主文 原判決を破棄する。
本件を広島地方裁判所に差し戻す。
 理由
検察官の控訴の趣意は検察官矢野敬一提出の検察官松田成作成の控訴趣意書及び 検察官矢野敬一作成の「控訴趣意書(補充)」と題する書面(同書面記載の訴訟手続 の法令違反の主張は,裁判所に対し職権調査を求める趣旨であると検察官は釈明し た)に,これに対する答弁は弁護人井上明彦(主任)及び同神原多恵連名作成の答弁 書に,被告人の控訴の趣意は弁護人井上明彦(主任)及び同神原多恵連名作成の控訴 趣意書及び「控訴趣意補充書1」と題する書面に,これに対する答弁は検察官矢野 敬一作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。検察官の控訴趣意は,被告人を無期懲役に処した原判決の量刑不当をいうもので あり,被告人の控訴趣意は,訴訟手続の法令違反,事実誤認,法令適用の誤り及び 量刑不当をいうものである(以下,当審弁護人らを「弁護人」といい,原審弁護人 らを「原審弁護人」というほか,単に「弁護人」ということがある)。1 訴訟手続の法令違反の主張について 弁護人は,原判示第2の強制わいせつ致死,殺人(以下「本件犯行」ともいう)について,1原審弁護人が,原審証人Aの供述の信用性を判定する上で不可欠な 証拠である死体解剖状況報告書及び捜査報告書を,刑事訴訟法328条の証拠と して取調請求したのに対し,原裁判所が,同法316条の32第1項のやむを得 ない事由によって公判前整理手続において請求することができなかったものでは ないとして,その請求を却下したのは法令に違反している,2原審第5回公判期 日において,検察官が訴因変更を請求したのは,刑事訴訟規則1条に違反してお り,権利の濫用であるにもかかわらず,原裁判所がその訴因変更を許可したのは, 法令に違反しているとして,これら訴訟手続の法令違反が,判決に影響を及ぼす ことは明らかであると主張する。なお,検察官は,控訴趣意書差出最終日経過後に差し出した「控訴趣意書(補 充)」と題する書面において,3ペルー共和国に対する捜査共助要請に基づき入 手した書類(以下「前歴関係証拠」という)を検察官が証拠調請求したのに対し, 原裁判所が刑事訴訟法316条の32所定のやむを得ない事由がないとして,そ の請求を却下したのは,同法条の解釈適用を誤った違法なものであり,その訴訟 手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから,裁判所による職 権調査を求める旨主張している。また,弁護人も,控訴趣意書差出最終日が経過した後に差し出した「控訴趣意 補充書1」と題する書面において,4上記1と同様の証拠として取調請求したA 作成の死体検案書について,原裁判所がその請求を却下したのは法令に違反する 旨主張しているところ,この主張も裁判所による職権調査を求めるものであると 解される。そこで,以下,上記12の主張についての検討と併せて,上記34の裁判所に よる職権調査を求める主張についても検討する。2 刑事訴訟法328条の証拠調請求却下の違法の主張について
(1) 記録によると,以下の事実が認められる。なお,原審の審理経過について,その概略を便宜この項で認定する。
ア 被告人は,平成17年12月21日,強制わいせつ致死,殺人,死体遺棄被告事件により起訴された。その公訴事実は,犯行場所が「B荘及びその付 近」とあるのを「B荘a号室の被告人方」とするほかは,原判示第2及び第 3の各事実と同じである。上記被告事件は,平成18年2月21日,公判前 整理手続に付された。そして,本件についての公判前整理手続期日は,同年 3月15日から同年5月12日までの間に8回開かれた。なお,被告人は, 同年3月16日,出入国管理及び難民認定法違反被告事件により追起訴され, この事件は上記強制わいせつ致死,殺人,死体遺棄被告事件の弁論と併合さ れた。イ 検察官は,同月10日,上記14のA作成の死体検案書,上記11の死体 解剖状況報告書及び捜査報告書(以下,これら3点の書証を合わせて「死体 検案書等」という)の証拠調べを請求し,第3回公判前整理手続期日におい て,A作成の鑑定書(以下「本件鑑定書」という)の証拠調べを請求した。原 審弁護人は,死体検案書等及び本件鑑定書について不同意の意見を述べた。
 そこで,検察官は,Aの証人尋問を請求し,第6回公判前整理手続期日にお いて,死体検案書等の証拠調請求を撤回した。原裁判所は,同年4月27日,第7回公判前整理手続期日を開くとともに, 本件につき同年5月15日から同月18日まで4日間連続した公判期日を指 定し,同公判前整理手続期日において,争点及び証拠の整理の結果の確認を し,第1回ないし第4回各公判期日における審理予定を定めた上,第5回公 判期日を同月19日に開くことを予定し,その期日における審理予定も定め たほか,同月22日と23日を予備日とし,同年6月9日に予定された第6 回公判期日に論告,弁論及び被告人の最終陳述を,同年7月4日に予定され た第7回公判期日に判決宣告をする旨の審理予定を定めた。その審理予定で は,同年5月16日の原審第2回公判期日において,A証人の尋問を行うと ともに本件鑑定書の採否を決定し,その採用決定があった場合には本件鑑定 書も取り調べることとされていた。また,原裁判所は,第7回公判前整理手続期日において公判前整理手続を 一旦終結したことが窺われるものの,同月12日,第8回公判前整理手続期 日が同日に指定されて開かれた。同期日では,同月15日の第1回公判期日 で取り調べることを決定していた検察官請求証人が出廷できなくなったこと から,別の証人の証拠調請求及びその採用決定等がなされるとともに,第1 回公判期日の審理予定の変更等が行われた。なお,第5回公判期日は,第4回公判期日において,予定された日が指定 され,第6回,第7回各公判期日も,順次その前の公判期日において,予定されたとおり指定された。そして,予定どおり,第6回公判期日においては 論告,弁論及び被告人の最終陳述が行われ,第7回公判期日には判決が言い 渡された。予備日として予定された同年5月22日と同月23日は公判が開 かれなかった。ウ A証人は,原審第2回公判期日において,要旨以下のとおり供述した(以 下「A証言」という)。すなわち,被害児の死因は,ひも状物または手指と いったもので頚部が圧迫されたということが一番考えられる。本件鑑定書に 「材質の比較的軟らかい手指等が頚部を圧迫したことによるものと推測さ れ」と記載しているところ,その材質の比較的軟らかいものと考えられる中 で一番自然なものは,被害児の頚部の蒼白帯として帯状のものが観察できた ことや,出血状況を考えると,手指であるといえる。手指を伸ばせば一つの 索条物と同じような状況になるので,それで絞めるということがあれば,こ れは正確な意味で扼死ということができる。そして,被害児の筋肉内出血等 の状況から見て,犯人は,右手か左手かは分からないが,手を広げた状態で, 人差指と親指をひものような形にして,首を前から突き上げるように強く1 回あるいは複数回押していると思う。本件鑑定書の中では絞殺という文言を 用いたところ,手を使った絞殺も,広い意味で絞殺であり,そしてもう少し 細かく言えば扼殺という形でよろしいかと思う。被害児の外子宮口の周囲に 点状出血が多数認められたところ,これは生活反応であって,被害児が生き ているときに生じたものであることは疑いがない,というのである。エ 本件鑑定書の剖検記録欄の「I外表検査」「13特記事項」「2.頚部」の項 には「左下顎下部に米粒大以下の淡褐色表皮剥脱1個。面積の狭い硬い鈍体 が作用したことによる圧挫傷」「左側頚中部に4.0×2.5 cm の範囲内に ゴマ粒大以下の暗褐色表皮剥脱10数個。面積の狭い,凹凸のある硬い鈍体 が作用したことによる圧挫傷」「左前頚下部から前頚下部および右側頚下部 を経由して幅約1.0 cm の蒼白帯が認められ,その右側頚部から前頚下部にかけて10.0×6.0 cm の範囲内にゴマ粒大以下の赤褐色表皮剥脱10 数個。面積のやや広い,比較的軟らかい鈍体および面積の狭い硬い鈍体が作 用したことによる,いわゆる絞痕が刻印されたものではなかろうかと推測さ れる」と記載され,同欄の「II内景所見」「30内部生殖器」の項には「外子 宮口の周囲に点状の出血を多数認める」と記載されている。また,本件鑑定 書の説明欄には,「37死因について」と題して「本屍には頚部に計3個所の 外傷が認められ,全体的にはほぼ左右にその痕跡を残し,また,内景所見に おいて,左右の胸鎖乳突筋,左右の側頚リンパ節の鬱血,胸骨舌骨筋,左胸 骨甲状筋,左頭最長筋内に出血を認める。これらの所見は材質の比較的軟ら かい手指等が頚部を圧迫したことによるものと推測され,いわゆる絞痕が皮 膚に刻印されたものと考えられる」と記載されている。オ 原審弁護人は,原審第4回公判期日において,A証言の証明力を争うため の刑事訴訟法328条の証拠として,死体検案書等の証拠調べを請求した。 これに対し,検察官は,死体検案書等が同法316条の32第1項の「やむ を得ない事由によって公判前整理手続において請求することができなかった もの」に当たらない上,死体検案書にはA証言と実質的に相反する部分がな く,死体解剖状況報告書及び捜査報告書は検察官作成の報告書であるから, いずれも同法328条の要件を欠いているとして異議を述べ,原裁判所は, 死体検案書等の証拠調請求を却下した。それに対し,原審弁護人は,死体検 案書について,実際にAの証人尋問を実施しなければ,その供述内容を把握 することができなかったものであり,それについて反論の機会を奪うことは, 同法316条の32の解釈につき裁判所の裁量を逸脱しているとして,異議 を申し立てたものの,原裁判所は,その異議を棄却した。(2) ところで,刑事訴訟法328条により許容される証拠は,信用性を争う供 述をした者の供述と矛盾する内容の供述が,同人の供述書,供述を録取した書 面(刑事訴訟法が定める要件を満たすものに限る),同人の供述を聞いたとする者の公判期日の供述またはこれらと同視し得る証拠の中に現れた部分に限られ る(最高裁平成17年(あ)第378号平成18年11月7日第三小法廷判決・ 刑集60巻9号561頁)。そうすると,死体解剖状況報告書及び捜査報告書 は,いずれも,その作成者がAではなく,同人の供述を聞いたとする者の公判 期日の供述またはこれと同視し得る証拠でもないから,これらの証拠について, 同法条の証拠には当たらないとして,その証拠調請求を却下した原裁判所の措 置に違法不当はない。他方,死体検案書は,その作成者がAであって,同人の 供述書であるから,それに記載された供述内容がA証言と矛盾するのであれば, 同法条の証拠に当たることになる。(3) そこで,死体検案書の供述内容がA証言と矛盾しているか検討する。上記 死体検案書は,当審において,弁護人から改めて刑事訴訟法328条の証拠と して取調べを請求され,検察官は,当初,同法条の要件を満たさないとして, 取調べについて相当でない旨の意見を述べたものの,その後,取調べに同意し たことから,当裁判所において取り調べた。その死体検案書の「死亡の原因」 欄の「(ア)直接死因」の項には「窒息死」,「(イ)(ア)の原因」の項には「頚 部圧迫」,「解剖」の項には,主要所見として「顔面はうっ血し,頚部に少な くとも一周する圧迫痕あり。いわゆる急死の所見を呈する」とそれぞれ記載さ れている。これらの記載によると,被害児は,その頚部の周囲に索条物を巻か れて絞められたことにより窒息死したもののように理解できる。ちなみに,当審で検察官の同意により取り調べた検察官澤田康宏ら3名連名 作成の死体解剖状況報告書には,検察官澤田らが,平成17年11月23日, 被害児の解剖に当たったAから「頸部圧迫の方法は,断定できない。頸部圧迫 痕は,その形状から幅の広い柔らかい索条物によって成傷されたものと推測さ れる。たとえば,着衣を挟んで布様索条物によって絞められたり,あるいは, 着衣そのものによって絞められたとも考えられる。また,腕を頸部に巻き付け る方法で絞められたとも考えられる」という所見を聞いた旨記載されている。(4) 上記2(1)ウのとおり,Aは,原審第2回公判期日において,被害児の死因 は,被害児の頚部が手指により圧迫されたと考えるのが一番自然である旨供述 しているところ,この供述は,「頚部に少なくとも一周する圧迫痕あり」とい う上記2(3)の死体検案書の記載と,実質的に相反しているというほかない。 なお,上記2(1)エのとおり,本件鑑定書には,被害児の頚部が,手指等によ り圧迫されたものと推測される旨記載されているものの,そのような記載があ るからといって,A証言が,上記死体検案書の記載と実質的に相反することに 変わりはない。そうすると,上記死体検案書は,刑事訴訟法328条の要件を 満たしており,A証言の証明力を争うために,同法条の証拠として取り調べる 必要性があったと認められる。(5) そして,死体検案書を取り調べる必要が生じたのは,Aが,原審第2回公 判期日において,証人として供述することにより,初めてその公判廷における 供述内容が明らかになり,かつ,その内容が,上記死体検案書の記載と実質的 に相反している上,その異なる理由について納得のいく説明がされなかったか らである。そうすると,原審第2回公判期日におけるAの証人尋問が終了する までは,弁護人が,刑事訴訟法328条の証拠として死体検案書の証拠調べを 請求することは,不可能である。したがって,公判前整理手続において,検察 官が請求した死体検案書に,弁護人が不同意の意見を述べたことから,その証 拠調請求が撤回され,その後公判前整理手続が終わるまでの間,弁護人がその 証拠調べを請求しなかったことには,同法316条の32にいうやむを得ない 事由があるというべきである。これと異なる判断をして,死体検案書の証拠調 請求を却下し,それに対する弁護人の異議を棄却した原裁判所の措置は,同法 328条,316条の32の解釈適用を誤っているといわざるを得ない。(6) しかし,当審で取り調べた死体検案書等,鑑定書及び証人Cの供述を総合 して検討しても,被害児の死因は,索条物による頚部圧迫による絞死の可能性 が高いものの,頚部圧迫による窒息死の場合,手指によるものか,ひも状のものによるものかの区別は非常に難しい場合もあること,被害児についても,手 指により絞められた可能性を完全には否定できないことが認められる。なお,弁護人は,控訴趣意書において,被害児の窒息死の機序について,被 告人が被害児の口鼻や頚部に手を置いたことにより,頚動脈洞反射を起こして ショック死した,あるいはギャグリフレックスにより窒息死した可能性を主張 している。しかし,当審で取り調べた上記各証拠に照らしても,原判決の「争点に対す る判断」の項(以下「争点判断」という)の2(2)イ(イ)dの説示は相当であって, 被害児の死因に関する上記認定は,左右されない。そうすると,上記2(5)の訴訟手続の法令違反が,明らかに判決に影響を及 ぼすとまではいえない。3 前歴関係の証拠調請求却下の違法の主張について
(1) 記録及び当審における事実取調べの結果によると,以下の事実が認められる。
ア 検察官は,原審において,平成18年3月10日,「ICPOリマ(ペルー共和国)に対する捜査協力要請について(追加回答)」と題する書面の証拠 調請求をし,弁護人が同意したので,同書面は,原審第3回公判期日で取り 調べられた。同書面には,生年月日が1972年2月3日のDについて,性 的犯罪(性的自由の侵害)を根拠として,ペルー共和国ラ・リベルタッド県ト ルヒージョ市E裁判所刑事法廷から逮捕状が発付されている事実を示す書面 が添付されている。イ 平成18年3月22日の第2回公判前整理手続期日において,検察官は 「現在ペルー大使館に被告人の人定関係及びペルーにおける前科関係を照会 中であり,回答を得られ次第,証明予定事実の補充及び追加証拠の請求をし たい」旨陳述した。また,同月30日の第3回公判前整理手続期日において, 検察官は「ペルー大使館からの被告人の人定関係の照会回答は,現在翻訳中であるが,量が多いので,開示時期は未定である。これについての立証趣旨は,被告人の人定に限る予定である」と述べた。
ウ 同年5月12日,第8回公判前整理手続期日において,同手続が終結されたところ,その終結までに,検察官は,上記3(1)イの「ペルー大使館からの被告人の人定関係の照会回答」の証拠調請求をしなかった。
エ 検察官は,同月19日の原審第5回公判期日において,前歴関係証拠の取調べを請求するとともに,同日付け意見書及び意見書(2)を提出して以下の とおり主張した。すなわち,前歴関係証拠は,同年4月3日,F県警察本部 がペルー共和国からの回答書(以下「本件回答書」という)を正式に受理した ものの一部であり,その翻訳文は,同月19日にF県G警察署が入手し,そ れを同月21日にF地方検察庁が入手した。その翻訳文を精査したところ, 判読不能として翻訳されていない箇所が散見され,文章の内容を理解するの が困難であった。そこで,ペルーの法制度を精査するため,同年5月10日, 法務省大臣官房司法法制調査部からペルーの法制度に係る文献を入手し,同 文献の刑事手続に係る部分の執筆者から,ペルーの法律関係に詳しいH大学 I講師の紹介を受け,同月12日,同講師に前歴関係証拠の翻訳を依頼し, 同月17日その翻訳文を受領したもので,その証拠調請求を公判前整理手続 の終了までにすることは不可能であったから,刑事訴訟法316条の32第 1項のやむを得ない事由がある,というのである。これに対し,原裁判所は,同公判期日において,その証拠調請求を却下し, これに対する検察官の異議を棄却した。オ 検察官は,その同じ原審第5回公判期日において,被告人質問を経た現段 階において,被告人の主張がより具体化されたが,その内容は完全に事実と 異なるものであり,前歴関係証拠を取り調べる必要性が,現段階においてよ り強まったことを補足するという意見を述べて,前歴関係証拠の取調べを再 度請求した。この検察官の意見は,同公判期日において施行された被告人質問において,被告人が,検察官の質問に対し,要旨以下の供述をしたことを 指して述べたものと解される。すなわち,被告人は,ペルーの検察庁に行っ たことはあるが,裁判所には行ったことがない。被告人は,全くしたことの ない性犯罪について取調べを受けたことがあるものの,検事から無罪である と言われたし,被害者とされる女の子に触ってもいない。ペルーの裁判所か らFの裁判所に,被告人には前科がないという書類が送られていると思う。
 被告人は,一度も捕まったことはなく,警察に呼ばれて事情を聴かれたこと もなく,裁判の経験も前科もない,ペルーから日本に前科がないということ を送ってきているから,これ以上話さない,黙秘権を行使する,というので ある。これに対しても,原裁判所は,同公判期日において,その証拠調請求を却 下し,これに対する検察官の異議を棄却した。カ 検察官は,原審で取調べを請求した前歴関係証拠(以下,これを「第一次 入手分」という)を当審において改めて証拠調請求したほか,原判決言渡後 の平成18年7月13日付け捜査共助要請書により,平成19年3月29日 までにペルー共和国から受理した被告人の前歴に関する証拠(以下「第二次 入手分」といい,第一次入手分と合わせて「当審前歴関係証拠」という)の 取調べを請求した。そして,当審で,検察官柿原和則が当審前歴関係証拠の 取調べを請求するに当たり提出した同年6月6日付け意見書添付のF地方検 察庁検察官萩原良典作成の捜査報告書には以下の記載がある。すなわち,F 県G警察署が平成18年4月19日に受け取った前歴関係証拠の翻訳文には, 被告人が,ペルー共和国において,9歳の被害者に対する強姦罪で告訴され, その告訴事実が未遂であったという前提で,同国の検察官から同国の裁判官 に対し,何らかの書面が提出されたことや,同国の検察庁が同国の裁判官に 対し,被告人が8歳の被害者に対して罪を犯したことに関する書面を提出し ていた旨の記載がある,というのである。(2) 上記3(1)アないしカの事実によると,第7回公判前整理手続期日が開かれ た平成18年4月27日以前である同月3日には,本件回答書をF県警察本部 が入手し,同月19日には,不完全ながら翻訳文もできていて,その翻訳文の 内容から,検察官には,被告人が,ペルー共和国において,9歳の被害者に対 する強姦または強姦未遂等の犯罪をしたほか,8歳の被害者に対しても罪を犯 したとされていることが判明していたものと認められる。したがって,その時 点において,前歴関係証拠の取調べを請求する必要があるかどうかを確定する ことまではできないとしても,少なくともその必要性について検討すべきか否 かについては判断できた筈である。そして,もし,同証拠の取調べを請求する か否かについて検討する必要があると判断したのであれば,同月21日に開か れた第6回公判前整理手続期日において,弁護人及び原裁判所に対し,翻訳に 不備があることなどを説明して,翻訳をやり直す間,公判前整理手続を終結し ないよう求めるべきであったし,そのように求めることについて,何ら法的に 問題はなかった筈である。しかも,上記3(1)イのとおり,検察官は,第2回公判前整理手続期日にお いて「被告人の人定関係に加えて前科関係についてもペルー大使館に照会中で, 回答を得られ次第,証明予定事実の補充及び追加証拠の請求をしたい」旨述べ ていたのに,第3回公判前整理手続期日において「ペルー大使館からの被告人 の人定関係の照会回答は,現在翻訳中であるが,量が多いので,開示時期は未 定である。これについての立証趣旨は,被告人の人定に限る予定である」と述 べている。この「現在翻訳中」であった「ペルー大使館からの被告人の人定関 係の照会回答」が何であるのかについては,必ずしも明らかではない。しかし, 上記3(1)エの検察官の同年5月19日付け意見書添付の疎明資料別紙1によ ると,本件回答書は,同年3月20日,在ペルー大使から外務大臣に送付され, 外務省から警察庁に転達され,同月29日,F県警察本部長宛送付する手続が 取られたことが認められ,その当時,他に「ペルー大使館からの被告人の人定関係の照会回答」といえるようなものが存した形跡はないから,同月30日の 第3回公判前整理手続期日で検察官が述べた「ペルー大使館からの被告人の人 定関係の照会回答」とは,本件回答書のことであったと推認される。そして, 上記のとおり,検察官は,第2回公判前整理手続期日では「ペルー大使館に被 告人の人定関係及びペルーにおける前科関係を照会中であり,回答を得られ次 第,証明予定事実の補充及び追加証拠の請求をしたい」旨述べていたのに,第 3回公判前整理手続期日には「ペルー大使館からの被告人の人定関係の照会回 答についての立証趣旨は,被告人の人定に限る予定である」という意見を述べ たことにもかんがみると,その当時,検察官は,上記3(1)アの「ICPOリ マ(ペルー共和国)に対する捜査協力要請について(追加回答)」と題する書面の ほかには,被告人の前歴関係についての立証をしない意思であったと考えざる を得ない。(3) 以上の事実を総合すると,前歴関係証拠は,刑事訴訟法316条の32第 1項にいう「やむを得ない事由によって公判前整理手続において請求すること ができなかったもの」には当たらないというべきである。そして,前歴関係証 拠について,同法316条の32第2項により職権で取り調べなかった原裁判 所の措置が,その裁量の範囲を逸脱しているとまではいえない。したがって,前歴関係証拠の取調請求を却下した原審の訴訟手続に違法があ る旨の主張は理由がない。(4) なお,当裁判所は,当審で検察官が取調べを請求した当審前歴関係証拠の うち,第一次入手分及び第二次入手分の各一部を,刑事訴訟法393条1項本 文により取り調べた。その理由は以下のとおりである。後述のとおり,当裁判所は,検察官の量刑不当の主張について判断し,弁護 人の控訴理由についても調査検討して判決を宣告する方針を一旦は固めた。と ころで,検察官の量刑不当の主張の中には,被告人が,ペルー共和国において も,幼い女児に対する性犯罪で2回刑事訴追され,裁判所で審理が開始されたものの,被告人が逃亡したため実質的な審理が行えない状態になった,という 主張がある。しかし,被告人は,上記3(1)オのとおり,ペルーの裁判所には行ったこと がなく,ペルーの検察庁の検事から,自分は無罪であると言われたなどと供述 して,検察官の上記主張を否定している。そして,上記3(1)アのとおり,原 審で取り調べた「ICPOリマ(ペルー共和国)に対する捜査協力要請について (追加回答)」と題する書面には,同国の裁判所から,被告人について,性的犯 罪を根拠とする逮捕状が発付されているということが記載されているところ, 原判決は,有罪の判決を受けたという立証がなされていないのに,嫌疑を受け たことだけをもって,量刑上,前科があるのと同様の不利な取扱いをすること は許されず,本件は,被告人の前科の点においては,特に悪質性が高く,非難 の程度が高い事案であるというには足りない旨説示している。たしかに,検察官の主張によっても,被告人に前科はない。
しかし,第二次入手分を合わせた当審前歴関係証拠に関する検察官の主張に, 当審で検察官から提出された意見書等をも併せて検討すると,被告人について, ペルー共和国の裁判所で審理が開始されたという2件の犯罪は,いずれも被害 児と年齢が似通った少女に対する性犯罪であって,被告人について予審が請求 され,うち1件については,予審裁判所の最終報告書及び高等検察庁検察官の 求刑意見書が提出されて,未だその事件がペルー共和国の裁判所に係属中であ り,もう1件についても,求刑意見書が作成され,郡検察庁検察官が裁判所に 略式の裁判手続による公訴を提起したものの,被告人が裁判所に出頭しないま ま,時効により刑事裁判が終了した,というのである。そして,ペルー共和国 における検察官の意見書は,当該事案における犯罪事実及び犯罪について被疑 者が有罪か無罪かという点にまで及ぶ内容のものとなる,というのである。ところで,被告人が,前に罪を犯して検挙されるなどしたものの,公訴を提 起されなかったために,刑罰を受けるには至らなかった,いわゆる前歴についても,被告人が罪を犯したことが確実である場合においては,その内容に応じ て,被告人に対する刑を量定するに当たり適切に考慮すべき場合があることは 明らかである。原判決は,嫌疑を受けたことだけをもって,量刑上,前科があ るのと同様の不利な取扱いをすることは許されない旨説示しており,その説示 する限りにおいては正当であるものの,被告人のペルー共和国における前歴に ついて,およそ考慮する必要がないかのようにも受け取れる点は,賛同するこ とができない。そこで,当裁判所は,上記のとおり,被告人が,原審公判において,ペルー 共和国における前歴につき,その嫌疑自体を否認し,当審公判においては,検 察官からの質問に対して黙秘したこと,被告人自身が,原審公判において,裁 判長からの質問に対し,ペルーの方から被告人の前歴について既に確認してい る筈であり,裁判所や訴訟関係者は,被告人のペルーでの前歴について知って いる筈である,自分は一切罪を犯していないという趣旨の供述をしており,こ れは,ペルーでの前歴関係の書類が,裁判官や検察官に読まれることを前提と した供述であることなどを踏まえ,かつ,被告人の前歴に関する証拠を取り調 べることは,量刑判断に資するだけでなく,被告人の原審及び当審における各 公判供述の信用性を判断する上でも有用であることも考慮して,検察官の量刑 不当の主張を調査するについて必要があると認められる限度において,刑事訴 訟法393条1項本文により,第一次入手分を含めた当審前歴関係証拠の一部 を証拠として採用し取り調べたものである。4 訴因変更許可の違法の主張について 平成17年12月21日付け起訴状の公訴事実第1の要旨は,被告人が,被害児に強いてわいせつな行為をするとともに,同児を殺そうと企て,同年11月2 2日午後零時50分ころから同日午後1時40分ころまでの間,F市J区Kb丁 目c番d号B荘a号室の被告人方において,同児のパンツ等を脱がした上,陰部 及び肛門を手指で弄ぶとともに,殺意をもって同児の頚部を手で強く絞めつけるなどし,よって,そのころ同所において,同児を頚部圧迫による窒息により死亡 させて殺したというものである。検察官は,原審第5回公判期日において,上記公訴事実第1のうち「B荘a号 室の被告人方において」とあるのを「B荘及びその付近において」に改める旨の 訴因変更(以下「本件訴因変更」という)を請求した。これに対し,原審弁護人は, 本件訴因変更請求が権利の濫用であり違法である旨の意見を述べたものの,原裁 判所は,同公判期日において,本件訴因変更を許可し,それに対する原審弁護人 の異議を棄却した。そこで検討するに,以下に説明するとおり,原裁判所が本件訴因変更を許可し たことに何ら違法不当な点はない。(1) 記録によると,以下の事実が認められる。
原審第5回公判期日において,原審主任弁護人は,迅速かつ公正な裁判の要 請という観点及び公判前整理手続を経た集中審理という観点の両面からして, 本件訴因変更請求は,到底誠実な権利の行使とは認められず,権利の濫用に当 たるので,刑事訴訟規則1条及び刑事訴訟法316条の5の反対解釈から違法 である旨主張した。また,原審副主任弁護人は,本件犯行において,犯行場所 が被告人方居室内か屋外も含むかという差異は,単なる場所の違いだけではな く,そこから推認される犯行経緯,犯行態様の内容やその範囲を著しく異にす る可能性があり,ひいては本件犯行の動機の認定にも影響を及ぼし,殺意の有 無やわいせつ目的の有無など,他の争点への波及効果も危惧されるなどと主張 した。しかし,原裁判所は,本件訴因変更請求は「公訴事実の同一性の範囲内にあ ること,この点については争点として顕在化され証拠調べが尽くされており, その点で弁護人の防御も尽くされている」という理由により,それを許可し, これに対する原審弁護人の異議を棄却した。(2) 本件訴因変更は,本件犯行が行われた場所を「B荘a号室の被告人方」から「B荘及びその付近」とするものであって,その変更が,公訴事実の同一性 を害しないことは明らかである。そして,弁護人作成の平成18年4月7日付け予定主張事実記載書面には, 被告人が,被害児の口鼻付近に手を置くなどの行為をしたり,同児の死亡後に 陰部・肛門付近に触る行為をした場所は,すべてB荘1階の階段付近である旨 記載されていること,原審第1回公判期日において,弁護人は,本件犯行につ いて,わいせつ目的及び殺意を否認し,被告人が,被害児のパンツ等を脱がし たこと及びその頚部を手で強く絞めつける行為をしたことはないし,被害児を 被告人方に入れたことは一度もなかった旨主張するとともに,被告人の責任能 力を争い,被告人も,おおむね弁護人の主張に沿う陳述をしたほか,被害児の 陰部や肛門を手で触り,その首を押さえたことはあり,そのとき自分は膝をつ いており,被害児は横たわった状態で,足が塀の方で頭は右側にあった旨述べ たことにかんがみると,被告人及び弁護人は,わいせつ目的や殺意を争うもの の,被告人が,被害児の口鼻付近に手を置くなどしたり,同児の死亡後にその 陰部・肛門付近に触るなどした場所は,検察官主張の被告人方ではなく,すべ てB荘の1階階段付近である旨主張していたのである。したがって,本件訴因 変更請求は,被告人及び弁護人の主張に,一部沿うものといえるのであって, 本件訴因変更がなされることにより,被告人及び弁護人が立証活動を立て直す ことを余儀なくされるなど,被告人の防御に実質的に不利益を及ぼしたり,審 理が遅延することにより迅速な裁判の要請が害されたりするなどの事情がない ことは,明らかである。そうすると,本件訴因変更が請求されたのが,5日間連続して公判が開かれ た最終日である原審第5回公判期日においてであって,同期日に証拠調べを終 えることが予定されており,現に予定どおり証拠調べを終えているところ,上 記4(1)の原審主任弁護人の指摘のとおり,本件が公判前整理手続を経て集中 審理が行われたことなどの事情を考慮しても,検察官の本件訴因変更請求が権利の濫用に当たるとはいえないし,本件訴因変更許可が,刑事訴訟規則1条や 刑事訴訟法316条の5に反するともいえない。本件訴因変更を許可した原審 の訴訟手続に法令違反はない。(3) しかし,職権により調査するに,検察官が本件訴因変更を請求したのは, 以下に説示するとおり,本件犯行の場所について,当初は「B荘a号室の被告 人方」であることを立証するつもりでいたにもかかわらず,審理の状況から, 犯行場所が被告人方であることの証明が覚束なくなったためであると考えられ るところ,そのような事態に立ち至った原因は,第一次的には検察官の訴訟活 動の不手際にあるというべきであるが,原審の訴訟手続にも審理不尽の違法が あるといわざるを得ない。ア 原審審理経過のうち本件犯行場所に関わる部分は,以下のとおり要約でき る。1 検察官作成の平成18年3月10日付け証明予定事実記載書面には, 「第3犯行状況等」として,被告人が,B荘a号室の被告人方に被害児を 連れ込み,殺害するとともに,わいせつ行為等をした旨の記載に続いて 「上記一連の過程において,同室内にあった毛布に同児の毛髪が付着し た」という記載がある。弁護人は,同月15日付け求釈明書の第2の3に おいて,上記毛布に関する記載について,本件犯行当時,毛布が室内のど こにあったのか,また,その毛布に被害児の毛髪が付着するに至った経緯 について説明するよう検察官の釈明を求めた。これに対し,検察官は,同 月22日付け釈明書により,犯行当時,被告人方室内にあった毛布に被害 児の毛髪が付着したという結果を立証しようとしているのであり,当時毛 布があった場所や,毛布に毛髪が付着するに至る経緯まで立証しようとし ているのではないのであるから,釈明の要なしと思料する旨回答した。2 検察官は,原審第1回公判期日での冒頭陳述において,被告人は,B荘 前路上を通りかかった被害児に声をかけるなどして,同児を被告人方に連れ込み,本件犯行に及んだ旨主張するとともに,被告人方室内にあった毛 布には,同児の毛髪や,被告人と被害児のDNA型が混在した血液が付着 していたと主張した。3 関係証拠によると,被告人方4.5畳居間の天袋内から押収された毛布 (以下「本件毛布」という)には毛髪(以下「本件毛髪」という)が付着して いたところ,その毛根のDNA型検査結果により,本件毛髪は,被害児に 由来するものとして矛盾がないこと,本件毛布には人血が付着しており, そのDNA型検査結果により,その人血には被害児と被告人のDNA型が 混在しているものとして矛盾がないことが認められる。また,検察官は, 原審第4回公判期日における被告人質問の際,質問の中で,被告人の平成 17年12月18日付け検察官調書には,本件犯行当日,被告人が,本件 毛布を被告人方から外へは出しておらず,部屋の中へ置いていた旨の供述 が記載されている旨発言しているところ,被告人方から外に出されていな い本件毛布に被害児の毛髪や人血が付着していたということは,特段の事 情がない限り,本件犯行が被告人方室内で行われたことを意味する。なお,弁護人は,控訴趣意書において,DNA鑑定関係の証拠の問題点 について,詳細な主張をしているけれども,それらの主張を考慮しても, 上記DNA型検査結果の自然的・法的関連性や証拠能力,正確性及び信用 性に疑問の余地はない。4 他方,被告人は,原審第3回,第4回各公判期日で,以下のとおり供述 した。すなわち,本件犯行当日の午後零時半ころ,本件毛布を洗濯しよう と考え,B荘1階に置いてある洗濯機の所まで本件毛布を持って行ったも のの,その洗濯機が小さかったので,無理に本件毛布を洗うと洗濯機が壊 れるかもしれないと思い,本件毛布を折り畳んだ状態で,その洗濯機の左 側に置いた。被害児が死亡した後,本件毛布を広げ,被害児を抱き上げて その上に置き,本件毛布を折って同児を覆った。同児の死体を遺棄した後,本件毛布を自室で干した,というのである。
5 ところで,検察官は,第1回公判前整理手続期日より前である平成18年3月10日,被告人の供述を録取した警察官調書(乙3)及び検察官調書 10通(乙1,2,4ないし11)の証拠調請求をした(以下,これら合計1 1通の調書を合わせて「被告人供述調書」という)。その立証趣旨は,検 察官調書(乙1)が「身上・経歴等」,検察官調書(乙2)が「日本に入国し た経緯等」,警察官調書(乙3)が「被告人が被害者に携帯電話内の写真を 見せるなどして被害者を誘ったこと等」,検察官調書(乙4)が「犯行に至 る経緯及び犯行状況等」,検察官調書(乙5)が「犯行に至る経緯及び犯行 後にガステーブルを隠匿した状況」,検察官調書(乙6)が「犯行後の状況 等」であり,検察官調書5通(乙7ないし11)はいずれも「弁解状況等」で あった。原審弁護人は,第5回公判前整理手続期日において,被告人供述 調書について不同意の意見を述べ,裁判所は,被告人供述調書の採否決定 を留保したまま原審公判を開いた。そして,原審第4回公判期日において, 原審弁護人が,被告人供述調書の任意性を争う旨述べ,検察官は,被告人 供述調書が,主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,取調 べの必要性がある旨の意見を述べたところ,原裁判所は,任意性を立証し てまで取り調べる必要性はないとして,被告人供述調書の証拠調請求を却 下する決定をした。検察官は,被告人供述調書が,いずれも本件犯行を立 証するために必要不可欠であり,証拠調請求を却下したのは裁判所の裁量 の範囲を著しく逸脱し,刑事訴訟法298条,刑事訴訟規則190条,1 99条等にも違反するという理由を述べて異議を申し立てたものの,原裁 判所は,その異議を棄却した。6 原審第5回公判期日において本件訴因変更がなされ,原審第6回公判期 日において,論告,弁論及び被告人の最終陳述が行われて弁論が終結した。
 検察官は,論告において,要旨以下のとおり主張した。すなわち,本件の証拠関係においては,被告人方居間にあった本件毛布に,被害児の毛髪と 被告人及び被害児のDNA型が混ざり合った血痕が付着していたところ, 毛布のような大型の寝具が,戸外に持ち出され,通常触れることのない人 物の毛髪等を付着させて室内に戻ってくるということは,よほどの事情が ない限りはないというべきであって,被告人方室内にあった本件毛布に被 害児の毛髪等が付着していた事実は,本件殺害行為及びわいせつ行為が被 告人方室内で敢行されたことを限りなく指し示す事実とみなければならな い。また,被害児の頚部を2分ないし3分間にわたって強く絞めつけ殺害 する行為,被害児の膣内に手指を強くかつ奥まで挿入し,複数回にわたっ て手指を出し入れして,肛門内にも手指を挿入し,また,自ら自慰行為に 及んで射精するといった本件犯行の態様からすれば,人目に付きやすい屋 外で行われたとは到底考えられない。まして,犯行時間は午後零時50分 ころから午後1時40分ころまでという時間帯であり,そのころ,B荘北 側道路には幾人かの通行人があったばかりか,同道路を西から東に向けて 通行する者からは,B荘階段付近が完全に見通せる状況であったのである。 したがって,本件犯行が行われたのは,被告人方居室内であったと認める のが相当である,というのである。7 原判決は,罪となるべき事実において,本件犯行の場所を,本件訴因変 更後の訴因のとおり「B荘及びその付近」であると認定し,争点判断2 (4)イ(ア)において「被告人が本件殺害行為及び本件わいせつ行為を屋外で 行った疑いは払拭できない」と判示し,同2(4)ウ(ア)において,本件犯行 は「L方前石段からB荘階段下を含めた敷地内あるいは当時の被告人方室 内を含むB荘及びその付近を超えない範囲の場所で行われたものと認める ことができるものの,更にそのうちのいずれかを確定することはできない から,その犯行場所については,B荘及びその付近の限度で認定できるに とどまる」と判示した。イ 検察官は,本件訴因変更前の公訴事実において本件犯行の場所は被告人方 である旨主張し,その根拠として,上記4(3)ア126のとおり主張してい るところ,上記4(3)ア3のとおり,本件毛布に被害児の毛髪や血液が付着 していたことが認められるから,検察官が,原審第4回公判期日における被 告人質問の際に触れたとおり,被告人の平成17年12月18日付け検察官 調書に,本件犯行当日,被告人が,本件毛布を被告人方から外へ出していな い旨の供述が記載されており,その供述が信用できるのであれば,特段の事 情のない限り,本件犯行が被告人方で行われたと認定できるということがで きる。ところが,原裁判所は,上記4(3)ア5のとおり,被告人の同日付け検察 官調書2通(乙8,11。以下「本件検察官調書」という)を含めた被告人供述 調書全部を「任意性を立証してまで取り調べる必要性はない」という理由で 却下してしまった。しかし,原審の副主任弁護人が指摘しているように(上記4(1)),本件犯行 の場所が屋外であるのか,被告人方であるのかという点は,後述するとおり, 本件の争点及び犯情を判断するに当たって非常に重要な事実である。それに もかかわらず,原裁判所が,本件検察官調書について,本件毛布を外へ出し ていない旨の供述の存否を調査し,その供述が存した場合には,その任意性 ・信用性を検討するということをせず,本件検察官調書の任意性の調査すら しないまま,必要性がないという理由で証拠調請求を却下したのは,まこと に不可解であるというほかない。ウ もっとも,上記4(3)ア5のとおり,検察官は,本件検察官調書の立証趣 旨を,いずれも「弁解状況等」としている。もし,検察官が原審第4回公判 期日における被告人質問の際に触れたとおり,本件検察官調書のうちの1通 または双方に,本件毛布を外に出していない旨の供述が記載されているので あれば,検察官としては,当然,本件検察官調書の立証趣旨としてその旨主張するか,少なくとも,原審第4回公判期日で,本件検察官調書の必要性に ついて意見を述べた際,そのことを指摘しなければならないというべきであ る。しかるに,検察官は,本件検察官調書が本件犯行場所特定のために必要 であるという主張を全くしていない。そして,検察官は,本件検察官調書が 「主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,取調べの必要性が ある」旨述べただけであり,原裁判所の証拠調請求却下決定に対する異議申 立ての際にも「本件犯行を立証する上で必要不可欠」と述べたに過ぎない。 本件検察官調書の立証趣旨や取調べの必要性についての検察官の態度も,ま ことに不可解である。エ 検察官は,当審において,「被告人が捜査段階において,被害児童に対し て自分から声をかけた旨供述していたこと」を立証趣旨とする被告人の平成 17年12月17日付け検察官調書(検18)及びいずれも「被告人が,捜査段 階で,本件毛布を屋外に持ち出したことを全く供述していなかったこと」を 立証趣旨とする被告人の同月18日付け検察官調書2通(検19,20)の取調べ を請求し,検察官調書(検18)は検察官調書(乙7)と,検察官調書(検19)は検 察官調書(乙8)と,検察官調書(検20)は検察官調書(乙11)と同一のものであ る旨釈明した。すなわち,被告人の検察官調書2通(検19,20)は本件検察官 調書と同じものであるところ,当審における上記各検察官調書の立証趣旨に かんがみ,提示命令により上記各検察官調書を提示させて,その内容を確認 したところ,本件検察官調書には,原審第4回公判期日の被告人質問で検察 官が触れた供述,すなわち,被告人が,本件犯行当日,本件毛布を屋外に持 ち出していないと受け取ることができるような供述が記載されていることが 認められる。オ 以上の経緯にかんがみると,原審の訴訟手続には,以下のような疑問があ るといわざるを得ない。すなわち,検察官が,被告人の捜査段階における供述調書(いわゆる被疑者調書)の証拠調請求をする場合,刑事訴訟法326条の同意が得られない ときは,当然に,その供述調書を同法322条1項により証拠調請求する趣 旨であると解される。したがって,検察官が,本件犯行に関する証拠として 取調請求した被告人供述調書について,第5回公判前整理手続期日において, 弁護人が不同意の意見を述べたのであれば,本件犯行に係る公訴事実につい て,弁護人が,わいせつ目的や殺意を争っていることを十分認識していた原 裁判所としては,検察官に対し,少なくとも,「被告人が被害者に携帯電話 内の写真を見せるなどして被害者を誘ったこと等」を立証趣旨とする警察官 調書(乙3),「犯行に至る経緯及び犯行状況等」を立証趣旨とする検察官調 書(乙4),「犯行に至る経緯及び犯行後にガステーブルを隠匿した状況」を 立証趣旨とする検察官調書(乙5)及び「犯行後の状況等」を立証趣旨とする 検察官調書(乙6)については,同法322条1項の「不利益事実の承認」を 含むものとして取調べを請求することを確認の上,弁護人に対し,上記各調 書に記載された被告人の供述の任意性を争うか否か,争うのであれば,供述 の任意性が疑わしい事由を具体的に主張するよう求めるべきであった。また, 原裁判所は,「弁解状況等」を立証趣旨とする検察官調書5通(乙7ないし1 1)についても,検察官に対し,その立証趣旨を維持するのか否か,立証趣旨 を変更しないのであれば,上記検察官調書5通(乙7ないし11)の証拠調請求 を維持するのか,それとも請求を撤回するのか,請求を維持するのであれば, なぜ,その調書を取り調べる必要があるのかなどについて釈明を求めるべき であったというべきである。しかるに,原裁判所は,公判前整理手続において,被告人供述調書につい て弁護人が不同意意見を述べたのを,そのまま放置し,検察官に対し,警察 官調書(乙3)及び検察官調書3通(乙4ないし6)についての上記確認をしな かった上,検察官調書5通(乙7ないし11)の立証趣旨についての上記釈明を 求めず,それらの任意性についての主張も明らかにさせず,これら被告人供述調書についての争点を整理しないまま,第7回公判前整理手続期日におい て,原審第4回公判期日で,被告人質問をしてから,被告人供述調書の採否 及び原審弁護人請求の精神鑑定の採否を決定し,そのいずれも採用しない場 合には,原審第5回公判期日に被害児の父の意見陳述,弁護人請求の証人尋 問及び被告人質問を,原審第6回公判期日に論告,弁論及び被告人の最終陳 述をそれぞれ行い,原審第7回公判期日に判決宣告をするという予定を定め たことが認められる。たしかに,上記4(3)ア5のとおり,被告人供述調書の立証趣旨は,わず かに検察官調書(乙4)のみが「犯行状況等」とされ,警察官調書(乙3)及び 検察官調書2通(乙5,6)が犯行前後の状況とされていたものの,その余の 検察官調書5通(乙7ないし11)の立証趣旨は,いわゆる罪体について立証す るためのものとは容易に判断し難いものである。検察官が,本件検察官調書 の重要な内容に即した立証趣旨を示さなかったのは,不手際と評するほかな い。そして,裁判所は,取調べを請求された証拠の採否を決めるに当たり, その立証趣旨を参考にして,その取調べの必要性を判断するのであるから, 被告人の弁解状況を検察官が立証する必要があることについて,検察官から の釈明もなかったことからすると,原裁判所において,被告人供述調書がさ ほど重要なものではないと考え,「任意性を立証してまで取り調べる必要性 はない」と判断したのは,無理からぬところであるようにも思われる。しかし,もし,被告人供述調書に被告人に有利な内容の供述しか記載され ていないのであれば,弁護人としては,何ら不同意意見を述べる必要がない 筈であり,特に,弁解状況を立証趣旨とする検察官調書5通(乙7ないし11) について,被告人の弁解内容が録取されている筈であるのに,不同意意見を 述べるのは不自然ではないかと考えられることや,被告人が,本件犯行につ いてわいせつ目的及び殺意を否認し,その犯行場所についても,検察官の主 張とは異なる主張をするなど,罪体について争っているのに,被告人供述調書の中には,その立証趣旨として「犯行状況等」とされているものもあった ことにかんがみると,原裁判所としては,弁護人が不同意意見を述べた段階 で,被告人供述調書に不利益事実の承認が含まれているのではないかと考え, 証拠等関係カードに検察官が記載した立証趣旨如何にかかわらず,被告人供 述調書に不利益事実の承認があるのか否かについて,検察官に釈明を求める ことができた筈である。そして,そのような釈明を求めていさえすれば,公 判前整理手続において,被告人供述調書の任意性についても,争点を顕在化 し明確にすることができたと考えられる。公判前整理手続は,充実した公判の審理を継続的,計画的かつ迅速に行う ことができるよう,十分な準備をするための手続である(刑事訴訟法316 条の3)。そして,そのために公判前整理手続においては,証拠調べの請求 をさせ,その請求に係る証拠について,その立証趣旨を明らかにさせ,その 請求に関する意見を確かめることが行われるのである(同法316条の5)か ら,原裁判所は,上記のような措置を当然とるべきであった。原裁判所が,公判前整理手続において,検察官が請求した被告人供述調書 について,弁護人から不同意の意見が述べられたのに,上記のような措置を とらず,当事者双方の主張から,被告人供述調書の任意性については,公判 に至って争いとなることが当然に予想できた(現に原審第4回公判期日に至 って被告人供述調書の任意性が争われた)のに,その争点を顕在化させない まま,公判前整理手続を終結したのは,公判前整理手続の目的に反する不相 当な措置であったというほかない。ところで,本件では,平成18年3月22日の第2回公判前整理手続期日 において,原審主任弁護人が「5月の第3週及び第4週(5月15日〔月曜 日〕から26日〔金曜日〕)は予定を空けて,連日開廷に対応できるようにす る」と述べ,検察官も「その2週は連日開廷に対応できるような態勢をと る」旨述べて,それが同期日の調書に記載されている。しかし,第2回公判前整理手続期日においては,検察官から,各公訴事実についての証明予定事 実記載書面が提出され,証拠調請求がなされてはいるものの,被告人側の主 張が明らかにされず,検察官が取調べを請求した証拠についての被告人側の 意見等も述べられていなかったのであるから,未だ事件の争点及び証拠の整 理は全くなされていないというべきであるところ,このような時点において, 公判期日について,連日開廷すべき日まで特定して予定を立てるのが相当で あるかは,本件事案の内容も考えるといささか疑問である。そして,結局, 上記予定のとおり5月15日から5日間連続して公判期日が定められている ことに照らすと,連続開廷をするための公判期日の日程を優先するあまり, 被告人供述調書の任意性をめぐる争点の顕在化や整理等,公判前整理手続に おいて当然行うべき準備を十分にしないまま,公判前整理手続を終結したの ではないかと考えざるを得ない。カ そして,上記4(3)ア3で指摘した証拠関係,すなわち,被告人方から押 収した本件毛布に被害児の毛髪及び人血が付着していたと認められることや, 原審第4回公判期日における被告人質問の際,検察官が,被告人の検察官調 書に,本件犯行当日,被告人が本件毛布を被告人方から外へは出しておらず, 部屋の中へ置いていた旨の供述が記載されている旨発言していたことにかん がみると,本件犯行の場所を確定するために,本件検察官調書を取り調べる 必要性は高く,そのことは,原裁判所においても認識し得たというべきであ る。しかるに,検察官の立証趣旨の立て方が,本件検察官調書の内容を全く 反映していないものであったという事情があるにせよ,原裁判所が,「任意 性を立証してまで取り調べる必要性はない」という理由で,弁護人に対し, 任意性を争う具体的事由について釈明を求めず,検察官に対し,任意性につ いて立証を行う機会すら与えることなく,本件検察官調書を含む被告人供述 調書全部の証拠調請求を却下したことは,証拠の必要性についての判断を誤 り,合理的な理由なくして不当に証拠調請求を却下したといわざるを得ない。この点において原審は審理を尽くしておらず,これは訴訟手続の法令に違反しているというべきである。
(4) ところで,原判決は,争点判断2(4)イ(ア)において「被告人が本件殺害行為及び本件わいせつ行為を屋外で行った疑いは払拭できない」と説示し,争点 判断2(4)ウ(ア)で「判示第2の犯行は,L方前石段からB荘階段下を含めた敷 地内あるいは当時の被告人方室内を含むB荘及びその付近を超えない範囲の場 所で行われたものと認めることができる」と認定して,敢えて「B荘階段下」 を例示していることからすると,本件犯行場所が,被告人が原審で供述する 「B荘北側敷地内階段下」である可能性があることを認めているものと考えら れる。そして,原判決がそのように認定したのは,B荘敷地内は,B荘階段下 付近も含めて,市道からの見通しはよくなく,極めて人目に付きやすい場所で あるとまではいえないし,昼間であっても,付近を通行する人や車の量は多く ないと認定できるということ(争点判断2(4)イ(ア))が,前提になっていると考 えられる。しかし,記録を検討すると,以下に説示するとおり,原判決は,B荘の北側 敷地の状況について,事実を誤認しているといわざるを得ない。ア 被告人は,原審公判で,被害児の口鼻付近に手を置いたり,同児の陰部等を触ったりするなどの行為をしたのは,B荘階段下付近であり,本件毛布は, 本件犯行前に被告人方から持ち出し,B荘1階の洗濯機の脇に置いておいた もので,被害児の死亡後,その遺体を本件毛布の上に置いた旨供述している。
 そして,原判決は,本件犯行が屋外で行われた疑いを払拭できないとした上, 特に「B荘階段下」を犯行場所の例として挙げていることにもかんがみると, 被告人の上記原審公判供述の信用性を否定できないと判断したものと解され る。イ ところで,B荘は2階建てのアパートであり,1階及び2階にそれぞれ2 戸ずつが東西に並んでおり,被告人が居住していたa号室は,2階の西側の部屋である。建物の各階北側に幅員約1.2メートルの通路が設置されており, 2階の通路のほぼ真ん中辺りに東に下る階段がある。被告人が,被害児の陰 部等に触るなどしたと供述する場所は,B荘の北側敷地であって,B荘建物 北側の幅員約1.2メートルの通路部分(2階通路の下)を含む土地(以下「本 件敷地」という)である。本件敷地は,その北側で東西方向に延びる市道に 接している。本件敷地は,市道の路面よりも約0.7メートル高くなっており, 本件敷地の北端には,その東側境界から市道に沿って西に約7.4メートルに わたりブロックを4段に積んだ高さ約0.62メートルの塀が設置されている。 そして,同ブロック塀が途切れた西の端からB荘敷地の西側境界までの約1 メートルの間は,何も設置されておらず,ここがB荘敷地から市道への出入 口となっているところ,この敷地への出入口とB荘西隣の敷地を合わせると, 幅約4.3メートルにわたって開放状態になっている。B荘建物とブロック塀 との間の距離は,東側が約2.7メートル,西側が約3.9メートルである。 なお,市道の幅員は約3.4メートルであり,市道と本件敷地との境界には幅 約0.35メートルの側溝が設置されている。被告人は,被害児を南北方向に横たえ,被告人自身は被害児の体の横にい た旨供述しているところ,その供述どおりであれば,被害児の身長は125 センチメートルであることなどからすると,市道の南端と被害児及び被告人 との間は,約2.7メートル以上離れていることはなかったということができ る。そして,上記のとおり,市道の路面から上記ブロック塀の上端までの高 さは約1.32メートルであるから,市道を徒歩あるいは自転車等で通行する 者が,成人または中学生以上の年齢で通常の体格であれば,その目の高さは, 上記ブロック塀の上端よりも上にあると考えられること,本件敷地が,市道 の路面より約0.7メートル高い位置にあることなどに加えて,検証調書の写 真第1ないし3,8,9,11,37号及び写真撮影報告書の写真第2,3,5, 6,8,9号等に照らすと,弁護人が控訴趣意書において指摘しているとおり,市道を通行する者が,上記ブロック塀越しに本件敷地内の様子を見通す ことができないような状況にはなかったし,上記ブロック塀はB荘敷地北西 角で途切れており,その西隣の敷地を含めて間口約4.3メートルにわたって 開放状態になっているため,市道をB荘の西から東に向かって来た者からは, 本件敷地にいる被告人及び被害児の姿が丸見えであることが明らかである。 また,上記ブロック塀の高さは約0.62メートルであるから,被告人が立っ ていれば,その腰から上はブロック塀より上に出ており,しゃがんでいても, その頭部はブロック塀よりも上に出ている筈であって,本件敷地にいる限り, 被告人は,市道を通る者から身を隠す術がないというべきである。そして,本件犯行が,平成17年11月22日(火曜日)午後零時50分こ ろから同日午後1時40分ころの間に行われたことは明らかであり,被告人 も争っていないところ,本件犯行態様からして,被害児は,被害にあった際, 抵抗したり暴れたり声を出したりした筈であるし,被告人も,被害児から抵 抗されることを予想していたと考えられる。しかも,本件犯行が行われた日時ころ,B荘1階の2戸には,いずれもそ の住人がいたところ,その事実を被告人は知っていたと考えられ,少なくと も,1階の2戸に人がいないと確信していたとはいえない。また,本件敷地 は,B荘1階のすぐ前であって,極めて近接していることが認められる。加えて,本件犯行の前に,被告人は,市道を挟んでB荘の向かい側にある L方前の石段に座っていたところ,被告人の目の前の市道を自転車で往復し た者がおり,同人は,本件犯行当日,午後零時48分ころ市道を東から西へ 通った際,上記石段に座り携帯電話を持った被告人の近くに,被害児とおぼ しき女児が立っているのを見ている。そして,同日午後零時52分ないし5 3分ころ,B荘前の市道を西から東に向かって通行した者がいたことや,そ のころは学校帰りの小学生がB荘前の市道を東から西に向かって歩いていた ことも認められる。被告人は,B荘に居住していたのであるから,本件敷地と市道との位置関係や,市道の人通り等についても十分認識していたと考え られるし,上記のとおり,本件犯行直前にも,被告人の目の前を自転車で往 復する者がいたのである。本件敷地のように,近くに人がいる上,ブロック塀で隔てられているとは いえ市道に面しており,市道を通る者から丸見えの場所で,被告人が,白昼, 被害児を殺害してわいせつなことをするという行為を真実しようとしたのか, 本件敷地でそのような行為をすることが,心理的または精神的に果たして可 能であるのかという疑問は否定し難い。 なお,B荘1階の住人は,いずれも上記日時に特に異常な物音を聞いたこ とはなかった旨供述している,。ウ B荘敷地の状況特に本件敷地の外部からの見通し等は,上記4(4)イのと おりであって,B荘敷地内は,B荘階段下付近も含めて,市道からの見通し はよくなく,極めて人目に付きやすい場所であるとまではいえないし,昼間 であっても付近を通行する人や車の量は多くないという原判決は,事実を誤 認している。エ そうすると,本件犯行の場所は,被告人が供述する場所ではなかったので はないかという疑問を払拭することはできない。加えて,本件犯行について の被告人の原審公判供述は,本件犯行を自分の体がするのを上の方から見て いたとか,被害児を殺すことや自慰行為をすることを悪魔から命じられ,抗 えずに自分の体がそのような行為をしたけれども,自分は見ていただけで, そのような行為をしたことは感じなかったなどという,不自然不合理なもの である上,自分が被害児を抱き上げた際,同児が全く抵抗しなかったなどと いう,経験則に照らしてあり得ない供述や,同児のパンツを脱がせたことは なく,同児の死亡後にわいせつ行為をしたなど,客観的証拠と矛盾する供述 が多く含まれていることなどを考慮すると,極めて信用性に乏しいというべ きである。本件敷地の見通し状況等についての認定を誤り,かつ,被告人の原審公判 供述の信用性を否定せず,同供述によって,本件犯行の場所がB荘階段下で ある可能性を肯認した原判決には,疑問を呈せざるを得ない。オ 以上説示したとおり,原審の訴訟手続には,公判前整理手続の目的に反し て不当な点がある上,審理不尽の違法があり,かつ,原判決が,本件敷地の 見通し状況等を誤認して,本件犯行の場所がB荘階段下である可能性を肯認 した点において,その事実認定には疑問がある。ところで,当裁判所は,当審第2回公判期日において,検察官に対し,以 下のとおり釈明を命じた。すなわち,検察官は,原判決について,事実誤認 を主張しておらず,量刑不当を主張しているところ,1検察官の主張は,原 判決が「罪となるべき事実」で認定した「B荘及びその付近において,被害 児に対し原判示のとおりの強制わいせつ行為に及び,被害児を頚部圧迫によ る窒息により死亡させて殺害した」という漠然とした犯行場所及び犯行態様 等を前提としていると理解してよいか,2それとも,被告人の検察官調書3 通(検18ないし20)の証拠調請求の理由として検察官が主張している内容から すると,犯行場所や犯行態様等について,原判決が認定した事実よりも,も っと具体化された事実が認定できるということを前提としているのではない かとも解されるが,もしそうであれば,その旨を明らかにするよう求めた。これに対し,検察官は,平成20年3月5日付け釈明書において,以下の とおり釈明した。すなわち,1検察官主張の犯行場所は,論告にあるとおり 「被告人方」であるが,念のため「なお書き」において「B荘及びその付 近」としたものである。検察官が,犯行場所について訴因変更を請求したの は,犯行場所が「被告人方」であることを間接的に証明する証拠でもある被 告人の検察官調書の証拠調請求が却下され,その裁判所の訴訟指揮などから, 裁判所の心証が「実行の着手や実行行為が被告人方外である可能性もあるの で,確定できない」としているのではないかと考え,「被告人方」と認定されない場合をおもんぱかって,本件訴因変更を請求したものである。念のた めに「B荘及びその付近において」と拡張したのであり,訴因変更後におい ても犯行場所に「被告人方」が含まれることから予備的とはしなかったもの である。ところで,原判決の犯行場所に関する判示を検討すると,原判決は, 変更後の訴因のとおり「B荘及びその付近において」としているが,これは, 犯行場所が「被告人方」であることを否定したものではないから,事実誤認 とはいえず,事実誤認の主張はしなかったものである。したがって,検察官 の主張は,漠然とした犯行場所を前提としているものではない。2しかしな がら,本件は,被告人が被害児を殺害してでもわいせつな行為をしようと企 て,同児に襲いかかり,わいせつ行為をなして殺害したものであり,犯行場 所が「被告人方」と認定されようと,それを含む「B荘及びその付近」であ ると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び犯情が極めて悪質で あることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はない,というのである。カ 検察官は,原審において,本件犯行場所について被告人方であると主張し ながら,本件訴因変更を請求し,原判決が,本件犯行場所について「B荘及 びその周辺において」という本件訴因変更後の訴因と同一の事実を認定した ことから,当審において,事実誤認を主張せず,量刑不当のみを主張した。 また,上記4(4)オのとおり,検察官は,平成20年3月5日付け釈明書で, 本件殺人等の犯行場所が「被告人方」と認定されようと,それを含む「B荘 及びその付近」であると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び 犯情が極めて悪質であることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はないと 釈明しており,原判決の認定した犯行場所について不服はなく,本件犯行の 場所が,原審で検察官が主張している「被告人方」であろうと,原判決の認 定するとおり「B荘及びその付近」であろうと,量刑に及ぼす情状に何らの 軽重はないと考えていることが明らかになった。キ 原審の訴訟手続には法令違反があり,原判決の本件犯行場所についての事実認定には疑問があるものの,それらの違法または疑問点は,いずれも本件 犯行の場所についての原判決の事実認定に関するものである。そして,検察 官が,本件犯行場所が「被告人方」または「B荘及びその付近」のいずれで あっても,量刑上の軽重はないと主張している以上,刑事裁判は,検察官の 主張する事実が立証されているか否かを判断するものであることにかんがみ, 当裁判所としても,原審の訴訟手続の法令違反及び本件敷地の見通し状況等 に関する事実誤認について,それ自体では判決に影響を及ぼさないと考える こともできるとして,本件犯行場所については原判決の認定に基づき,検察 官の量刑不当の主張について判断し,弁護人の控訴理由についても調査検討 して判決を宣告する方針を一旦は固めた。そして,当審第3回公判期日にお いて被告人質問を,当審第4回公判期日において遺族の意見陳述のほか,検 察官及び弁護人が取調べを請求していた証拠についての採否決定及び採用し た証拠書類の取調べ等をした。なお,検察官が証拠調請求をした被告人の検 察官調書3通(検18ないし20)については,その取調べの必要性に関する検察 官の平成19年11月30日付け意見書等を検討しても,検察官の量刑不当 の主張との関連性及び必要性に乏しいものと判断し,取り調べないこととし た。そして,当審第5回公判期日で,検察官及び弁護人双方から刑事訴訟法 393条4項の弁論を聴いた上,結審したものである。ク しかし,本件犯行の場所を原判決認定のとおり「B荘及びその付近」すな わち「L方前石段からB荘階段下を含めた敷地内あるいは当時の被告人方室 内を含むB荘及びその付近を超えない範囲の場所」として,被告人の刑を量 定するとした場合,本件犯行が屋外でなされた場合と屋内でなされた場合と では,屋内である場合については居室に連れ込む方法も含めて,その犯行態 様は大きく異なると考えられるほか,市道を通行する者から容易に見られる ような場所で,わいせつ行為や自慰行為をしたとすれば,その責任能力に疑 問が生じたり,そのような場所でも自己の性欲を満たすため,周囲をはばかることなく犯行に及んだとして,犯情がより悪いということになるのかなど, 本件犯行場所が被告人方か屋外も含むかという差異は,そこから推認される 犯行経緯,犯行態様や動機等にも影響することが否定できないことは,本件 訴因変更請求について原審の副主任弁護人が述べた意見(上記4(1))のとおり である。この場合,原判決のとおり,本件犯行場所が屋外であるのか屋内であるの かにかかわらず,被告人については心神喪失でも心神耗弱でもないと認定で きるとしても,犯行態様については,被告人に最も有利と考えられるものを 想定して,刑を量定することになると思料される。しかしながら,本件犯行は,小学1年生である7歳の女児が,下校途中に 襲われ,性的欲望の対象とされて弄ばれるとともに,頚部を絞めて殺害され たという極めて凶悪かつ冷酷非情で残忍な犯行である。被害児に与えた苦痛 や恐怖はもとより,その両親ら遺族に与えた衝撃や悲痛の心情は甚だしい。 本件が社会一般に与えた影響,特に学童期の女児を持つ親たちや学校関係者 らに与えた不安や恐怖等も著しいと考えられる。検察官が死刑を求刑し,原 判決が無期懲役を言い渡したように,本件が非常な重罪事件であること,犯 行場所は,いわゆる訴因を構成する重要な要素であること(刑事訴訟法25 6条3項),刑事裁判は,事案の真相を明らかにし,刑罰法令を適正かつ迅 速に適用実現すべき使命を負っていること(同法1条),本件検察官調書を取 り調べれば,本件犯行場所について真相が解明される可能性が多分にあり, そうすれば,被告人が否認しているとはいえ,本件犯行の態様等が相当程度 明らかになると思料されることなどにかんがみると,検察官は,本件におい て,犯行場所がどこであるかが量刑に及ぼす影響に軽重はないと主張するけ れども,検察官及び弁護人双方の量刑不当や,弁護人の事実誤認の主張を判 断するに当たって,本件犯行の場所が,被告人方か屋外かという点について 曖昧なままに判断するのは,相当でないというべきである。たしかに,本件検察官調書について,その証拠能力を調査した結果,証拠 として採用できず,採用できたとしても,信用性が乏しいため事実認定に用 いることができないということになれば,結局,本件犯行場所については, 原判決のような認定にならざるを得ないと考えられる。しかし,それは審理 を尽くした結果であるからやむを得ないというべきである。原裁判所は,本件検察官調書の証拠能力について,検察官及び弁護人に主 張すら尽くさせないで,その証拠調請求を却下しているところ,原判決の説 示に照らすと,原裁判所がそのような措置をとったのは,本件犯行場所とし て認定した本件敷地の状況について事実を誤認したためではないかという疑 いが相当程度あり,しかも,犯行場所は訴因の重要な構成要素である上,こ れが明らかになれば,本件犯行の態様等が相当程度明らかになると思料され ることも併せ考えると,原裁判所は,本件検察官調書を取り調べなかったこ とにより,本件犯行場所について事実を誤認したのではないかと考えざるを 得ず,そうすると,上記訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明 らかであるといわざるを得ない。そして,弁護人は,本件検察官調書記載の 供述が任意にされたものでない旨主張しているところ,その具体的事由の主 張すらされていないことにかんがみると,審級の利益も考えて,第一審にお いて,同調書が証拠能力を有するか否か,その証拠調請求を却下すべきか否 かについての審理を遂げるとともに,その結果に基づいて更に慎重に審理を 尽くす必要がある。5 結論 以上説示したとおり,原審の訴訟手続の法令違反は,判決に影響を及ぼすことが明らかであるところ,原判決は,本件犯行と,死体遺棄,出入国管理及び難民 認定法違反とが刑法45条前段の併合罪の関係にあるとして,1個の刑を言い渡 しているから,その全部について破棄を免れない。 よって,検察官及び弁護人のその余の主張についての判断を省略して,刑事訴訟法397条1項,379条により原判決を破棄し,同法400条本文により,本件 を原裁判所である広島地方裁判所に差し戻すこととして,主文のとおり判決する。平成21年1月7日 広島高等裁判所第1部
裁判長裁判官 楢 崎 康 英
裁判官 森 脇 淳 一
裁判官 友 重 雅 裕
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