平成21年(ワ)第5667号 損害賠償請求事件 判決 主文
1 被告は,原告X1に対し,1002万5000円及びこれに対する平成17 年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2に対し,587万5000円及びこれに対する平成17年 7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを5分し,その2を被告の負担とし,その余を原告らの負 担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。事実及び理由
第1 請求
1 被告は,原告X1に対し,2498万8623円及びこれに対する平成17 年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告X2に対し,1587万5174円及びこれに対する平成17 年7月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
1 事案の概要
 本件は,腹痛によって被告が設立,運営する被告病院の救急外来に救急車で搬送されたAが,消化管穿孔による穿孔性腹膜炎により死亡したことについて, Aの相続人である原告らが,被告病院医師には消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の 可能性を考えて腹部CT撮影ないし左側臥位での腹部X線撮影を行うべき義 務を怠った過失があると主張して,被告に対し,診療契約の債務不履行又は不 法行為(使用者責任)に基づく損害賠償を求める事案である。2 前提事実(証拠を掲記しない事実は争いがない)
(1) 当事者
ア Aは,昭和3年○月○日生まれの男性であり,平成17年7月6日に死亡した(甲C1の1)。
 原告X1は,Aの妻であり,原告X2は,Aの子である(甲C1の1,2)。
イ 被告は,被告病院を開設する地方公共団体である。
(2) 事実経過の概略(なお,以下特に断らない限り,月日は平成17年のも のである。)ア Aは,7月4日午後6時55分ころから,自宅において腹痛を訴えるよ うになり,救急車で被告病院へと搬送された(乙A2の1・17頁)。イ 同日午後7時33分ころ,Aは被告病院救急外来に到着し,救急外来を担当していた内科の医師による診察を受けた。
 Aの状態は,体温が35.3°C,心拍が毎分76回,SPO2が96%,収縮期血圧が165mm Hg で,同日午後7時38分ころに緊急で採血を実 施して血液検査及び生化学検査を行い,同日午後7時53分ころ,腹部単 純X線撮影として,臥位の写真が1枚撮影された。このとき,この担当医師によって,腹部について「hard?(力が入って る)」,「腸音弱い」との所見がカルテに記載されている。 血液検査の結果は,CRPが0.23,WBCが6600と炎症反応は みられなかった(乙A2の1・7頁,21頁)。
 担当医師は,ラクトリンゲルの点滴を指示し,今夜は絶飲食でフォロー とするとの方針とした。
ウ 同日午後8時13分ころ,頭部単純CT撮影が実施された。
エ 同日午後8時40分には,Aには左下腹部痛があり,グリセリン浣腸が 実施されたところ,少量の便が排出された。
 担当医師は,Aの口の中が茶色いような状態であったことを確認したが,ラクトリンゲルを500ml/2時間の速度で点滴し,生理食塩水100ml にガスター1Aを加えたものを点滴に混注した。
オ Aは,近いうちに消化器科を受診するよう指示を受け,同日午後10時50分ころ,原告らとともに,自宅に戻ることとなった(乙A3・18頁)。
 原告らは,帰宅しようとしたものの,Aの状態が苦しそうであったため, 同日午後11時15分ころ,被告病院救急外来に再度赴き,担当医師にそ の旨訴えた。担当医師は,原告X2に対してAの入院を勧めたところ,原告X2は「今 は考えたい」と述べ,その後,Aを救急外来で朝まで待たせたい旨申し出 て,待機することとした。その結果,Aは,救急外来のベッドで,ラクトリンゲルの点滴を朝まで 2本受けることになり,朝になったら消化器内科を受診する予定となった。カ その後,Aは,口腔から茶褐色のものを少量出し,どこが痛いかを聞か れてもすべてうんと答えて,うなっているような状態が続いた。(乙A3・ 20頁)キ 7月5日午前7時ころ,救急外来担当医師が,Aを観察し,茶褐色の吐 物を確認し,一晩中うーうーとしているとの経過を踏まえて,緊急で採血 が行われたところ,白血球数が1100まで激減していることが判明し, 同日午前7時30分ころから,抗菌薬であるカルベニンの点滴が開始され た(乙A2の1・8頁)。このころ,被告病院消化器内科医がAを診察し, 腹部が膨隆し,腹部が硬くなっている疑いがあったことから,腹部から骨 盤にかけて単純CT撮影の実施を指示した。ク 同日午前8時6分ころに撮影された同CTでは,腹水とフリーエアが確 認されたため,消化管穿孔による腹膜炎の疑いで,外科にコンサルトが実 施され,Aを診察した被告病院外科医は,消化管穿孔と診断した。ケ Aは,同日午前10時30分,被告病院救急外来から同外科に緊急入院(3)
となった。Aは,入院時点で,全身状態が既に不良であったため,開腹手術の適応はないと判断され,抗菌薬等による保存的治療が行われたが,7月6日午前8時11分に死亡が確認された。
 Aの直接死因については,穿孔性腹膜炎とされている。
本件に関する医学的知見(甲B2ないし5,甲B14)
 急性腹症の鑑別について
ア 腹痛を主訴として患者が受診した場合には,まず緊急開腹手術を要する状態であるか否かを迅速に判断する必要があり,消化管穿孔による腹膜炎 は,緊急手術を要する疾患の中でも代表的なものの1つとされている。イ 腹痛を主訴とする患者に対しては,急性腹症か否かの鑑別のために,問診,バイタルサインのチェック,腹部理学的所見の把握,緊急血液検査, 緊急画像診断(X線撮影,超音波,CTなど)が必要となる。
ウ X線撮影については,少なくとも臥位と立位正面を撮影する必要がある とされており,立位になれない場合には,左側臥位正面像を撮影するとされている。これは,鑑別に極めて重要な腹腔内遊離ガスの有無の確認には, 立位正面や左側臥位正面が有用な場合が多いことによるものである。エ また,腹部CT検査も,腹腔内遊離ガスの有無の確認に有用な場合が多いとされている。
 3 争点
(1) 消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性を考えて腹部CT撮影ないし左側 臥位での腹部X線撮影を行わなかった注意義務違反の有無(2) 因果関係の存否
(3) 損害
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性を考えて腹部CT撮影な いし左側臥位での腹部X線撮影を行わなかった注意義務違反の有無)について 【原告らの主張】
ア 腹部CT撮影ないし左側臥位での腹部X線撮影を行うべき注意義務に ついて(ア) Aは,単なる腹痛患者ではなく,腹痛を最も顕著な主訴として救急 車で搬送されてきたものであり(被告が主張する頭頂痛の主訴はなかっ た),また,被告病院搬送後も,意識が不清明で,発語が困難で意思疎 通ができず,すべて「うん」あるいは「うー,うー」と発語し,担当医 師の触診によって腹部が硬くなっている疑いがあることが確認された 上に,茶褐色状の液体を口から出していた。
 これらの重症感を窺わせる身体所見からは,Aは明らかに異常な状態 であり,緊急手術が必要な疾患を疑うべき状態であったといえる。(イ) かかる症状を呈していたAについては,消化管穿孔及び穿孔性腹膜 炎の可能性をも念頭において,鑑別を進める必要があるが,急性腹症の 患者の腹部X線撮影においては,少なくとも臥位と立位正面を撮影する 必要があるとされている。仮に,Aが腹痛等のために立位を保持するこ とが困難だったのであれば,遊離ガスを鋭敏に描出可能な検査である腹 部CT検査か,せめてX線撮影の際に,左側臥位正面像をも撮影して, 消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の鑑別のために必要となる診療情報を得 る必要があった。(ウ) 一般にCTは腸管の性状,微量の遊離ガス,周囲脂肪織の観察がで きるため,消化管穿孔の診断のみならず,その穿孔部位の診断において も極めて有用であるとされている。実際の臨床現場においても,消化管穿孔症例の85%で,CT画像上 で遊離ガスが検出されたことが報告されている。また,穿孔部位別の検 出率については,上部消化管穿孔及び大腸穿孔において非常に高い率で遊離ガスが検出され,小腸穿孔においては比較的検出率が低めとなっているとの報告があるが,小腸穿孔は大変稀な症例であるとされている。 (エ) また,Aは,一旦自宅に戻ることになって病院を離れた直後に,被告病院救急外来を再受診し,その後も苦しそうな状態が続いていた。 (オ) 以上によれば,被告病院医師は,本来であれば7月4日午後7時5 3分に臥位でX線撮影を行った時点で,消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性も考えて腹部CT撮影ないし左側臥位での腹部X線撮影を行い, あるいは,せめて同日午後11時15分ころに再度受診した際に,同様 の鑑別を行うべき注意義務があった。イ 被告病院医師の義務違反
 被告病院医師は,Aの腹部X線写真を撮影するにあたり,仰臥位正面像 しか撮影を行わず,その後,腹部CT撮影や,立位ないし左側臥位正面像 での腹部X線撮影を行わなかった。
ウ 被告の主張(下記ウ)に対する反論
原告X2は,入院病棟に移っても医師の目が届かなくなってしまうので はないかと危惧し,救急外来に留まることを選択したのであり,担当医師 もAが救急外来に留まることを了承した。そして,救急外来待機中も,Aは医師から帰宅を指示されたこともない し,現実に被告病院看護師によって観察された病状が診療録に記載される とともに,ガスター投与などの医学的処置がされているのであって,かか る処置が,診療契約に基づいて実施されていることは明らかである。以上により,Aと被告との間の診療契約は,Aが死亡するまで継続して いたというべきである。原告X2が救急外来に留まることを選択した時点 において,被告病院医師はAの腹痛の原因鑑別が終わっておらず,診療契 約上の義務は十分に履行されていないが,この点からも,診療契約が終了 しているとは到底評価し難いといわざるをえない。【被告の主張】
ア 救急外来時の診察,検査及び診断について
医師は,救急外来患者を診察する場合,不十分な情報の中で,可能な限 り早く,可能な範囲で正確に,診断を下し,患者に対する必要な治療を開 始するが,すべての検査を救急外来時に行うことまで求められるものでは ない。すべての患者の訴えに対して,時間的にも限られた救急外来で検査を行 わなければならないとすれば,医療従事者に不可能を強いるものであり, かつ過剰診療そのものである。イ 救急診療時の診療について
 担当医師は,Aが高齢者であり,片麻痺,車椅子で,救急外来時以前からコミュニケーションが困難で,「うー,うー」としか発語できない常態 であるとして診断した上,血液検査データの数値は正常範囲にあり,腹部 触診においても腹部に力が入っていたため,Aの腹部の所見ははっきりせ ず,腹部が硬くなっている疑いがあるような状態ではなかったため,この 時点で,消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性を疑い,さらに左側臥位X 線撮影及び腹部CT撮影を行う必要はなかった。また,Aは,立位がとれず,左側臥位X線撮影を行うための姿勢がとれ なかったので,左側臥位X線撮影を行うことは不可能であった。
 そして,担当医師は,救急外来患者であるAに対して,腹部触診,血液 検査,仰臥位正面像を撮影し,なすべき診療を尽くしているといえるから 救急診療時の診療に過失はない。
ウ 再受診時の対応について
 Aは,原告らの判断によって,救急外来に留まることすなわち,入院し ないことを選択したのであるから,そもそも,入院を伴う診療契約の締結 は当事者間ではなされていない。
そして,物理的に救急外来に留まっているだけで,診療契約が終了しな い,あるいは,継続的に入院を伴う診療契約と同等の注意義務が発生する と解するのは不合理である。したがって,患者が外来で待機している間には,そもそも経過観察義務 は生じず,あるいは,生ずるとしても,その程度は軽減されるものである。
 本件では,7月5日午前7時の血液検査の結果,白血球数が1100と 急激に悪化したという変化が見られたため,同日午前8時6分ころにCT 検査を行ったのであり,被告病院医療従事者らの処置は具体的な患者の変化に対応し,適切になされた。
(2) 争点(2)(因果関係の存否)について 【原告らの主張】ア 消化管穿孔による腹膜炎は,一晩放置したまま経過すると,十分に救命 可能性が失われうる,緊急性のある疾患である。他方で,早期診断・早期 治療が行われれば十分に治療できる疾患でもあり,手術までの経過時間等 が予後に大きな影響を与えるとされている。イ Aの消化管穿孔部位は特定されていないが,上部消化管穿孔であれば比 較的予後は良好とされている。また,仮に下部消化管穿孔であったとして も,Aが腹痛を訴え始めたのは7月4日午後7時ころのことであり,消化 管穿孔はおおむねこの時期に発症したものと考えられるところ,Aは同日 午後7時33分には被告病院を受診しており,一旦帰宅することとなった 後に再度受診したのは同日午後11時15分ころのことであるから,下部 消化管穿孔治療のゴールデンタイムとされる発症から10時間以内とい う条件を十分に充たすタイミングで,被告病院において確定診断に至り得 たはずである。また,この受診時点におけるAの白血球数は6600であ ったことが確認されており,死亡例の集中する5000以下という状態に は未だ至っていなかった。また,この時点における収縮期血圧は165mmHg であり,やはり死亡例の集中する術前のショック状態合併という病状に は至っていなかった。このようなAの全身状態からすれば,同日午後7時53分に臥位でX線 撮影を行った時点で,腹部CT撮影ないし左側臥位での腹部X線撮影を行 い,穿孔性腹膜炎としての治療を開始していれば,あるいは,せめて同日 午後11時15分ころに再度受診した際に,同様の鑑別が行われていれば, 緊急手術の機会を失することはなく,救命できたといえる。ウ 被告の主張に対する反論
 穿孔性腹膜炎の症例においては,白血球数が基準値内の症例も相当程度 あり,診断時の白血球数が正常であっても,穿孔性腹膜炎の診断がなされ ている。したがって,血液検査が正常である場合は画像診断できないとい う被告の主張は,医学的根拠を欠くものである。
エ 以上により,被告病院の注意義務違反とAの死亡との間には因果関係が ある。
【被告の主張】
ア Aの血液検査の結果が正常値であったこと及び仰臥位正面像から穿孔所見がなかったことによれば,仮に,その時点でさらに左側臥位正面像, 腹部CT検査を行っていたとしても,消化管穿孔を疑うような所見は得ら れなかった。
 したがって,原告らが主張する時点で,消化管穿孔と診断することは不 可能であるから,当該時点で外科的手術を行うことはありえない。イ なお,Aの消化管穿孔は,7月5日午前7時の血液検査結果を契機とし たCT検査によって判明したのであり,当該時点で手術を行っても救命し えなかった。
ウ 以上により,原告ら主張の注意義務違反とAの死亡との間に因果関係は ない。
(3) 争点(3)(損害)について 【原告らの主張】
ア A本人の損害 (ア) 逸失利益 (イ) 慰謝料 (ウ) 葬儀費用 (エ) 相続 163万3797円
3000万0000円
 150万0000円
 Aの相続人は妻である原告X1,長男である原告X2及び次男である ところ,上記損害賠償請求権について遺産分割協議が成立し,原告X1 が8分の5,原告X2が8分の3の割合で取得するとの合意をした。イ 近親者固有の慰謝料 各200万0000円
ウ 弁護士費用
(ア) 原告X1
(イ) 原告X2 エ 合計
(ア) 原告X1
(イ) 原告X2 【被告の主張】
 争う。
第3 当裁判所の判断
 228万0000円
 145万0000円
2498万8623円
1587万5174円
1 争点(1)(消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性を考えて腹部CT撮影ない し左側臥位での腹部X線撮影を行わなかった注意義務違反の有無)について (1) 本件では血液検査データ及び仰臥位正面X線撮影結果では,異常がなか ったという点に争いはないから,問題はAの臨床症状等から腹部の急性,重大な病気の可能性を疑うべきであったといえるか否かである。
 (2) 急性腹症の鑑別ところで,前記前提事実によれば,腹痛を訴えている患者が急性腹症であ るか否かの鑑別には,問診,バイタルサインのチェック,腹部理学的所見の 把握,緊急血液検査,緊急画像診断が必要となる。証拠(甲B3)によれば, 問診では,疼痛の発症時期,部位や痛みの程度,嘔吐や悪心の有無及び既往 症等を確認し,腹部理学的所見では,膨隆の有無,腹壁緊張の有無,腸雑音 の亢進又は消失,腹水の波動等に注意すべきであるが,画像診断による腹腔 内遊離ガスの有無の確認が重要であることが認められる。そして,前記前提事実によれば,腹腔内遊離ガスの有無の確認のためには, 腹部CT撮影が有用であり,レントゲン撮影の場合には,少なくとも臥位と 立位正面を撮影する必要があり,立位になれない場合には,左側臥位正面像 を撮影する必要がある。証拠(甲B2)によれば,レントゲン撮影において 撮影姿勢が重要な理由は,立位の場合には腹腔上部に,左側臥位正面の場合 には肝臓表面に,それぞれ遊離ガスが移動して,判読しやすくなるからであ り,そのためには撮影前に10分以上同じ姿勢を保持する必要があることが 認められる。(3) 救急外来でのAの状況 まず,B救急隊活動記録票(乙A2の1・17頁)の「19時5分前位から腹痛」との記載,外料診療録(乙A2の1・7頁,乙A2の2)の「腹痛 (+)」との記載及び診療録のその他の記載によれば,Aの主訴が腹痛であ ったと認定することができる(主訴が頭痛であったとする被告の主張は採用 できない。)。また,前記前提事実及び証拠(甲B16,乙A2の1,2,乙A3)によ れば,Aが救急搬送されてきた患者であること,搬送後も意識が不清明で, 発語困難であり「うー,うー」としか発語していなかったこと,腹部に力が 入っていて固い感じで,保持介助しても座位の姿勢がとれない状態で,口か ら茶褐色様のものを出していたことが認められる。(4) 腹部CT撮影をすべき注意義務の有無 以上認められるAの臨床症状等によれば,問診による疼痛の状況の聴取は不能であって,強い疼痛が発生している可能性は否定できず,嘔吐している 疑い及び腹部が緊張している疑いもあるといえる。そうすると,被告病院医 師は,当初の救急外来診察時点において,Aが腹部に関する何らかの急性, 重大な病気に罹患している可能性が否定できないことを認識できたという べきであるから,この時点で消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性をも念頭 において,鑑別を進める必要があったところ,Aの場合には,体勢を保持で きないため仰臥位正面像のみの撮影であるから,それだけから腹腔内遊離ガ スがないと判断することはできない。そうだとすると,Aについて,当初の救急外来診察で行った診察や検査結 果のみでは,腹部に関する何らかの急性,重大な病気に罹患していた可能性 を排除できていないので,被告病院医師としては,当初の外来診察が終了す るまでの間に(原告らが救急外来を再受診し,救急外来に留まることを選択 した時点ではない),急性腹症の診断に有用である腹部CT検査をすべき注 意義務があったといわざるをえない。なお,左側臥位正面像については,左側臥位の姿勢を10分以上保持して から撮影を行う必要があり,当時のAの状態からすれば,左側臥位正面の撮 影を行うための姿勢保持がとれなかったことが推認されるから,被告病院医 師が左側臥位正面像を撮影しなかったことは注意義務違反となるものでは ない。(5) 被告の主張について
ア これに対し,被告は,救急外来を担当する医師は,多数の患者に対し, 限られた時間及び不十分な情報の中で診断を下し,必要な治療をしなけれ ばならないから,すべての検査を救急外来時に行うことまで求めるのは医 療従事者に不可能を強いるものである旨主張する。
 確かに,救急外来においては通常の診療と比較して時間及び情報等に制 約があること及び被告病院の時間外患者が相当数いること(乙B1)は否 定できない。
 しかしながら,救急外来を担当する医師は,与えられた情報に基づいて 可能な範囲で正確に診断を下さなければならないところ,本件においては, 前記のごとく,Aが腹部に関する何らかの急性,重大な病気に罹患してい た可能性が否定できていないのであるから,被告主張の事情は,前記認定 判断を左右するものではない。
イ 次に,被告は,Aが日頃から発語困難で,体も不自由であったから,当 該時点でも腹痛から来る発語困難や姿勢がとれない状態であると理解す ることができなかった旨主張する。
 確かに,証拠(乙A4ないし7)によれば,Aは,平成14年時点にお いて,脳出血の後遺症のため,体幹機能障害により立位困難で,四肢の筋 力が低下し,食事等に介助が必要で,発語も容易でなく,意思疎通の困難 さが頻繁にみられる状態であったことが認められる。しかし,Aが上記の ごとく腹痛を主訴として搬送されている以上,被告病院医師としては,当 該時点におけるAの発語状況や姿勢の状況が,普段のそれとどれほど異な るのかということを居合わせた原告らに聞くなどして,発語困難等の原因 につき腹痛を念頭において注意深く探るべきであったといえるから,仮に 腹痛の痛みの程度は軽いと判断したとすれば,その判断はやや慎重さを欠 くものであったと言わざるをえず,前記認定の過失の判断に影響するもの ではない。
(6) 結論 本件において,被告病院医師が当初の外来診察が終了するまでの間に腹部 CT検査をしていないことは明らかであるから,被告病院医師には前記注意 義務を懈怠した過失があるというべきである。
2 争点(2)(因果関係の存否)について
(1) 被告は,当初の外来診察の時点では,腹部CT画像を撮ったとしても, 消化管穿孔と診断できたかどうかは不明である旨主張する。
 しかし,前記認定事実を総合すれば,事後的に見た場合,Aは当初の腹 痛を訴えた時点から間もないころ,すなわち被告病院の外来診察の時点までに,消化管穿孔を発症していた可能性が高いことが認められる。
 また,前記本件に関する医学的知見及び各種医学文献(甲B5ないし7, 甲B13ないし15)によれば,腹部CT検査は腹腔内の遊離ガスを検出 する能力が高く,中京病院において平成12年1月から平成20年1月ま での消化管穿孔症例180例を調査した結果では,腹部CT検査で遊離ガ スが検出された割合は,上部消化管で97%,小腸で56%,大腸で78. 6%であり,遊離ガスがみられた場合には消化管穿孔が原因である可能性 が最も高いこと,消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎は発症より手術までの経過 時間が長いほど予後が悪いことが認められる。
 そうだとすると,被告病院医師が,当初の外来診察が終了するまでの間 に腹部CT検査を行えば,腹腔内に遊離ガスがあることが判明し,Aが消 化管穿孔である旨の診断を行うことができた可能性が高く,かつ,当該時 点ではAが消化管穿孔を発症してからそれほど時間が経過していなかった ことも併せて考えると,当該時点で緊急手術が行われればAを救命できた 可能性が高いというべきである。
(2) なお,本件においてAの消化管穿孔部位は特定されていないところ,上 記認定事実によれば,小腸穿孔の場合は遊離ガスの検出率が低いことが認 められ,その場合には腹部CT検査を行っても消化管穿孔と診断できない 可能性が高かったことになるが,消化管穿孔の中で小腸穿孔は稀であるか ら,消化管穿孔である旨の診断を行うことができた可能性にはほとんど影 響しないというべきである。(3) 以上により,被告病院医師に前記注意義務違反がなければ,Aが現実に 死亡した時点においてなお生存していた高度の蓋然性を認めるのが相当で ある。3 争点(3)(損害)について (1) A本人の損害
ア 逸失利益 ゼロ
 甲C2及び弁論の全趣旨によれば,Aは死亡当時76歳であり,32万8362円の年金収入を得ており,死亡していなければ,平均余命9年間 にわたって同額の年収を得られたと認められる一方,介護を要する状態で 客観的な労働能力はなく,年金額は少額であるので,生活費として費消さ れる可能性が高かったといえる。そうすると,逸失利益を認めることはで きない。イ 慰謝料 1200万円
 Aが死亡したこと,本件における過失の内容,Aが既に健康体ではなく家族等の介護が必要な状態であったこと及びその他本件に顕れた一切の 事情を総合的に考慮すると,慰謝料としては1200万円が相当と判断す る。ウ 葬儀費用 100万円
 弁論の全趣旨によれば,Aの死亡によって,相当額の葬儀費用を原告ら が支出したものと認められるところ,葬儀費用として100万円を損害と認める。
 エ 相続
原告らは,相続及び遺産分割協議(甲C3)によって,原告X1につい ては8分の5の割合である812万5000円の,原告X2については8 分の3の割合である487万5000円の損害賠償請求権をそれぞれ取 得した。(2) 近親者固有の慰謝料 原告らにとって,Aを失った精神的苦痛の程度は重大なものがあり, その他本件に顕れた一切の事情を総合的に考慮すると,原告ら固有の慰謝料 として,原告X1について100万円,原告X2について50万円を認める のが相当である。
(3) 弁護士費用 弁論の全趣旨によれば,原告らは,本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人弁護士に依頼し,相当額の費用を支払う旨約したと認められるところ,本件の 事案の性質・内容,審理の経過,認容額等に鑑みれば,弁護士費用として, 原告X1について90万円,原告X2について50万円を損害と認める。(4) 合計額
ア 原告X1 1002万5000円 イ 原告X2 587万5000円4 結論
 以上の次第で,原告らの請求は,被告に対し,原告X1が1002万5000円及び原告X2が587万5000円並びにこれらに対するA死亡の日で ある平成17年7月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅 延損害金の支払を求める限度で理由があるから,その限度で認容し,その余は 理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
 名古屋地方裁判所民事第4部
裁判長裁判官 永野圧彦
裁判官 渡部美佳
裁判官 小野啓介
判例本文

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