主文 本件控訴を棄却する。
理由 本件控訴の趣意は弁護人平田かおり(主任),同佐々木猛也連名作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これに対する答弁は検察官仁田良行作成の意見書記 載のとおりであるから,これらを引用する。1 事実誤認の主張について
論旨は,被告人が,普通貨物自動車(以下「被告人車」ともいう)を運転し, 原判示の日の午前3時41分ころ,広島市佐伯区Aa丁目b番c号付近道路 を進行中,警察車両により追尾してきた警察官に酒気帯び運転が発覚するを 免れるため,反対車線を逆行して同車両から逃れようと考え,同所先の交差 点から反対車線へと進入していたところ,同日午前3時44分ころ,対向車 両の通行を妨害する目的で,重大な交通の危険を生じさせる速度である時速 約70から90キロメートルで,原判示のBサービスエリア先道路を広島市 方面から大竹市方面に向かい進行して,折から対向してきたC運転の大型貨 物自動車の前方約24.9メートルの地点まで著しく接近し,同人に衝突の 危険を感じさせて左にハンドルを切らせ,その際被告人も衝突の危険を感じ て右にハンドルを切り,被告人車をC運転車両の右前部に衝突させ,同車両 を左斜め前方に逸走させてその左前部を道路左側の縁石に衝突させ,よって, Cに傷害を負わせたという事実(原判決の「1 裁判所が認定した罪となるべ き事実」の項(1)。以下「本件事故」という)を認定した原判決について,被 告人は,とにかく警察車両から逃れることだけを意図していたのであり,対 向車両の通行を妨害する積極的な意図を有していなかったから,被告人に「対 向車両の通行を妨害する目的」があった旨認定し,危険運転致傷罪の成立を認めた原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があると いうのである。所論にかんがみ記録を調査して検討するに,原判決の事実認定は,原判決 の「2 前記1の事実を認定した証拠の標目」の項の「なお」以下で説示す るところも含めて,おおむね正当として是認できる。以下,付言する。(1) 関係各証拠によると,以下の事実が認められる。
ア 被告人は,飲酒の上,被告人車を運転し県道D線を南から北に向かっ て走り,原判示の日の午前3時39分ころ,国道2号線Eバイパス高架 下道路と交差する通称F交差点南側の2車線のうちの右折専用車線上 で,信号待ちのため停止した先行車の後方に被告人車を停止させていた。
 すると,その後方に警察車両が停止し,中から降りてきた警察官が,職 務質問を行うため被告人車の運転席窓ガラスをノックした。被告人は, 酒気帯び運転が発覚するのを恐れて,直ちに被告人車を発進させ,信号 を無視して同交差点を左折し,Eバイパス高架下道路を西進した。上記 警察車両は,降りていた警察官を乗せて発進し,被告人車に続いて同交 差点を左折し,赤色灯を点灯しサイレンを吹鳴させて,停止命令を繰り 返しながら被告人車を追跡した。イ 被告人は,警察車両の追跡を受けながら,Eバイパス高架下道路を, 時速約60キロメートルで西進し,広島市佐伯区Aa丁目b番c号先G 交差点手前において,同交差点から反対車線に入り同車線を逆行すれば, 警察車両もそれ以上の追跡を諦めるであろうと考え,同日午前3時41 分ころ,同交差点で,その進路を右に変更して反対車線に進入し,さら に西進を続けて同車線に接続するEバイパスHランプ流出路に逆方向か ら進入した。ところが,警察車両は,被告人車を追跡して,同流出路に進入してきたので,被告人は,そのままEバイパス(本線)東行道路(上 り線)に進入し,時速約70ないし90キロメートルで西進を続けたと ころ,警察車両も,被告人車の約150ないし200メートル後方を同 車に追従して走行した。ウ Eバイパスは自動車専用道路であり,その上り線は幅員約9.7メー トルの2車線で,平行して走る同バイパス下り線との境界には中央分離 帯があり,上り線から下り線への移行はできない。同バイパスは,上り 線下り線ともに昼夜間を問わず車両の通行が頻繁である。なお,EバイパスのHランプより西方にBサービスエリアがあり,そ の間にIトンネルがあって,本件事故は,同トンネルと同サービスエリ アとの間で起きたものであるところ,その道路状況は,同サービスエリ ア方面から同トンネル西側入口に向けて右(通常の進行方向に向かって 右側。以下同様にいう)に緩やかに湾曲し,同トンネル東側出口から東 に向けて左に緩やかに湾曲した後は,ほぼ直線であり見通しは良い。エ 被告人は,Eバイパス東行道路の逆行を開始して間もなく,同道路の 第2車線と第1車線(道路中央線側の車線を「第2車線」,その左側の 車線を「第1車線」という)をほぼ並行して対向進行してきた大型貨物 自動車および普通自動車を前方約56メートルないし56.3メートル に発見して,衝突の危険を感じたものの,それらの車両が左右に避けて くれたため,被告人車は,その間を抜けて進行することができた。また, 10台弱くらいの車両の集団が対向して走行してきたことがあったとこ ろ,それら車両の中には,被告人車が走行していた第2車線を走行して きた車両もあったが,それらの車両は,被告人車に気づいて避けてくれ たため,被告人車は衝突せずに進行することができた。その間,被告人は,その進路前方から対向車両が走行してきたときには,その運転者が, 被告人車を発見して避けてくれるよう,同車の前照灯を点灯し,その進 路前方に対向車両がいなくなれば,警察官に被告人車の位置が分からな くなるよう,前照灯および尾灯を消すことを繰り返しながら進行を続け た。オ Cは,大型貨物自動車(以下「C車」という)を運転し,その進路前方 約30メートルを進行していた普通乗用自動車(タクシー)に追随して, Eバイパス上り線の第2車線上を時速約70キロメートルで進行してい た。すると,上記タクシーが急に第2車線から第1車線に進路を変更し, その瞬間,C車の進路前方約56.9メートルにライトが2つ見えたの で,とっさに危険を感じて左にハンドルを切るとともに急ブレーキをか けたものの,C車が第1車線に入りかけたときに,同車の右前部分が, 対向してきた被告人車の右前部分と衝突して,本件事故が発生した。(2) 以上認定したとおり,被告人は,被告人車を運転して,信号待ちのた め交差点手前で停止中,警察官に職務質問されそうになったことから,酒 気帯び運転の発覚を免れようとして被告人車を発進させ,逃走を開始した ところ,警察車両が追跡してきたため,Eバイパスを逆行すれば,警察車 両もそれ以上の追跡を諦めるであろうと考えて,その逆行を始めたもので ある。そして,その後の被告人車の走行状況にかんがみると,被告人は, 何台もの対向車両とすれ違ったり,対向車両と衝突する危険を生じさせた ことから,そのままEバイパス上り線を逆行し続ければ,さらに対向車両 と衝突する危険が生じることを十分に認識しながら,警察車両の追跡から 逃れるためには,その危険を生じさせてもやむを得ないと考え,敢えて逆 行を継続したものと認められる。なお,実際に被告人車が対向車両と衝突してしまえば,それ以上逃走することができなくなるところ,被告人は, 上述のとおり,本件事故に至るまでの間は,対向車両と衝突する危険が生 じた際,いずれも対向車両に急ハンドルや急ブレーキ等の措置を取らせる などして,被告人車との衝突を回避させたことから,被告人車がさらにE バイパス上り線の逆行を続け,対向車両に同様の措置を取らせて衝突を避 けさせることにより,逃走できることを期待して,逆行を続けたものであ ることが認められる。そうすると,被告人は,警察車両の追跡から逃れるため,逆行を継続す ることにより,対向車両が被告人車と衝突する危険を生じさせるとともに, 逃走を続けるために,対向車両に対し被告人車との衝突を避けるための措 置を取らせることをも意図しながら,逆行を継続したものということがで きる。所論は,危険運転致傷罪が成立するためには,相手の自由かつ安全な通 行を妨げることを積極的に意図することが必要であって,その未必的な認 識では足りないとの解釈が立案担当者からも示されている(「刑法の一部 を改正する法律の解説」法曹時報第54巻第4号71頁)と指摘した上, 被告人の意思は,一貫して,警察車両から逃れることにあったのであり, 被告人は,対向車両の自由かつ安全な通行を妨げることを積極的に意図し ていないから,被告人に人または車の通行を妨害する目的はなく,同罪は 成立しない旨主張する。たしかに,被告人は,警察車両から逃れることを意図して,Eバイパス を逆行したものである。しかし,自動車専用道路であるバイパスを逆行すれば,直ちに対向車両 の自由かつ安全な通行を妨げる結果を招くことは明らかであり,バイパスを逆行することと対向車両の自由かつ安全な通行を妨げることとは,表裏 一体の関係にあるというべきである。また,上記認定事実に照らせば,被 告人が,警察車両の追跡から逃れるため,バイパスを逆行することを積極 的に意図していたことは明らかである。そして,バイパスを逆行すること を積極的に意図していた以上,被告人は,これと表裏一体の関係にある対 向車両の自由かつ安全な通行を妨げることをも積極的に意図していたと認 めるのが相当である。(3) したがって,対向車両の通行を妨害する目的が被告人にあったと認定 した原判決に,所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。2 量刑不当の主張について 論旨は,被告人を懲役1年6月に処した原判決の量刑は,重過ぎて不当であるというのである。 所論にかんがみ記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せ検討する。 本件は,被告人が,1普通貨物自動車を運転して,バイパス道路の反対車線に進入し,対向車両の通行を妨害する目的で,重大な交通の危険を生じさ せる速度で逆行して,折から対向してきた大型貨物自動車に著しく接近し, 被告人運転車両を同大型貨物自動車に衝突させるなどして,同車を左斜め前 方に逸走させてその左前部を道路左側の縁石に衝突させ,その運転者に加療 約5日間を要する右膝・右肘打撲および擦過傷ならびに加療約170日間を 要する頚椎捻挫,腰椎捻挫の傷害を負わせ,2その際,酒気を帯びて上記普 通貨物自動車を運転したという事案である。本件危険運転致傷は,被告人が,飲酒後,自動車を運転して交差点手前で 信号待ちのため停止中,警察官に職務質問されそうになったことから,酒気帯び運転の発覚を免れようと考え,信号を無視して逃走を開始し,警察車両 に追跡されて,その追跡から逃れるため,深夜とはいえ多くの自動車が走行 する自動車専用道路であるバイパスの反対車線に進入し,2.6キロメート ル以上もの距離を,時速約70から90キロメートルという高速度で逆行し た上,被害者運転車両に衝突して,被害者に長期間の加療を要する傷害を負 わせたものである。その犯行態様は,対向車との正面衝突の危険性の高い, 極めて危険なものである。しかも,被告人は,被告人車の走行位置を警察官 から把握されにくくするため,対向車がいないと思うと前照灯を消し,対向 車があれば前照灯を点けるということを繰り返しており,対向車の安全とい う意識は全くみられない。被害者に負わせた傷害の程度も重く,職業運転手 である被害者は,本件事故による傷害のため長時間の運転に困難を覚えるな どしたことが窺われるところ,被告人について厳しい処分を望んでいる。ま た,被告人が逆行したEバイパスは,中央分離帯によって上下線が分離され, 交差点もないことから,自動車が逆行してくることなどあり得ない筈の道路 であって,本件被害者のみならず,その運転車両の前方を走行し,被告人車 と行き違った多くの自動車の運転者らも,進路正面から突然高速度で被告人 車が走行したことにより,甚だ驚愕したものと認められ,中には,緊急の回 避措置を取って,ようやく被告人車と正面衝突を回避できたものの,生命の 危険を感じた者もあったことが認められる。本件の動機や経緯に酌量の余地 はない。本件酒気帯び運転は,本件事故の約1時間30分後においても,呼気1リ ットルにつき約0.3ミリグラムものアルコール分を身体に保有する状態で あったにもかかわらず,上述のとおり,酒気帯び運転の発覚を免れるため, 警察車両から追跡されながら危険な運転をしたものであって,その動機,態様ともに甚だ悪質である。しかも,普通車の酒気帯び運転による罰金前科が 2犯あることにもかんがみると,被告人は,交通法規を無視しており,飲酒 運転の常習性も窺われる。したがって,被告人の刑事責任は重い。
そうすると,本件危険運転致傷の被害者との間で,人損分として192万 1503円を支払って示談を成立させたこと,物損分についても,原判決後, 損害賠償金を支払って示談を遂げたこと,被告人が,本件について反省の態 度を示していること,被害者およびその運転車両の所有会社に対して見舞品 を送ったほか,被告人およびその母親において,被害者に謝罪の意思を伝え たこと,被告人は,本件事故により右脛骨高原骨折,左下腿挫創の傷害を負 い,合計約3か月間入院治療を受けたほか,その傷害が原因で従前のように は働けなくなったこと,本件事故当時運転していた自動車は廃車処分となり, 本件犯行により被告人の自動車運転免許も取り消されたこと,被告人には上 記のほかには前科がないこと,被告人には扶養すべき妻および幼児がいるこ と,妻が,原審公判に出廷して,被告人に飲酒運転をさせない旨述べている こと,母親も,妻とともに被告人を監督する旨の書面を提出していること, 本件事故後,被告人が勤務するようになった建設会社の代表者が,当審公判 に出廷して,被告人の技術,経験および指導力を評価して現場責任者を任せ ており,今後も被告人の雇用と指導を約束する旨供述していることなどの諸 事情を十分考慮しても,原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。
 論旨は理由がない。なお,原判決は,危険運転致傷の事実を認定した上,その罰条として,単 に平成19年法律第54号による改正前の刑法208条の2第2項前段(平 成19年法律第54号附則2条)のみを挙示しているところ,同条項は,その刑につき「前項と同様とする」と規定しており,同条1項前段によれば, 人を負傷させた場合と死亡させた場合とではその法定刑が異なるのであるか ら,この点を明らかにするには,更に上記事実がそのいずれの場合に当たる のかについても,法令の適用でこれを明示しておく必要があるというべきで あり,原判決は,この点の摘示を遺脱している。しかしながら,本件の起訴 状には,罪名として「危険運転致傷」と記載されており,原判決も「1 裁 判所が認定した罪となるべき事実」の項の(1)において,被害者に傷害を負 わせたという公訴事実と同じ事実を認定しているから,上記21が人を負傷 させた場合であることは明らかであり,原判決が,上記21について上記改 正前の刑法208条の2第2項前段(負傷させた場合)に該当するとしている ことも明らかである。したがって,原判決の法令適用には,人を負傷させた 場合であることについての摘示遺脱があるものの,その遺脱があることをも って,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるとはいえな い。 よって,刑事訴訟法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。 平成20年5月27日
広島高等裁判所第1部
裁判長裁判官 楢 崎 康 英
裁判官 森 脇 淳 一
裁判官 友 重 雅 裕
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