主文
 原決定を取り消す。
 本件証拠開示命令の請求を棄却する。
理由
1 本件即時抗告の趣意は,検察官B作成の即時抗告申立書記載のとおりであるから,こ れを引用する。論旨は,弁護人からの「司法警察員Aが被告人の取調べの際に書き留めた備忘録の一切 を速やかに開示しなければならない」旨の証拠開示命令の請求について,原決定が,検察 官に対し,上記司法警察員が,犯罪捜査規範13条に基づき,被告人の取調べについてその 供述内容や取調べの状況等を記録した備忘録(以下「本件備忘録」という)であって,捜 査機関において保管中のものを平成20年4月9日までに開示することを命じたのは不当であ るから,その取消しと本件証拠開示命令の請求の棄却を求めるというのである。2 本件についての経緯は,原決定の理由(以下,単に「理由」という)2(1)ないし(6) のとおりである。そして,弁護人は,検察官が証拠調べを請求している被告人の自首調書 (検察官請求証拠番号乙1)の自首した事実の立証趣旨を超える部分については同意せず, 被告人の警察官調書4通(同番号乙7ないし9,11)の各一部について不同意の意見を述べ, これら自首調書および警察官調書4通(以下,併せて「本件証拠」という)の刑事訴訟法322 条1項による取調べ請求に対しては,上記警察官調書4通の不同意部分の各供述が,被告人 の知識不足,理解不足に乗じて捜査官にとって都合の良い供述が引き出された疑いがある 旨主張して,その任意性および信用性を争っている。また,弁護人は,その任意性に疑い を差し挟むべき事情として,理由2(2)(5)の主張(以下,これら弁護人の主張を併せて「本 件主張」ともいう)をし,第5回公判前整理手続期日において,任意性に関する被告人質問 は必要であると考えている旨述べている。3 所論は,証拠開示請求の前提としての弁護人の主張明示義務が尽くされていないのに, 主張明示義務が尽くされている旨判断した原決定には違法がある旨主張する。たしかに,弁護人は「取調警察官が被告人の言い分では話が進まないということでたた みかけるように質問をして調書を作成し,被告人がよく意味がわからないまま署名指印し た疑いがある」などと主張したのみであり,所論が指摘するように「どの捜査官が,いつ, どこで,どのような場面で,どのような被告人の供述内容について,具体的にどのような 話をし,それによって,被告人がどのような心境になり,どのような供述を受け入れ,い つ,どのような内容の調書が作成されたのか」ということまで具体的に主張してはいない。ところで,刑事訴訟法316条の17第1項は,被告人または弁護人が,証明予定事実その他 の公判期日においてすることを予定している事実上および法律上の主張を明らかにしなけ ればならない旨(主張明示義務)を規定している。そして,その主張には,検察官が請求 する被告人の自白(刑事訴訟法319条1項)または不利益事実の承認を内容とする書面(同 法322条)についてのいわゆる任意性や,それら書面の信用性を争う根拠となる事実も含ま れると解されるところ,主張明示義務は,公判前整理手続において,事件の争点および証拠を整理し,後の公判において取り調べるべき証拠(証拠となる被告人質問を含む)を決定し,明確な審理計画を策定することに資するためのものであるから,その主張は,ある程度具体的であることが望ましいことはいうまでもない。しかし,明確な審理計画を策定するに足りる程度の主張がされていれば,主張明示義務は果たされているというべきであり,検察官が指摘するような個別具体的な事実までをも主張しなければならないとは解されない。
 所論は,弁護人に対し,後の公判において行われる被告人質問の際に,被告人が供述する予定の供述内容を,ほぼそのまま主張することを強いるに等しく,相当とはいい難い。そもそも,検察官が主張しているように,弁護人の主張自体が,被告人の供述の任意性や信用性に疑いを生じさせるようなものでないというのであれば,検察官は,そのことを前提に訴訟準備を行えばよいのであるから,本件における弁護人の主張によって,後の公判において取り調べるべき証拠を決定し,審理計画を策定することは,十分可能であると認められる。
したがって,弁護人は同法316条の17第1項の主張明示義務を尽くしているから,本件主 張が主張明示義務を尽くしているとした原決定の判断は相当である。4 所論は,本件では,証拠開示命令の対象とすることができない個人的メモ以外の備忘 録は存在しないのに,本件備忘録の開示を命じた原決定は,対象となり得るものが存在し ないにもかかわらず,存在しないものの開示を命じた違法がある旨主張している。しかし,最高裁判所平成19年(し)第424号同年12月25日第三小法廷決定(以下「最高裁 決定」という)は,取調警察官が犯罪捜査規範13条に基づいて作成した備忘録であって, 取調べの経過その他参考となるべき事項が記録され,捜査機関において保管されている書 面は,およそ検察官が主張しているような「個人的メモ」とはなり得ない旨説示したもの と解される。なお,犯罪捜査規範13条が,警察官は,当該事件の公判の審理に証人として 出頭する場合を考慮し,また将来の捜査に資するため,捜査の経過等を明細に記録してお かなければならない旨規定していることに照らすと,「備忘録」は,それを作成した警察 官において保存すべきものとされていると解されるから,上記「捜査機関」とは,当該備 忘録を作成した警察官を含む趣旨であると解するのが相当である。そうすると,本件備忘録は,取調警察官であるAによって作成され,被告人についての 取調べの経過その他参考となるべき事項が記録されている以上,犯罪捜査規範13条に基づ いて作成された備忘録と解するほかないのであって,証拠開示命令の対象となり得るもの と解される。なお,検察官は,即時抗告申立書第2の4において,原決定が最高裁決定の理解を誤って いる旨るる主張しているけれども,それらの主張は,いずれも採用の限りではない。5 ところで,刑事訴訟法316条の20第1項は,いわゆる主張関連証拠の開示請求があった 場合において,「その関連性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をする ことの必要性の程度」等を考慮して,相当と認めるときに,検察官において当該証拠を開 示すべきことを規定している。この点を本件についてみると,弁護人は,「被告人側の本件に関する主張及び請求等の 補足」と題する書面において,被告人は殺意を否認しているところ,本件証拠には,刺し どころが悪ければ死ぬかも知れないと「認識」していたなどと,被告人の素養からしてお およそ使用され得べくもない極めて法律的な用語が記載されており,捜査官の意図的な作 文が疑われるとか,本件証拠中にある,逮捕された後も,被害者に掴まれた腕に痛みが残 っていましたなどという供述の記載も極めて不自然であって,同様の疑いがあり,被告人 が任意に述べたものではない疑いがあるなどと主張している。
 しかし,上記弁護人の主張によれば,被告人は,致命的臓器損傷を伴う刺突は敢えて避けているというのである。そうすると,被告人が,刺しどころが悪ければ死ぬかも知れないということを思っていたことは明らかであり,そのことを取調官が「認識」という言葉で表現したとしても,直ちに任意性についての疑いを生じさせるものではない。また,逮捕された後も被害者に掴まれた腕に痛みが残っていたという供述も,それ自体から不自然であるとはいえない。これらの主張は,任意性を疑わせる具体的な事情を主張するものとはいえない。
また,弁護人は,本件証拠開示命令申立書において,本件証拠の任意性や信用性に疑問 を生じさせる事情として,その記載内容から「被告人が真意を理解して任意に述べたもの ではなく,作成された調書記載事実の持つ意味を深く認識するほどの知識経験に乏しい被 告人が,捜査官のいわれるままに迎合的に署名指印した疑いがある」と主張し,第6回公判 前整理手続期日において,上記の補足として「被告人が捜査官から,おまえの言うような ことを言っとったら話がこれ以上先に進まないやないか,こういうことではないのかとた たみかけるように言われ,話が進まない進まないということで調書を次々と作成され,よ く意味がわからないまま署名指印した疑いがある」と主張している。しかし,上記弁護人の主張も,弁護人において,任意性や信用性を問題にしているのが, 本件証拠の,被告人の行為に関する部分であるのか,故意等の主観的な面に関する部分で あるのか,相手方の行動等に関する部分であるのかということが全く不明であり,かつ, 弁護人主張のようなことを捜査官から言われたことにより,どうして,被告人の供述が任 意でされたものではないという疑いが生じるのか明らかではない。しかも,弁護人の主張に照らしても,本件備忘録の開示が,いかなる意味で,被告人の 防御の準備のために必要であるのかについても,何ら明らかにはされていない。
 そうすると,本件備忘録が,一般的には,本件証拠の任意性を争うための客観的な証拠として極めて重要と考えられること,公判で任意性に関する被告人質問が行われることが予定されていること,被告人質問の結果によっては,被告人を取り調べた捜査官の証人尋問が行われる可能性があることなどを十分考慮しても,本件備忘録の開示が,被告人側の訴訟準備と争点整理,証拠整理が十分になされるようにするために必要であるとはいえない。
したがって,本件証拠開示は,その必要性の程度が十分とはいえず,相当性を欠くから, 弁護人は,本件備忘録の開示を求めることはできないといわざるを得ない。6 よって,本件即時抗告は理由があるから,刑事訴訟法426条2項により,原決定を取り 消し,本件証拠開示命令の申立てを棄却することとして,主文のとおり決定する。(裁判長裁判官・楢崎康英,裁判官・森脇淳一,裁判官・友重雅裕)
判例本文

この判例ページのURL

LINEで送る
Pocket