平成21年(行ウ)第25号 原爆症認定義務付け等請求事件 判決主文
 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は,原告の負担とする。
 事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,108万円及び平成21年4月22日から厚生労働大臣が原 告に対し原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく原爆症の認定 を行った日まで1か月につき1万円の割合による金員を支払え。第2 事案の概要
本件は,昭和20年8月9日長崎市に投下された原子爆弾に被爆した原告が,厚生 労働大臣に対し,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」 という。)11条1項に基づく原爆症の認定を申請したところ,その後原爆症と認定 されたものの,厚生労働大臣が速やかに認定をせずに放置していたことが違法である と主張して,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求める事案である。なお,原告 は,当初,被告に対し,厚生労働大臣が原告の申請に対し処分をしないことについて の不作為の違法確認の訴え及び原爆症と認定することの義務付けの訴えも提起してい たが,上記のとおり原爆症と認定されたため,これらの訴えを取り下げた。1 被爆者援護法の概要
(1) 被爆者の定義(第1条)
第1条 この法律において「被爆者」とは,次の各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
1 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者
2 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内に在った者
3 前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
4 前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者
(2) 医療の給付(第10条)
第10条 厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。
 ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは, その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要す る状態にある場合に限る。第2項 前項に規定する医療の給付の範囲は,次のとおりとする。
 1 診察2 薬剤又は治療材料の支給
3 医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術
4 居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護
 5 病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護
 6 移送第3項 (省略)
(3) 原爆症の認定(第11条)
第11条 前条第1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定を受けなければならない。
第2項 厚生労働大臣は,前項の認定を行うに当たっては,審議会等(国家行政組織法第8条に規定する機関をいう。)で政令で定めるものの意見を聴かなけ ればならない。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは,この限りでない。
(4) 手当の支給(第24条,第25条)
第24条 都道府県知事は,第11条第1項の認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する。
 第2項 前項に規定する者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,同 項に規定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。
第3項 医療特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1月につき,13万5400円とする。
第4項 医療特別手当の支給は,第2項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,第1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。
第25条 都道府県知事は,第11条第1項の認定を受けた者に対し,特別手当を支給する。ただし,その者が医療特別手当の支給を受けている場合は,この限りでない。
第2項 前項に規定する者は,特別手当の支給を受けようとするときは,同項に規定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。
第3項 特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1月につき,5万円とする。
第4項 特別手当の支給は,第2項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,第1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。
2 前提事実(以下の事実は,当事者間に争いのない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨から認定できる事実である。) (1)原爆症認定の手続等ア 原爆症認定の要件
原爆症と認定されるためには,1申請疾患が,現に医療を要する状態にあること (要医療性),2現に医療を要する負傷若しくは疾病(以下「疾病等」という。)が 原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又は上記疾病等が熱線,爆風等の放射線 以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の 放射線の影響を受けているために上記状態であること(放射線起因性)の各要件を充 足することが必要である(被爆者援護法第10条第1項)。イ 疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会
厚生労働大臣が原爆症の認定を行うに当たっては,申請に係る疾病等が原子爆弾の 傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,疾病・障害 認定審査会の意見を聴かなければならないとされているところ(被爆者援護法11条 2項,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令〔以下「被爆者援護法施行 令」という。〕9条),同審査会には,被爆者援護法の規定に基づき同審査会の権限 に属させられた事項を処理するために,原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科 会」という。)が置かれている(疾病・障害認定審査会令5条1項)。ウ 原爆症認定基準の変更に至る経過
(ア) 医療分科会が平成13年5月25日付けで定めた「原爆症認定に関する審査の 方針」(乙8)における原爆症認定の基準(以下「従前の方針」という。)の概要は, 次のとおりであった。a 申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因確率 (疾病等の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率) 及び閾値(一定の被曝線量以上の放射線を曝露しなければ,疾病等が発生しない値) を目安として,当該申請に係る疾病等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の 有無を判断する。b この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が(a) おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病等の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定
(b) おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。
c ただし,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するのではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行う ものとする。d また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾 病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留 意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案 して,個別にその起因性を判断するものとする。e 原因確率は,次の表(省略)の申請に係る疾病等,申請者の性別の区分に応じ, それぞれ定める別表(省略)に定める率とする(イ) 平成19年8月5日,安倍内閣総理大臣(当時)は,原爆症認定基準について, 従前の方針に基づいて原爆症認定申請を却下された人たちが提起した不認定処分取消 訴訟において,国側の敗訴が相次いだことなどを受け,認定基準の見直しを表明した。
 これを受けて,厚生労働省に原爆症認定の在り方に関する検討会が設けられ,同検討 会は,同年12月17日,新しい審査の在り方について,要旨次のような報告を提出 した(乙11,12)。a 被曝線量の評価について
(a) 初期放射線量については,DS86に替えて,DS02を導入する。(b) 残留放射線については,誘導放射線及び放射性降下物について,可能な限り,個人毎に移動経路及び滞在時間に基づく線量計算の導入を検討する。b 放射線起因性の判断について がん,白血病及び副甲状腺機能亢進症については,被曝線量及び原因確率による評価とともに,急性症状等も考慮して,総合的に行うこととする。
 c 審査の迅速化及び審査の取扱いについて(a) 原因確率が例えば50%を超える場合には,医療分科会の審査を省略し,迅速 に認定を行うこととする。(b) 原因確率が10%以上50%未満の場合には放射線起因性を推認するに足りる 相応の資料があれば,総合判断の対象とする。(c) 原因確率が10%未満の場合においても,過去の資料等に基づき急性症状を考 慮に入れるなど,総合判断の対象とすることとする。しかし,日常生活で自然界から 浴びる放射線にも満たない被曝である場合はこの限りではない。(d) 経験則もふまえた個別の認定を充足することができるように,医療分科会の審 査体制を整備するとともに,審査については,今後新たに得られる科学的知見も取り 入れて,適宜見直しを行える体制を整備する。(ウ) また,当時の与党原爆被害者対策に関するプロジェクトチームは,平成19年 12月19日,原爆症認定問題について,次のとおりの提言をした(乙13)。a 典型症例については,一定区域内(約3.5km前後を目安とする)の被爆者及 び一定の入市した被爆者(爆心地付近〔約2km以内〕に約100時間以内に入市した 被爆者及び約100時間程度経過後,比較的直ちに約1週間程度滞留した者)につい ては,格段の反対すべき事由がなければ合理的推定により積極的かつ迅速に認定を行 うものとする。b 上記以外の被爆者(いわゆる原爆手帳保持者)についても,個別審査の上,総 合的判断を加え,認定の判定を行うものとする。c 上記認定基準については,直近の科学的知見,専門家意見などを踏まえ,その 後1年ごとを目途に必要に応じ見直しを行うものとする。(エ) これらを受けて,厚生労働省健康局は,平成20年1月,要旨次のような記載 がある「新しい審査のイメージ」を公表した(乙14)。a 今後の原爆症認定の審査に当たっては,被爆から長い年月が経過し被爆者が高 齢化していること,放射線の影響が個人毎に異なること等にかんがみ,これまでの原 因確率による審査を全面的に改め,迅速かつ積極的に認定を行うこととする。b このため,自然界の放射線量を超える放射線を受けたと考えられ,被爆地点が 約3.5km前後である者及び爆心地付近に約100時間以内に入市した者並びにその 後1週間程度滞在があった範囲にある者が,がんなどの症例を発症した場合について は,格段の反対すべき事由がなければ,積極的に認定を行う。c b以外の場合についても,個別審査の上,総合的判断を加え,認定の判断を行 う。(オ) 医療分科会は,平成20年3月17日付けで,次の内容の原爆症認定について の新しい審査の方針を策定した(乙10。以下「新しい方針」という。)。なお,その 冒頭には,「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定に係る審査 に当たっては,被爆者援護法の精神に則り,より被爆者救済の立場に立ち,原因確率 を改め,被爆の実態に一層即したものとするため,以下に定める方針を目安としてこ れを行うものとする。」と記載されている。a 放射線起因性の判断
(a) 積極的に認定する範囲 1被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者,2原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者,3原爆投下より約100時間経過後から原 爆投下より約2週間以内の期間に爆心地から約2km以内の地点に1週間以上滞在した 者から,放射線起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合については, 格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的 に認定するものとする。(i) 悪性腫瘍(固形がんなど)
(ii) 白血病
(iii) 副甲状腺機能亢進症
(iv) 放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
(v) 放射線起因性が認められる心筋梗塞 この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うために,申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料がない場合にも,申請書の 記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考にしつつ判断する。(b) (a)に該当する場合以外の申請について
申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別 にその起因性を総合的に判断するものとする。b 要医療性の判断 要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとする。
 (2) 厚生労働省における原爆症認定申請に対する処理体制等ア 医療分科会は,新しい方針が策定された平成20年4月から,疾病の類型に対応した4つの審査部会を設置し,各部会の議決をもって医療分科会の議決と見なすこ ととした(乙6)。そのため,従前月1回開催されていた医療分科会の審査は,各審 査部会が月1回開催されるので,医療分科会全体での審査を含めて月5回開催される ことになった。イ 医療分科会委員の員数は,新しい方針の策定前である平成20年3月現在は1 9名であったが,平成21年4月までに31名に増員された。また,原爆症認定の審 査の事務に従事する事務局(厚生労働省健康局総務課に設置。以下「事務局」とい う。)の係員は,平成19年度は5名であったが,平成20年度からは10名に増員 された(弁論の全趣旨)。ウ 原爆症認定の申請手続は,都道府県知事又は広島市長若しくは長崎市長を経由 して申請されることになっているところ(被爆者援護法施行令8条1項,以下,経由 する都道府県又は市を「経由県市」という。),新しい方針の策定を踏まえて,迅速 に,原爆症認定申請に対する審査が行われるよう,経由県市における申請書類の不備 を軽減するために,必要とされる申請書類の種類等について周知徹底を図るとともに, 厚生労働省において都道府県担当者会議を開催するなどして,事務局と経由県市との 連携を強化する取り組みをした(弁論の全趣旨)。エ 平成20年4月末現在における原爆症認定の申請をして処分を待つ状態にある件数(以下「待機件数」という。)は,後記(3)イのとおり約2600件であった。 その中には,平成18年度以前の申請者分も含まれていた。加えて,平成20年4月 現在,厚生労働大臣が過去にした認定申請却下処分に対する取消訴訟が各地で提起さ れ,これらの訴訟の原告(約300名)については,認定申請の時期が比較的古く, そのため,新しい方針に基づき原爆症認定をすることができるかの再検討をより速や かに行う必要があった。そこで,事務局は,認定申請の時期が古い案件に対する審査 を優先することにした(弁論の全趣旨)。(3) 原爆症認定の申請件数,認定件数等の推移は,次のとおりであった(乙9) ア 新しい方針策定前の申請件数,新規認定件数,却下件数申請件数 新規認定件数 却下件数 平成10年度 356件 117件 208件 平成11年度 414件 187件 173件 平成12年度 455件 120件 102件 平成13年度 515件 173件 484件 平成14年度 1180件 199件 725件 平成15年度 626件 198件 544件 平成16年度 540件 164件 454件 平成17年度 564件 230件 527件 平成18年度 1325件 124件 414件 平成19年度 1601件 128件 134件(平成19年7月以降の却下案件は,新しい審査の方針策定後の再検討のため保留とされた。)
イ 新しい方針策定後の新規進達件数,処分件数及び待機件数
新規進達件数 処分件数 待機件数 平成20年 4月 374件 149件 約2600件 平成20年 5月 931件 125件 約3500件平成20年 6月
平成20年 7月
平成20年 8月
平成20年 9月
平成20年10月
平成20年11月
平成20年12月
平成21年 1月
平成21年 2月
平成21年 3月
平成21年 4月
平成21年 5月
(4) 原告の被爆時の状況及びその後の経過等(甲3,乙21,22,25の2,原告本人)
ア 原告は,昭和5年○月○日生まれの男性であり,昭和20年8月9日当時,旧制長崎中学校3年に在学しており,同中学校において,同日長崎市に投下された原子 爆弾に被爆した。なお,同中学校は,爆心地から約3.3kmの地点にあった。イ 原告は,昭和20年8月11日から同月13日までの間,長崎市内の爆心地付 近で原子爆弾により死亡した人の遺体の収容作業に従事し,同月14日と15日は, 自宅(長崎市桜馬場)の片付け作業をし,その後,父の実家のある熊本市に向かい, 同月16日に到着した。ウ 原告は,熊本に到着したころから1週間程度下痢になり,また,その後,全身 に湿疹が出るようになり,湿疹は最近まで発症が継続している。平成14年には,原 告は,「全身性紅斑」のため,三重大学附属病院の皮膚科で診察を受け,同年9月か ら約1か月間入院した。原告は,高校生の時の健康診断で,血液中の鉄分が相当不足していると指摘された。1103件 154件 1188件 181件 1100件 177件 1227件 235件約4500件 約5500件 約6400件 約7400件 約7700件 約8100件 約8400件 約8400件 約8200件 約8100件 約8000件 約7900件662件 366件 629件 237件 503件 229件 339件 359件 209件 435件 315件 384件 250件 345件 287件 330件原告は,昭和58年,胃がんにかかり,胃の亞全摘手術を受けたところ,その後の検 査で,血液中の鉄分が不足していると指摘された。原告は,平成14年に「全身性紅 斑」のために入院した際の検査で,前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)が高い値を 示していたが,平成19年12月の検査では,PSAが119.84mg/ml (正常 値は0~4mg/ml )まで上昇し,平成20年2月に実施した前立腺の生体検査でが ん細胞が確認された。原告は,現在まで,月2回は通院し,注射と内服薬の投与を受 けてきた。エ 原告の略歴は,次のとおりである。
昭和28年3月,A大学法文学部を卒業し,同年4月,B株式会社に入社し,姫路, 加古川,大阪,北九州などで勤務し,平成7年10月に定年退職した。なお,原告は, 平成元年に三重県に転居した。オ 原告は,昭和56年7月31日,被爆者健康手帳の交付を受けた(甲1)。(5) 原告の原爆症認定申請の経過等
ア 平成20年5月22日,原告は,申請疾病を前立腺がんとして,被爆者援護法11条1項の認定の申請(以下「本件申請」という。)に係る申請書(以下「本件申請 書」という。)を,経由県市である三重県あてに提出した(甲2,乙1)。イ 三重県は,事務局に対し,本件申請書,被爆者健康手帳交付台帳の該当部分, 被爆者健康手帳の写し,医師の意見書,健康診断個人票を送付し,平成20年6月1 6日,事務局は,これを受理した(甲2,乙1,19ないし22)。本件申請は,平成 20年度においては1921番目であり,そのころ,厚生労働大臣が既に受理してい た原爆症認定申請件数(待機件数)は,約3500件から約4500件の間にあった (乙9,27,弁論の全趣旨)。ウ 原告は,本件申請に対する処分がされていないことにつき,平成20年12月 9日,厚生労働大臣に対して不作為の異議申立てを行ったところ,厚生労働大臣は, 同月22日,審査の順番待ちの状態である旨の通知をした(乙23の1,2)。エ 原告は,平成21年4月16日,本件訴えを提起し,その訴状は,同年5月7日に被告に送達された。
オ 事務局は,平成21年4月24日,経由県市である三重県あてに,同年5月22日までに原告の病理組織検査や腫瘍マーカー等の検査報告書,画像診断等の報告書, 具体的な治療内容を記載した書面などの医学的資料の追加提出を求めた(乙24)カ 原告は,上記オの資料を三重県に提出し,三重県は,平成21年5月20日, これらの資料を厚生労働省に送付し,同月22日,事務局においてこれを受領した。
 送付された資料のうち,病理組織診断報告書には,病理診断として前立腺がん (Prostate cancer)と記載され,MRI検査結果報告書には,前立腺がんとの診断が 記載され,CT検査結果報告書には,縦隔,右肺門,腹部傍大動脈,両側総腸骨リン パ節腫大あり,転移との診断が記載されていた(乙25の1から5)。なお,原告に関する上記必要書類が事務局に提出されたころの待機件数は,約35 00件から約4500件の間であった。キ 厚生労働大臣は,平成21年6月5日,原告の申請疾病につき,疾病・障害認 定審査会に諮問したところ,医療分科会第一審査部会は,同月8日,審査を行い,認 定の答申をした。なお,同日の第一審査部会は,午前10時から午後5時まで開催さ れ(午後0時から午後0時45分までは休憩),審査件数は,合計88件であった (87件が原爆症として認定され,1件が保留とされた。)(乙29,弁論の全趣 旨)。ク 厚生労働大臣は,平成21年6月22日,原告に対し,原爆症認定 (以下「本 件処分」という。) をし,その認定書は,同月25日,原告に交付された。3 争点及び当事者の主張
本件の争点は,(1)原告に,国家賠償法上,被侵害利益として保護された利益があ るか(争点(1)),(2)本件処分が遅れたことが,国家賠償法上違法といえるか(争 点(2)),(3)原告の損害額(争点(3)),の3点であり,これらに関する当事者の主 張は,以下のとおりである。(1) 原告に,国家賠償法上被侵害利益として保護された利益があるか(原告の主張)
被爆者援護法の前文は「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾 という比類のない核兵器は,幾多の尊い命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一 命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の 中での生活をもたらした。」,「高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及 び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者 の尊い犠牲を銘記するために,この法律を制定する。」と明記している。そして,被 爆者援護法が制定された平成6年の時点で,既に「高齢化の進行する被爆者」に対す る援護を目的とすることが同法の立法目的として明確化されていたところ,被爆者の 平均年齢は平成22年3月末時点で76.92歳であるから,その援護を実施するた めの認定処分が迅速に行われなければならないことは当然である。したがって,被爆 者が迅速・適切に原爆症の認定を受ける権利は,被爆者援護法に基づく本質的な権利 であり,その処分行政庁である厚生労働大臣は,これを履行すべき法的義務を負って いる。そして,新しい方針は,被爆距離と時間の要件を満たせば,病名だけで積極的 に認定するいくつかの疾病を定めた。これは,一定の疾病については,その病名で自 動的に認定するというものであって,制度上も迅速な認定が行われるよう,不十分で あるが保障したものであり,迅速に認定を受けられるという被爆者の権利の権利性は, さらに高まったところである。原告は,原子爆弾の被爆により,重篤な疾病に罹患したものであって,原爆症認 定を受けて医療特別手当等の給付を受けるために本件申請をした。しかるに,厚生労 働大臣は,約1年1か月これを放置した後,本件処分をしたが,これは原爆症認定申 請に対する応答をするための標準的に要する期間と考えられる3か月を大幅に上回る ものであり,行政事件訴訟法3条5項にいう「相当の期間」をはるかに経過するもの である。これにより,原告は,迅速に被爆者援護法の救済を受けられる権利の侵害を 受け,同時に長期間にわたり見通しも与えられぬまま放置されたことによる精神的苦 痛を受けた。最高裁昭和61年(オ)第329号,第330号平成3年4月26日第二小法廷判 決・民集45巻4号653頁(以下「水俣病最高裁判決」という。)は,申請放置に より申請者が被る不利益は「早期の処分により水俣病にかかっている疑いのままの不 安定な地位から早期に解放されたいという期待,その期待の背後にある申請者の不安, 焦燥の気持ちを抱かされないという利益は,内心の静穏な感情を害されない利益とし て,不法行為上の保護の対象となる」と判断しているところ,本件の原告にも,同様 の法律上の利益が認められる。これに対し,被告は,認定されれば申請時に遡って被爆者援護法に定める手当を受 給できるから,損害は認定処分により解消されると主張する。しかし,死亡後に認定 され,申請時から死亡時までの手当が支給されれば,何ら損害がなかったことになる というものではない。よって,原告には,国家賠償法上保護された利益がある。
(被告の主張) 国家賠償法1条1項の損害賠償請求権が発生するためには,法律上保護された利益の侵害が必要である。
 原告は,水俣病最高裁判決を引用して,いつ原爆症認定をされるか分からないという不安感等を「法律上の利益の侵害」と主張する。しかし,水俣病最高裁判決は,申 請者が,特殊の病像を持つ水俣病にかかっている疑いのあるままにあるという不安定 な地位にあることに注目して,「内心の静穏な感情に対する侵害」につき,それが 「他の行政認定申請における申請者の地位にある者にはみられないような異種独特の 深刻なものであると推認」されるとして,不法行為が成立する余地があるとしたもの である。原爆症とされる悪性新生物等の疾病自体は,特殊な病像を持つものではなく, 原爆症の認定を申請した者は,放射線に起因するかどうかが不確定な状態にあるとい うものであり,水俣病最高裁判決が妥当する事案ではない。原告は,昭和56年に被爆者健康手帳の交付を受けた結果,一般疾病医療費の支給 等被爆者援護法に基づく各種の援護を受けている。また,原爆症認定処分がされた場合に受給できる医療特別手当は,原爆症認定がされれば,申請時に遡って受給できる (被爆者援護法24条4項)ことからすると,原告が原爆症認定処分の遅滞により被 ることになる不利益は,いずれにせよ厚生労働大臣が処分をすることにより解消され る性質のものであり,現に,原告は,本件処分を受けており,上記不利益はいずれも 解消されたものである。よって,本件申請に対する応答が遅滞したことそれ自体により申請者である原告が 被った不利益は,法律上保護された利益であるとは認められない。(2) 原告に対する本件処分が遅れたことが,国家賠償法上違法となるか (原告の主張)ア 被爆者援護法における原爆症認定請求権は,高齢に達した被爆者への国家補償法であるという権利の本質を有しており,この観点から見れば,迅速に権利の実現を 行うのでなければ,権利侵害と評価されるべきである。そして,厚生労働大臣には, 手続の遅延を正当化する理由は,次のとおり存在しない。この点,被告は,原爆症認定処分は,その性質上「相当の期間」を必要とすると主 張する。しかし,疾病の原因を特定し,公的給付の可否を決定する処分は,労災保険 法における業務上外の認定,国家公務員災害補償法における公務上外の認定,国民年 金法における障害基礎年金の裁定など,類似の判断を要する処分は数多くある。した がって,原爆症認定処分のみを特殊例外とすることはできない。そして,行政手続法6条は,申請に対する処分をするまでに通常要すべき標準的な 期間(以下「標準処理期間」という。)を定めることを求め,同法7条は,申請が到 着したときは,遅滞なく審査を開始すべきことを義務付けている。したがって,原爆 症認定であるからといって,「相当の期間」が決められないことはない。ところで,被告は,自ら「相当の期間」を具体的に主張していないが,それと同時 に「処分をするにつき通常必要とされる期間は,いまだ経過していない。」とも主張 している。しかし,「通常必要とされる期間」を具体的に主張せずに,その期間は未 だ経過していないと主張することは矛盾である。よって,原爆症認定申請を放置しておくことは,一般に,国家賠償法上,違法有責 であるといえる。イ 本件処分が遅れたことは,次の点に照らせば,国家賠償法上違法であるとの評 価を受ける。(ア) 本件処分の標準処理期間は3か月である。
被告は本件処分の標準処理期間は経過してないと主張するが,被告は,原爆症認定 に関する標準処理期間を明確にしておらず,その主張自体意味を成さない。また,処 分行政庁は,原爆症認定申請につき,行政手続法6条所定の標準処理期間を定めてい ない。原告に対する本件処分の経過は,前記(第2の2の(5))のとおりであるが,その うち実質的に処分に必要であった期間は,平成21年4月24日に追加資料の提出を 求めた後本件処分に係る審査・認定をした同年6月8日までの約2か月と,原告が経 由県市である三重県に本件申請書を提出した平成20年5月22日から申請書類が厚 生労働省に到達した同年6月16日までの約1か月の,合計3か月である。そして,行政手続法7条は,「速やかに申請をした者に対し相当の期間を定めて当 該申請の補正を求め」,申請に対し判断することを処分行政庁に義務付けている。し かるに,厚生労働大臣は,本件に関して,補正を求めるまで,本件申請を約1年間放 置しておいた。よって,本件処分の標準処理期間は,3か月とするのが相当である。(イ) 本件申請に対する処分の遅延は,違法な公権力の行使に当たる。
 本件では,標準処理期間である3か月を経過した後も,処分行政庁である厚生労働大臣は,長期間にわたり処分を遅滞しており,したがって,厚生労働大臣には国家賠 償法上の作為義務違反があることは明らかである。これに対し,被告は,原爆症認定の申請件数の増加に備えて一定の施策を講じてお り,期間の経過を正当とすべき特段の事情があると主張する。しかし,平成20年4月から新しい方針を用いることを決めた時点で,申請件数の増大は,当然に想定されていた。したがって,厚生労働大臣は,申請者が増大する見 通しを立てて,これに対応して,申請後一定期間内に処理するとの目標計画を立て, その計画実施に必要な係員数,医療分科会の委員数,審査会開催日数の増加を検討し, そのために必要な手配をすることは,当然に求められていた。そして,審査に必要な 人員は,事務局及び医療分科会の人員であるところ,このうち事務局は,本来必要な 書類がそろっているかを確認するだけの単純作業のみを行う部署であるから,その増 員は容易であった。また,医療分科会委員は,専門家でなければならないが,昭和3 2年に原子爆弾被害者の医療等に関する法律が制定された後,被爆者の健康被害の研 究が進められ,専門家が多数いるから,医療分科会の委員となるべき専門家の数を増 員することも容易であった。しかるに,厚生労働大臣は,このような検討をしていな い。したがって,厚生労働大臣は,審査体制を改善する努力によって遅滞が解消でき たにもかかわらず,その努力義務を尽くしたとはいえず,その義務違反は明らかであ る。ウ 原告は,爆心地より3.3km離れた地点で直爆を受け,その後3日間にわたり ほぼ爆心地付近まで再三入市して被曝しており,急性症状があり,その後,全身性の 湿疹が終生続き,胃がんの発病歴があり,申請疾病が前立腺がんであり,この点につ いては確定診断がある。したがって,原告の申請疾病が新しい方針にいう消化器系以 外の悪性腫瘍として原爆症と認定されるのは当然であり,これは素人目にも明らかで ある。エ したがって,処分行政庁である厚生労働大臣が,本件申請に関する原爆症認定 の審査に1年以上の時間を要したことは,通常期待される努力を尽くしたとはいえず, その職務上の義務に違反していることは明らかである。(被告の主張)
ア 国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別 の国民に対し負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに, 国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるから,原告の国家賠償請求が認容されるためには,本件処分の処分行政庁である厚生労働大臣に上 記の職務上の義務違反が認められることが必要である。この点,水俣病最高裁判決は,水俣病認定申請を受けた処分行政庁が不当に長期間 にわたらないうちに応答処分をすべき条理上の作為義務に違反したといえるための要 件として,「客観的に処分庁がその処分のために手続上必要と考えられる期間内に処 分できなかったことだけでは足りず,その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続 き,かつ,その間,処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに, これを回避するための努力を尽くさなかったことが必要」と判示し,不作為の違法確 認訴訟において違法性が認められる場合に比べ,不作為が国家賠償法上違法とされる 場合を極めて限定的に解している。イ 原告は,原爆症認定の申請から処分までに要する期間は3か月あれば十分であ り,本件で厚生労働大臣が上記3か月を経過しても処分を行わなかったことが職務上 の義務違反に当たると主張する。しかし,厚生労働大臣の行う原爆症認定処分は,個々の申請者の被爆距離,被爆状 況,被曝線量を個別的に確定した上で,申請疾病と放射線との関連性につき高度な科 学的,医学的知見に基づく判断を踏まえて行う必要があり,それに至る過程で複雑な 作業を要するものである。そのため,原爆症認定申請に係る処分は,当該疾病等が原 子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,医 療分科会の意見を聴くことが要件とされている。したがって,原爆症認定の審査には, 自ずと相当程度の期間が必要であり,また,個々の申請者の個別的な事情によって審 査期間も大きく左右される。また,処分をするに当たり諮問手続を経なければならな い場合に,答申を得ないまました処分は瑕疵を帯びることになるから,上記相当の期 間を判断するに当たっては,このことも考慮する必要がある。さらに,本件では,新しい方針による認定業務が行われる中,原爆症認定申請件数 が急増し,原告の認定申請書一式が進達された時点において,既に申請済みの待機件 数が約3500件から約4500件ある状況にあり,審査会に諮問するまでの事務手続に要する期間を含め,相当の期間を要することはやむを得ない。また,こうした状 況下で,厚生労働大臣は,従前の方針の下で原爆症認定申請の却下処分を受けていた 原爆症認定集団訴訟の約300名もの原告の再検討を行う傍らで,原爆症認定の審査 の迅速化を図るため,事務局の係員などの増員を含め,様々な施策を講じつつ,限ら れた人員を最大限に活用して順次審査を進めてきたものであって,厚生労働大臣とし 最大限の努力を行ってきた。したがって,原告の主張する原爆症認定請求につき何らかの処分をするのに通常必 要とされる期間が3か月というのは,失当であり,厚生労働大臣は,上記事情の下で, 最大限の努力をした結果,1年1か月という手続上必要と考えられる期間で本件処分 をしたのであって,国家賠償法上違法と評価されることはない。(3) 損害額
(原告の主張) 原告は,これまでに主張した経過(本件処分の遅れ)により精神的に大きな苦痛を被り,これに加え,遅滞している処分の促進を求めるための法律相談,交通費,不作 為に対する異議申立てに伴う出費,訴訟提起に要した費用,出廷の準備,時間,交通 費,弁護士費用など,年金生活者である原告にとって,決して軽くない負担をした。
 これらの損害も,償われる必要がある。これらの点を勘案すれば,本件処分が遅れた ことにより原告が被った損害に対する慰謝料は,認定すべきものを認定せずに放置し たことについては100万円,申請後,本件処分までに通常要する相当期間である3 か月を経過した日から本件処分までは毎月1万円が相当である。(被告の主張)
原告の主張は,争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)について 被爆者(被爆者援護法1条)であって,一定の要件に該当する者は,健康管理手当(同法27条1項),保健手当(同法28条1項)等の支給が受けられるほか,原爆症と認定されれば,申請時に遡って医療特別手当又は特別手当が支給されることにな る(同法24条1項,4項,25条1項,4項)。そうすると,原爆症と認定がされ れば,支給が遅れたことによる遅れた期間の金利相当分の負担はあるものの,認定が 遅れたことによる経済的側面における損失は実質的には回復できることになる。した がって,本件処分が遅れたことによる原告の損害は,申請に対する応答(処分)が遅 れたことによる不安感,焦燥感等の精神的損害が主なものであるということができる。ところで,原爆症,すなわち原子爆弾の傷害作用に起因する傷害又は疾病の多くは, 一般に悪性新生物(がんや白血病),副甲状腺機能亢進症,白内障等であり,その病 像が不明であるといったものではない。しかし,申請者は,原子爆弾に被爆し,ある いは,放射能を浴びてこれらの疾病を発症したものであり,それ自体,人類がこれま でに経験したことのない特異な被害であり,今日では研究が進み,その発症のプロセ スが相当解明されたとはいえ,原子爆弾に被爆せずにこれらの疾病を発症した人に比 べ,長い間,いつ疾病が発症するかという不安と常に背中合わせの生活を余儀なくさ れ,発症した後も,その原因が原子爆弾の放射能によるものなのか又はその他の原因 によるものかという不安感にさいなまれており,そのような不安感,焦燥感の中で原 爆症の認定申請をし,その応答を待っているという特殊性を有し,これは,原子爆弾 とは関係なく悪性新生物等を発症した一般の患者にはない不安感,焦燥感であるとい える。被爆者援護法は,その前文で「原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の尊い 生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いや すことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。」,「国の 責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の 戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被害者 に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として 原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するために,この法律を制定する。」と述べ ているように,原子爆弾による放射能被害という,それまでに人類が経験したことのない特異な原因により被害を受けた被爆者に対し,保健,医療及び福祉にわたる総合 的な援護対策を講ずることを主要な目的としていると理解できる。そして,原爆症認 定は,原子爆弾による放射能被害に起因する疾病を発症した人々に対し,特別な補償 をすることにより,疾病に対する救済を図ろうとしたものであると認められる。しか も,被爆者援護法が制定された平成6年12月当時,被爆から既に約50年が経過し, 被爆者も高齢化しており,被爆者に対する援護が急がれることを自覚して,同法は制 定されたものと理解できる。その上,上記のとおり「国の責任において」被爆者に対 する援護をすることとされていることに照らせば,被爆者援護法に基づく原爆症認定 の申請をした被爆者において申請に対する処分が遅れることによって不安感,焦燥感 を抱かされないという利益は,国家賠償法上,保護された利益に当たると解するのが 相当である。被告は,原爆症とされる悪性新生物等の疾病自体の病像が一般的なものであり,水 俣病のように特殊な病像を持つものでないことを理由に,水俣病最高裁判決を前提と しても,原爆症認定申請の応答処分が遅滞したことそれ自体により申請者が被る不利 益は法律上保護されたものではないと主張するが,これは,被爆者がこれまでに経験 し,また,現に置かれている特殊な状況を直視しないものであって,採用できない。2 争点(2) について
(1) 行政手続法6条が,行政庁に対し,申請に対する処分をするために通常要すべ き標準的な期間(標準処理期間)を定める旨の努力義務を課していることに照らせば, 一般に,ある処分を求めて申請する権利を有する者は,当該申請に対する処分が相当 な期間内にされるであろうことを期待してよい。しかし,同条の義務は,標準処理期 間を定める努力義務であり,また,この標準処理期間は,最長処理期間として行政庁 に対して期間内の処理を義務付けるものではなく,あくまでも行政庁に対し,申請を 可能な限り速やかに処理すべき義務を負わせるものにすぎない。したがって,標準処 理期間が定められていたとしても,その期間を経過してもなお当該申請に対する処分 がされない場合に,その処分の遅滞が直ちに国家賠償法上違法となるわけではない。ところで,ある公務員の行為が国家賠償法上違法との評価を受けるためには,公権 力の行使に当たる当該公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背 することが必要であり(最高裁平成13年(行ツ)第82号,第83号,同年(行ヒ)第 76号,第77号同17年9月14日大法廷判決・民集59巻7号2087頁等参 照),ある公務員の不作為により当該国民に損害が生じた場合には,その公務員が, 個別の国民に対して作為義務を負っており,その作為義務に違反した場合に,当該不 作為が国家賠償法上違法との評価を受けるものである。そして,本件において問題となる作為義務は,厚生労働大臣の原爆症認定申請に対 する応答義務であるところ,原爆症認定は厚生労働大臣の職責とされており(被爆者 援護法10条,11条),上記のとおり,原子爆弾による被害の特殊性に加え,被爆 者が高齢者であることも考慮して被爆者を援護するために被爆者援護法が制定された 経過にかんがみれば,厚生労働大臣は,原爆症認定の申請があった場合には,不当に 長期間にわたらないうちに,これに対し応答すべき義務を負っているというべきであ る。そして,厚生労働大臣がこの作為義務に違反したというためには,客観的にその 処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分がされなかったことだけでは足り ず,その期間に比して,更に長期間にわたり遅延が続き,かつ,その間,処分行政庁 として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに,これを回避するための努 力を尽くさなかったことが必要であると解するのが相当である(水俣病最高裁判決参 照)。(2) これを本件について検討する。
ア 本件申請につき,客観的にその処分のために手続上必要と考えられる期間内に 処分がされなかったといえるか,また,本件処分はその期間に比して,更に長期間に わたる遅延があったといえるかを判断するためには,本件申請につき判断するために 必要な期間,本件申請がされた当時の全体の申請件数,処分行政庁の能力,本件申請 に際しての審査の方法,申請者側の協力など具体的,個別的諸事情を検討して判断す るのが相当である。ところで,原爆症として認定するためには,申請疾病につき放射線起因性が必要で あり,その判定には,個々の申請者の被爆距離,被爆状況等を個別的に確定する必要 がある。そして,被爆者援護法11条,被爆者援護法施行令9条で,当該疾病が原子 爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾 病・障害認定審査会の意見を聴いた上で,厚生労働大臣が原爆症を認定する仕組みと なっていることに照らせば,申請疾病と放射線の関連性については,医学的見地から 判断する必要があるというべきである。そうすると,医療分科会の審査は,形式的な ものということはできず,個々の事案ごとに実質的に行われる必要があると認められ る。また,申請疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らか であり,かつ要医療性が明白に認められる場合(すなわち,厚生労働大臣が直ちに応 答処分ができる場合)と,そうでない場合(医療分科会の意見を聞く必要がある場 合)の振り分けは,事務局で行う必要があるので,事務局の判断も単に提出された書 類が整っているかどうかという形式的判断をするだけではなく,原爆症認定の当否に ついて,個々の事案ごとに,放射線起因性及び要医療性の有無について,実質的な判 断をすることが必要であると認められる。さらに,被爆者,したがって原爆症認定の申請をした者は,皆相当高齢に達してお り,申請をした者の間で優先順位を付けることは基本的に不可能であるので,特段の 事情のない限り,原爆症認定の判断は,申請のあった順番(認定申請書類一式が厚生 労働省に提出された順番)により処理してゆくことが相当である。本件申請の認定申 請書類一式が厚生労働省に提出された当時,既に原爆症認定申請がされていた待機件 数は約3500件から約4500件あった状態であり,本件申請自体,平成20年度 の1921番目に申請書類が厚生労働省に提出された事案であり,そうすると,本件 申請がされた時又は本件申請の認定申請書類一式が厚生労働省に提出された後,直ち に審査に取りかかることができなかったものであることは,明らかである。原告は,前記争点(2)に関する原告の主張イ(ア)記載のとおり,本件申請に関する標準処理期間は3か月であると主張するが,この主張は,事務局における業務や医療分 科会における業務を極めて形式的なものであることを前提とした主張であり,採用す ることはできない。原爆症認定の判断は,個別具体的な判断が必要とされるものであり,事案の個性を 捨象して,定型的にそのための標準処理期間を定めることはできないものの,本件申 請に関し,その処理に必要な期間が原告の主張する3か月では足りないことは明らか である。イ また,原告は,爆心地から3.3kmの地点で被爆し,その翌日から3日間,爆 心地付近へ出かけているから,新しい方針に照らせば,直ちに原爆症と認定できるは ずであるとも主張する。しかし,上記のとおり,本件申請の認定申請書類一式が厚生 労働省に提出された当時,既に原爆症認定申請がされていた待機件数は約3500件 から約4500件あった状態にあり,本件申請をこれらの申請よりも先に処理すべき 特段の事情は,本件においては見当たらない。したがって,原告の上記主張も採用で きない。さらに,原告は,本件申請をしてから追加資料の提出を求められるまでの約10か 月間は無為な時間であったとも主張する。しかし,事務局において原爆症認定申請に 必要な書類が整っているか否かを判断するのも,申請があった順番に従って行わざる を得ないところ,原告が本件申請した平成20年5月当時,既に申請のあった待機件 数は約3500件から約4500件であったうえ,本件申請自体,平成20年度の1 921番目であったから,事務局としても,これらの申請の必要書類の具備を確認し た後に本件申請の必要書類の具備を確認することになる。したがって,原告の上記主 張も採用できない。ウ 以上を総合すれば,本件処分のために客観的に手続上必要と考えられる期間が どの程度であるかは一義的に定めることはできないものの,その期間が3か月であっ たとは認めることはできず,また,本件申請から本件処分まで約1年1か月かかって いるが,その期間が不当に長期間にわたっていたとも認めることはできないというべきである。したがって,本件処分をするに当たり,不当に長期間にわたる遅延があっ たとは認めることはできない。(3) なお,原告は,事務局の係員や医療分科会の委員の員数をより増加させること ができたのに,厚生労働大臣は,これを怠っていたと主張する。確かに,平成19年8月,安倍内閣総理大臣(当時)が原爆症認定の在り方につい て見直す方針を明らかにし,同年12月には,原爆症認定の在り方に関する検討会の 報告が公表され,平成20年3月には新しい方針が明らかにされたことに照らせば, 平成20年以降,原爆症認定の申請数が以前に比べ激増するであろうことは容易に予 想できたと認められる。他方,医療分科会の員数は,平成20年3月現在において19名であったが,平成 21年4月までに31名に増員され,事務局の係員は,平成19年度は5名であった が,平成20年度からは10名に増員された。また,医療分科会は,4つの部会を設 けて処理に当たるようになった。原爆症認定業務は,国の施策として,優先して処理 すべき案件の1つであるとは認められるものの,すべての案件よりも最優先で処理す べきものであるとまでは認められない上,人員の増加は予算上の制約があり,また, 本件の場合,特に医療分科会の委員は専門的知識を必要とするものであるので,定数 を大幅に増員したとしても,ふさわしい知見を有する委員が直ちに見つかるとも考え 難い。また,事務局の仕事も,各申請について放射線起因性と要医療性について,個 別に実質的判断を求められるものであるから,相応の能力のある係員が必要であり, 単純に増員をすれば足りるというものでもない。そうすると,厚生労働大臣は,上記 のとおり人的にも処理体制を拡充し,また医療分科会における審査の回数を増加させ るなど,相応の努力をしていたと認められるので,処分行政庁として通常期待される 努力によって遅延を解消できたのに,これを回避するための努力を尽くさなかったと は,認めることはできない。(4) 以上によれば,本件処分が,原爆症認定の申請に対し不当に長期間にわたらな いうちに応答すべき厚生労働大臣の義務に違反してされたものと認めることはできないから,本件処分につき,国家賠償法上の違法があったということはできない。
 3 結論そうすると,原告の請求は,その余の点を判断するまでもなく理由がないので,こ れを棄却すべきである。なお,原告は,本件訴訟において,当初,厚生労働大臣が本件申請に対し処分を しないことについての不作為の違法確認の訴え及び原爆症認定の義務付けの訴えを併 せて提起し,その後,本件処分がされたことから,これらの訴えを取り下げたところ, 前示のとおり,本件申請から本件処分までの期間が不当に長期間にわたっていたとは 認められないことにかんがみれば,これらの訴えに係る訴訟費用について,被告にそ の負担をさせる必要性は認められない。よって,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第9部
裁判長裁判官 増 田 稔
裁判官 鳥 居 俊 一
裁判官 杉 浦 一 輝
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