理 の効力を主張して免訴を求めるのは,権利の濫用というほかなく,弁論の 分離を請求した弁護人の意図がどのようなものであったかにかかわらず, 刑事訴訟規則1条2項の法意に照らし許されないというべきである。加えて,前訴の窃盗の訴因と後訴の非現住建造物等放火の訴因とは,か すがいである前訴の建造物侵入の訴因を介しなければ,本来的には併合罪 の関係にあり,前訴の建造物侵入の訴因と後訴の非現住建造物等放火の訴 因とは,牽連犯として科刑上一罪の関係にあるものの,本来的には別罪であること,一事不再理の効力が前訴の公訴事実の同一性の範囲内の事実に 及ぶと解されている法的根拠については,前訴の公訴事実の同一性の範囲 で,潜在的に審判の可能性があったことや被告人が危険にさらされたこと に求める見解が有力であるが,いずれの見地に立って検討しても,上記の とおり,弁護人が,前訴の建造物侵入,窃盗の訴因と後訴の非現住建造物 等放火の訴因とを分離して別々に審理し,判決の言渡しを受ける途を敢え て選択したことなど,本件の事実関係の下では,両訴因が公訴事実の同一 性の範囲内にあったとしても,実質的にみて,前訴の確定判決の一事不再 理の効力を後訴に及ぼすべき場面であると解することはできない。以上の事情を総合勘案すると,本件の事実関係の下では,前訴の有罪判 決が確定したとしても,刑事訴訟法337条1号にいう「確定判決を経た とき」には該当せず,前訴の確定判決の一事不再理の効力は,後訴である 本件には及ばないと解するのが相当である。したがって,本件について免訴の判決をすべきではない。論旨は理由が ない。2 事実誤認の主張について 論旨は,被告人が,平成19年3月17日午後10時55分ころ,現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいないCほか1名所有のB会社の店舗兼 事務所(木造亜鉛メッキ鋼板葺2階建,床面積合計約180.78平方メート ル)を焼損しようと考えて,その1階事務所内において,火を放って同事務 所の板壁や天井に燃え移らせ,もって現に人が住居に使用せず,かつ,現に 人がいない本件建物を全焼させて焼損した旨認定した原判決について,被告 人は放火をしていないし,原判決が依拠したDの公判供述を信用することは できず,犯罪の証明がなされていないから,無罪の判決を言い渡すべきであるにもかかわらず,被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすこ とが明らかな事実の誤認があるというのである。所論にかんがみ記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せ検 討するに,原判決の事実認定は,その補足説明の項(以下「補足説明」とい う)において認定説示するところも含めて,おおむね正当として是認できる。 原判決に所論の事実誤認はない。以下付言する(以下,証拠に付したかっこ 内の甲乙または当審弁の各数字は,原審検察官請求証拠番号または当審弁護 人請求証拠番号である)。(1) 関係証拠によれば,補足説明第3の1(1)ないし(5)の事実が認められ るほか,以下の事実が認められる(推認できる事実を含む。原判決の認定 事実を一部重複して示す)。ア 被告人は,平成17年10月,進物用品物品等の販売等を目的とするB会社に従業員として就職し,売場を担当して,接客,商品販売,レジ 打ち等をしていたところ,入社後しばらくして,同社の経理が杜撰であ ることに目をつけ,売上金や商品券を着服するなどの不正行為をするよ うになった。イ 会社の経理を担当するEが帳簿等を調査した結果,被告人による不正 行為が多数あることが発覚し,平成19年3月16日,会社において, 同社の従業員Fは,当時明らかになっていた不正行為3件について,被 告人に対し,入金伝票と手配書を示し,レジに入金がないとして追及し たところ,被告人は,不正行為をしたことを認めなかった。被告人は, 退社時刻ころ,会社の社長であるCに対し,退職する意向を伝え,その 際,同人からも不正行為について色々質問されたのに対し,すべて分か らない旨答えた。被告人は,Cから「辞めたらいけないよ。明日から一緒になって解明していこうや」などと言われた。 なお,被告人の不正行為の証拠となるのは,手配書,入金伝票,レジのジャーナル,領収書等のほか,Eが使用するパソコンに入力された会 社の経理に関するデータであり,被告人は,そのことを知っていたと推 認できる。そして,手配書の入った段ボール箱が,本件建物1階東側部 分の事務所の出入口付近に置かれていたのを除いて,これらの証拠資料 は,事務所のEまたはFの机か,その付近に置かれていた。ウ 被告人は,同日夜,祖父と実父に対し,会社で不正行為をしたと疑わ れ追及されたことを伝えた。そして,祖父が,会社の営業部長と電話で 話をした後,祖父と実父から,会社を辞めるよう促された。エ 本件当日である翌17日,被告人は,会社を欠勤した。そして,被告 人は,当時交際していたDに対し,会社で売上金の着服を疑われている ことを告げ,会社に忘れ物を取りに行きたいと言って,同人の運転する 自動車で会社まで連れて行ってもらい,同日午後10時30分の前ころ, 同車にDを残して1人で本件建物に向かった。被告人は,本件建物の南 側倉庫に置かれている鍵を使って本件建物内に侵入し,本件建物内を物 色し,2階にあった釣り銭用の現金5万円の入った缶,商品券236枚, ゲーム機セット1式を紙袋に入れて持ち,会社事務所1階出入口付近に 置かれていた手配書の入った段ボール箱を抱えてDの自動車に戻り,こ れらを窃取した。(2) Dは,原審公判で,被告人とともに会社に赴いた際の被告人の行動や, 会社事務所内の2か所から炎が上がっているのを目撃した状況等につい て,補足説明第3の2(1)アないしクのとおり供述するほか,同カおよび クに関し,下記2(2)アおよびイの認定事実に沿う供述もしている。そして,これらの供述は,補足説明第3の2(2)アないしウで説示するところ を総合すると,信用することができ,関係証拠も総合すると,以下の事実 が認められる。これに対し,被告人作成の書面(当審弁護人請求証拠番号 2)には,被告人が,本件建物に侵入して窃盗をした後,Dと一緒に立ち 入ったほかは,本件建物に再度侵入したことはない旨記載されているとこ ろ,これは到底信用できない。ア Dは,被告人とともに本件建物を離れた後,その運転する自動車の後 部座席に被告人を乗せて,国道H号線に出た。被告人は,会社の従業員 であるGの指示を仰ぐとして,同人に携帯電話をかけているように装っ た後,Dに対し,Gから,その場から逃げろ,今夜本件建物にいたこと を言ってはいけない,119番通報しろ,携帯電話の発着信の履歴を消 しておけなどと指示された旨告げ,さらに,携帯電話で119番通報し ているように装った。しかし,被告人は,これらの電話を実際にはかけ ていない。また,被告人は,Dから高速道路に乗ることを告げられた後, Gに携帯電話をかけているように装って,Dに対し,Gから料金所を通 過するときには隠れておくように指示された旨告げ,料金所を通過する 際,実際に後部座席で伏せていた。イ 被告人は,本件当日,帰宅後の午後11時39分ころ,Dに電話をか けた際,同人に対し,今日のことを人に言わないように口止めをしたほ か,被告人が高速道路の料金所を通過する際伏せたことに関し,もし誰 か女と乗っていたということになれば,Dが浮気をして別の女と一緒に いたということにしようなどと言った。(3) 上記2(1)の認定事実のほか,信用できるDの公判供述等関係証拠によ って認定できる以下の事実を総合勘案すれば,被告人が,本件建物に放火したことは,優に認めることができる。
ア 本件建物を全焼させた火災(以下「本件火災」という)が発生したのは,人気のない夜間であり,会社事務所内の2か所の離れた場所から,しか も,出火の原因となるようなものが格別見当たらないにもかかわらず, 炎が上がっていたのであるから,漏電等により出火したとは考えられず, 出火原因は放火以外には考え難い。本件火災は放火によるものであると 推認するのが合理的である。イ 被告人は,本件の前日,多数の不正行為が発覚して,会社を辞めるこ とになり,損害賠償はもちろんのこと,刑事責任をも追及されかねない 立場にあったものである。そして,本件火災の直前に不正行為の証拠と なる手配書を窃取したものの,上記2(1)イのとおり,会社事務所内に は,それ以外にも不正行為の証拠となる資料が多数存在しており,特に データが保存されたEのパソコンを持ち出すことは容易でないし,これ らの証拠資料をすべて持ち出せば,その犯人が被告人であることは容易 に発覚するような状況であったことにも照らすと,被告人は,自らの不 正行為の証拠を隠滅する目的で,本件建物に放火する強い動機を有して いたということができる。ウ Dの目撃した会社事務所内で炎が上がっていた2か所は,EまたはF の机の近辺であり,いずれも被告人の不正行為の証拠資料が存在してい た場所の近くである。エ 被告人は,本件火災が発生する直前,少なくとも20分程度は本件建 物内にいたのであり,本件建物に放火する十分な機会を有していた。手 配書等を窃取してDの自動車に戻ってきた際の被告人の言動等に照らす と,被告人が放火したのでない限り,この時点までに何者かが放火行為をしたとは考え難い。被告人以外の人物が,本件建物内にいる被告人お よび本件建物付近で見張りをしていたDに気づかれずに,本件建物に侵 入して放火する機会は,ほぼ皆無であるといってよく,被告人が手配書 等を窃取して本件建物を出てから,被告人とDが本件建物に入るまでの 間は,ごくわずかな時間でしかないと認められることに照らすと,被告 人以外の人物が放火した可能性は極めて低いというべきである。オ 被告人は,本件火災の発生後,会社事務所内で炎が上がっているのを 目撃したDが消火活動をしようとするのを制止したり,会社従業員であ るGに電話をかけたように装い,同人からの指示と称して,Dに対する 口止め工作としか考えられないことを言ったり,119番通報したよう に装ったり,高速道路の料金所を通過する際に後部座席で伏せたりする など,被告人が本件放火に関与したのでない限り,説明することが困難 な極めて不自然な行動をとっている。(4) 所論は,1Dが,建造物侵入・窃盗の共犯であるのに逮捕起訴されて いないのは,同人が,訴追側に有利な供述をして,有利な取り計らいを受 けた事実を推認させるほか,被告人と交際していたDが,被告人に窃盗の 疑いをかけた会社に対する怨恨から放火した可能性も十分考えられ,Dに は虚偽の供述をする動機がある,2Dの供述する出火箇所と,その付近の 客観的な焼損状況とが矛盾している,3Dが,消火活動を行わずに現場を 立ち去ったり,現場から直ちに逃走せず,国道H号線を往復して本件建物 の様子を窺ったりしたのは,放火犯人の行動と一致する極めて不自然な行 動であるなどとして,Dが本件放火の真犯人である可能性があり,同人の 公判供述を信用することはできない旨主張する。しかし,上記1については,Dは,被告人から,忘れ物を取りに行きたいと告げられていたに過ぎず,建造物侵入についてはともかく,窃盗の共 犯であるとは認められないから,Dが刑事処分を受けなかったとしても不 自然ではない。また,Dが,交際相手である被告人に窃盗の疑いをかけた 会社に対して立腹していたということは,十分考えられるものの,そうで あるからといって,本件建物に放火したというのは論理に飛躍があり,そ もそも,本件の事実経過に照らし,Dが,被告人に相談もしないで,被告 人に気づかれないように放火したとは到底考えられない。上記2については,たしかに,所論指摘のとおり,Dが供述する出火箇 所のうち,Fの机の西側にあるカラーボックス付近は,最も激しく焼損し ていた場所(Fの机付近〔甲18の実況見分調書謄本添付の焼損状況の見取図 No.6参照〕。以下「最燃焼場所」という)と異なっており,Eの机付近の床 には激しく燃焼した形跡がなく,窓枠も原形をとどめており,Eの机の北 側にあるパソコン台の北側に激しい燃焼の痕跡は残っていない。しかし,本件建物内の可燃物の分布や量,空気の流れや供給量等の条件 次第で,場所によって焼損の程度に差が生じたり,出火箇所と最も激しく 焼損した場所が一致しなかったりすることがあることは,経験則上明らか である。Fの机付近には,特に多量の可燃物が存在していた上,この付近 は,開放された掃出窓に面し,常に新鮮な空気(酸素)が供給される環境に あったことにかんがみると,この場所が最も激しく焼損し,最燃焼場所と 出火箇所とが一致しなかったとしても,不自然不合理ではない。また,実 況見分調書謄本(甲18)によれば,Eの机付近も相応に焼損していることが 認められ,原判決が説示するとおり,空気が対流して,掃出窓のある南側 から北側に火が燃え広がった状況のほか,Fの机付近と掃出窓から離れて いたEの机付近とでは,空気の供給量に決定的な差がある上,可燃物の量が大きく異なっていたことなどに照らすと,Eの机付近を出火箇所として も,その付近の焼損状況と矛盾しているとはいえない。したがって,Dの 供述する出火箇所が,その付近の客観的な焼損状況と矛盾しているとはい えない。上記3については,Dが,消火活動を行わなかったのは,被告人に制止 されたからであり,国道H号線を往復したのは,被告人がGから指示を仰 ぐとして同人と連絡をとっているように装ったためであるというのである から,いずれの行動も不自然であるとはいえない。所論は,Dの検察官調書の写し(当審弁1)によれば,この供述調書作成 時点において,Dは,被告人が段ボール箱を持って車に戻ってきたのが, 初回侵入のときか,再侵入のときか断言できていないにもかかわず,この 点につき断定的に供述したDの公判供述は信用できないとして,同人の公 判供述に基づき,被告人の本件建物への再侵入の事実を認定した原判決の 判断を論難する。しかし,Dの上記検察官調書の写しに記載された供述によっても,被告 人が本件建物に2回侵入したことが認められる。また,記録によれば,上 記検察官調書が作成されてからDの証人尋問が実施されるまでの間に9か 月が経過していることが認められ,この間に同人が記憶を喚起するという ことも十分あり得ることであるから,所論指摘の点は,Dの公判供述の信 用性に疑問を生じさせるものではない。(5) そのほか,所論が種々指摘するところを検討しても,原判決に所論の 事実誤認はない。論旨は理由がない。よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとし,当審にお ける未決勾留日数の算入につき刑法21条を適用して,主文のとおり判決する。平成21年4月28日 広島高等裁判所第1部
裁判長裁判官 楢 崎 康 英
裁判官森脇淳一および裁判官友重雅裕は,いずれも転補のため署名押印する ことができない。裁判長裁判官 楢 崎 康 英
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