主文
 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
 事実及び理由
第1 請求 処分行政庁が平成18年2月17日付けで原告に対してした平成16年分所得税の更正請求に係る更正をすべき理由がない旨の通知処分を取り消す。
 第2 事案の概要
本件は,原告が,平成16年4月1日に施行された改正後の租税特別 措置法31条1項後段の規定(それまで認められていた土地建物等の譲 渡損失を他の所得所得の金額から控除することを廃止する旨の規定)を 同年1月1日以後に行う同条1項に規定する土地等又は建物等の譲渡に ついて適用する旨の平成16年法律第14号(所得税法等の一部を改正 する法律)附則27条1項が遡及立法に当たり,憲法84条に違反する と主張して,処分行政庁が同附則を原告が平成16年1月30日にした 長期譲渡所得税対象土地の譲渡に適用して,その譲渡による損失の損益 通算を認めず,原告の平成16年分所得税の更正請求に対し更正すべき 理由がない旨の通知処分をしたのは違法であるとして,その取消しを求 めている事案である。1 関係法令の定め等
(1) 所得税法(平成18年法律第10号による改正前のもの)69条1項は,損益通算につき,総所得金額,退職所得金額又は山林所得金額 を計算する場合において,不動産所得の金額,事業所得の金額,山林 所得の金額又は譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるとき は,政令で定める順序により,これを他の各種所得の金額から控除すると定めている。
(2) 租税特別措置法(ただし,平成16年法律第14号による改正後のもの。以下「改正措置法」という。また,租税措置法一般を呼称する ときは,単に「措置法」という。)31条1項前段は,個人が,その 有する土地若しくは土地の上に存する権利(土地等)又は建物及びそ の附属設備若しくは構築物(建物等)で ,その年1月1日において 所有期間が5年を超えるものの譲渡をした場合には,当該譲渡による 譲渡所得(以下「長期譲渡所得」という。)については,他の所得と 区分して,その年中の当該譲渡に係る譲渡所得の金額に対し,長期譲 渡所得の金額の100分の15に相当する金額に相当する所得税(た だし,住民税5パーセントを含めれば20パーセントの税率)を課す る旨規定している。また,同項後段は,同項前段の場合において,土地等又は建物等(以 下「土地建物等」という。)の譲渡所得の金額の計算上生じた損失が あるときは,所得税法その他所得税に関する法令の規定の適用につい ては,当該損失の金額は生じなかったものとみなす(すなわち,損益 通算及び繰越控除を認めない。)旨規定している。さらに,改正措置法31条3項2号は,同条1項の規定の適用があ る場合の所得税法69条の適用については,1 同条1項中「譲渡所 得の金額」とあるのは改正措置法31条1項に規定する譲渡による譲 渡所得がないものとして計算した金額とする旨,2 「各種所得の金 額」とあるのは同項の長期譲渡所得の金額を除いた金額とする旨規定 して,総合課税の対象となる譲渡所得及び他の所得の金額の計算上生 じた損失の金額がある場合でも,当該損失は,同項の長期譲渡所得の 金額から控除することはできないこととしている。なお,上記改正前の租税特別措置法(以下「改正前措置法」という。)31条1項は,長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額がある ときは,所得税法69条の規定を適用し,他の各種所得の金額との損 益通算を認める旨規定している。(3) 改正措置法附則第27条1項(以下「本件改正附則」という。)は, 「新租税特別措置法(改正措置法を指している。)第31条の規定は, 個人が平成16年1月1日以後に行う同条第1項に規定する土地建物等の譲渡について適用し,個人が同日前に行った旧租税特別措置法第 31条第1項に規定する土地建物等の譲渡については,なお従前の例 による。」と規定している。(4) 改正措置法は,31条1項後段の規定により,土地建物等の譲渡損 失の損益通算を原則として認めないこととした上で,居住用財産を譲 渡した場合の譲渡損失の金額の一部について,一定の要件の下に他の 所得との損益通算及び繰越控除を認め(「居住用財産の買換え等の場 合の譲渡損失の損益通算及び繰越控除」。改正措置法41条の5第1 項,同第7項1号),あるいは,居住用財産を譲渡して買換えをせず に借家等に住み替える等の場合に,一定の要件の下に,当該譲渡によ って生じた純損失の金額の一部について他の所得との損益通算及び繰 越控除を認める(「特定居住用財産の譲渡損失の損益通算及び繰越控 除」。改正措置法41条の5の2第1項,同第7項1号)こととして いる。(5) 改正措置法附則27条2項及び3項は,施行日前に死亡した者,施 行日前に平成16年分の所得税につき所得税法127条(年の途中で 出国する場合の確定申告)の規定による申告書を提出した者及び施行 日前に同年分の所得税につき通則法25条の規定による決定を受けた 者の同年分の所得税に係る措置法31条の規定を適用するに当たって は,土地建物等の譲渡による所得以外の他の所得との損益通算及び長期譲渡所得の100万円特別控除については,従前どおり適用する旨規定している。
(6) 本件改正附則と同様に暦年の途中から施行されながら,適用がその暦年の初日とされた法令の例
ア 昭和27年の税制改正により,退職所得が損益通算の対象外とされたときも(昭和29年の税制改正まで),当該改正法(昭和27 年法律53号)は昭和27年4月1日から施行されている(同法附 則1項)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法付 則22項)。イ 昭和36年の税制改正により,趣味・娯楽の資産の譲渡による所 得等の喪失について損益通算が廃止されたときも,当該改正法(昭 和36年法律35号)は昭和36年4月1日から施行された(同法 附則1項)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法 附則2項)。ウ 昭和37年の税制改正により,生活に通常必要でない資産につい ての災害に係る雑損失と譲渡所得以外の所得との損益通算が廃止さ れたときも,当該改正法(昭和37年法律44号)は昭和37年4 月1日から施行された(同法付則1条)が,同年分以後の所得税に ついて適用されている(同法付則2条)。エ 現行所得税法(昭和40年法律33号)においても,昭和43年 の税制改正により,雑所得の金額の計算上生じた損失と他の所得と の損益通算が廃止された際には,当該改正法(昭和43年法律21 号)は昭和43年4月20日から施行された(同法付則1条)が, 同年分以後の所得税について適用されている(同法付則2条)。オ 改正法の施行日を含む年分の所得税について改正法が適用されて いるのは損益通算に係る場合だけでなく,所得税の課税対象への追加(昭和36年分以後の所得税に適用された,事業譲渡類似の有価 証券の譲渡による所得等を譲渡益非課税から課税に変更措置)や各 種控除の縮減・廃止(昭和55年分以後の所得税に適用された,給 与所得控除率引下げ,平成12年分以後の所得税に適用された,年 少扶養控除の廃止等,平成15年分以後の所得税に適用された,長 期所有上場株式等に係る100万円特別控除の廃止)についても, 同様に改正法の施行日を含む年分の所得税に適用されている。2 前提事実(証拠等を掲記した事実以外は争いがないか明らかに争いが ない。)(1) 原告は,平成5年4月4日,佐倉市α×番22の宅地(以下「本 件土地」という。)を4300万円で買い受け,これを平成16年 1月30日,1750万円で譲渡する旨の契約を締結し,同年3月 1日,本件土地を買受人に引き渡した(以下,この譲渡行為を「本 件譲渡」という。)。その結果,2500万円余の譲渡損失(以下「本 件譲渡損失」という。)が生じた(甲1ないし4,乙1)。(2) 原告は,平成17年9月15日,給与所得,雑所得及び株式等に 係る譲渡所得を平成16年分の所得と記載した同年分の所得税の確 定申告書を処分行政庁に提出した。(3) 原告は,平成17年11月16日,本件譲渡損失の金額は他の所 得と損益通算すべきであるとして,これに基づき税額計算した結果, 還付されるべき税金136万9400円が存在するとして,更正の 請求書を提出したが,処分行政庁は,原告に対し,平成18年2月 17日付けで,更正すべき理由がない旨の通知処分(以下「本件通 知処分」という。)をした(甲2,乙2)。(4) 原告は,平成18年2月22日,処分行政庁に対し,本件通知処 分を不服として異議申立てをしたが,処分行政庁は,同年4月21日付けで,これを棄却する決定をした。
 原告は,これを受けて,同月26日,国税不服審判所長に対し,審査請求をしたが,同所長は,同年9月19日付けで,これを棄却 する裁決を行った。本件通知処分,上記異議申立棄却決定及び上記裁決は,いずれも, 本件譲渡には改正措置法31条の適用があり,そうすると,本件譲渡 損失は,その他の所得の金額の計算上,生じなかったものとみなされ ること,すなわち,同損失については損益通算の処理ができないこと を理由とするものであり,同法の適用を認める限り,本件通知処分の とおり,本件においては更正すべき理由がないことになる(甲2ない し4)。原告は,平成19年3月15日,本訴を提起した。
 3 争点
本件改正附則は,憲法84条に違反するか。
 4 争点に関する当事者の主張(原告)
憲法84条が定める租税法律主義は,納税者の法的安定を図り,将来 の予測可能性を与えることを目的にしているから,本件のような期間税 である所得税についても,年度途中で年度の初めに遡って適用される租 税改正立法については,年度開始前に納税者が一般的にしかも十分予測 できる場合に限って許され,そうでない限り,納税者の信頼を裏切る遡 及立法として,憲法84条に違反する。しかるに,本件改正附則は,年度途中に施行された改正措置法を年度 開始時に遡って適用することを定めるものでありながら,年度開始前に ほとんど一般に周知されておらず,仮に納税者が年度開始前に知り得た としても,その期間は7日程度の短期間に止まるのであるから,納税者に予測可能性があったとはいえない。その上,改正措置法が定める遡及 適用を含む損益通算禁止は,正確な資料に基づかず,しかも財政上の必 要性のないものであるから,本件改正附則は憲法84条に違反する。(被告) 本件改正附則が,未だ平成16年分の所得税の納税義務が成立していない同年の途中で施行された損益通算廃止等を内容とする改正措置法を 年度開始時点から適用することを定めているのは,所得税の期間税とし ての性質上むしろ当然のことであり,遡及立法禁止の原則に違反しない。また,本件改正附則を含む改正措置法の立法目的は,現行の土地譲渡 益課税制度を見直し,他の資産と均衡の取れた市場中立的な税体系を構 築することにあり,そのため,土地建物等の譲渡所得に係る損益通算の 廃止は税率引下げ等と一つのパッケージとされ,土地市場の活性化を図 るために早急な実施が必要であった。さらに,土地建物等の譲渡所得に係る損益通算の廃止及びそれが平成 16年分以後の所得税について適用されることは,平成16年分所得税 の課税期間が開始される以前からある程度国民に対して周知されてい た。これらの事情等に照らせば,本件改正附則の立法目的は正当であり, その内容はその立法目的との関連で不合理であることが明らかであると は到底いえないから,本件改正附則は憲法84条に違反しない。第3 当裁判所の判断
1 証拠(各認定事実ごとに末尾に掲記する)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 平成16年税制改正の背景及び改正措置法の立法趣旨等(乙7,16,29の1ないし3,30ないし32) 平成16年税制改正は,現在,我が国が,少子・高齢化,グローバル化等の構造変化に直面している中で,公平な社会を構築し,将 来にわたり持続的な経済社会の活性化を実現するため,税制を新た な社会に相応しい姿に再構築するための抜本的改革を進めていかな ければならないとし,その際,1個人や企業の自由な選択を妨げず, 経済活動に中立で歪みのない税制を基本としつつ,構造改革を推進 し,経済社会の活性化を図るため必要な対応をすること,2経済社 会の構造変化に対応しきれず,税負担の歪みや不公平感を生じさせ ている税制上の諸措置の適正化を図ること等の視点が重要であると の基本的考え方に立っている。そして,これらの視点に基づき,平成16年度改正においては, 具体的に,個人資産の活用を促進し,資産デフレへの対応を図る観 点から,住宅・土地税制等を見直す等の所要の措置を講じている。
 そのうち,土地税制に関しては,土地譲渡益課税につき,株式に対 する課税とのバランスを考慮し,土地取引の活性化を後押しする観 点から,長期譲渡所得の税率を引き下げている。措置法関係の改正の内容は,上記前提事実(2)記載のとおりである が,その改正の趣旨については,土地譲渡益課税について,使用収 益に応じた適切な価格による土地取引を促進し,特に収益性の高い 土地の流動性を高め,土地市場の活性化に資する観点から,株式に 対する課税とのバランスを踏まえ,長期譲渡所得税の税率の引下げ 及び他の所得との損益通算の廃止・繰越控除等を一つのパッケージ として措置することとされたものである。とりわけ,損益通算・繰 越控除の廃止を採用した理由は,次のとおりである。すなわち,分 離課税の対象となる土地建物等の譲渡所得に対する課税については, 利益が生じた場合には比例税率の分離課税とされている一方で,損 失が生じた場合には総合課税の対象となる他の所得の金額から控除することができるという主要外国に例のない不均衡な制度であると いったこと等の問題点が指摘されていた。このような問題に対処す るため,今回の改正をする必要があったためである。もっとも,株 式に対する課税との均衡を図るとはいっても,納税者の生活に大き な影響を与える居住用財産については,特別な配慮が必要であるこ とから,改正措置法は,譲渡損失の損益通算及び繰越控除の特例の 拡充・創設等の手当を施す等の措置を講じている。そして,これらの改正は,平成16年1月1日以後に行う譲渡か ら適用することとされた(本件改正附則)。その趣旨は,仮に,関 係改正規定の適用を1年間遅らせるとした場合,節税のための損益 通算を目的とした安売りによる土地の売却を招いて,土地市場に不 測の影響を及ぼすおそれがあることから,その適用を遅らせるのは 適当ではないと判断したためである。実際にも,上記与党の「平成 16年度税制改正大綱」の内容が報道された直後から,資産運用コ ンサルタント,不動産会社,税理士事務所等が開設しているホーム ページ上において,次々と値下がり不動産の年内駆け込み売却が勧 められ,また,一部の税理士は,平成15年中にこの事態に対処し ていたと報じられていた。(2) 改正措置法の立法に係る経緯は次のとおりである。
ア 平成12年7月,政府税制調査会において,「わが国税制の現 状と課題ー21世紀に向けた国民の参加と選択ー」という報告書 が作成されたが,その中で,損益通算に関し,租税回避行為への 対応として,操作性の高い投資活動から生じた損失と事業活動な どから生じた所得との損益通算の制限について検討が必要との指摘がされた(乙20)。
イ 平成14年2月18日,国土交通省の国土審議会土地政策分科
会企画部会において,地価の上昇を前提としない土地税制や不動 産に対する投資意欲の喚起のための不動産税制を考える必要があ ることなどが議論された(乙26の2)。ウ 同年6月19日,国土交通省の「今後の土地税制のあり方に関 する研究会」の中間取りまとめにおいて,バブル経済崩壊後の地 価下落等の土地をめぐる環境の変化(利用価値に応じた価格形成) を踏まえた税制の構築,株式等他の資産と均衡を失しない市場中 立的な税体系の検討等が必要であるとの指摘がされた(乙27)。エ 平成15年8月31日,国土交通省は,平成16年度の税制改 正について,株式等他の資産と均衡を失しない市場中立的な税体 系を構築することにより土地への投資意欲を喚起するため,他の 資産と比べて重く課税している土地譲渡所得に対する税率の引下 げを要望した(乙28)。オ 平成16年度税制改正の手続の流れは,次のとおりである。平 成15年12月15日に政府税制調査会において「平成16年度 の税制改正に関する答申」が,同年12月17日に与党において 「平成16年度税制改正大綱」が取りまとめられ,平成16年1 月16日には「平成16年度税制改正の要綱」が閣議決定された。
 この要綱に基づいて作成された「所得税法等の一部を改正する法 律案」が,同年2月3日に国会に提出され,可決・成立し,同年 3月31日公布された。改正措置法を含む上記所得税法等の一部を改正する法律(平成 16年法律第14号)は,平成16年4月1日施行された。なお, 政府税制調査会による上記「平成16年度の税制改正に関する答 申」には,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算を廃止す ることは盛り込まれていなかったが,平成15年12月18日の A新聞に掲載された与党である自由民主党の上記「平成16年度税 制改正大綱」には,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算 を廃止することが記載されていた。平成16年1月16日の閣議 において決定された平成16年度の税制改正の要綱においても, 土地建物等の長期譲渡所得について損益通算を廃止することが盛 り込まれ,その内容が上記所得税法等の一部を改正する法律案と なり,上記可決・成立したものである(甲7,乙7,21,弁論 の全趣旨)。2 以上1認定の事実及び上記前提事実を踏まえて,次に本件争点につい て検討する。(1) 本件改正附則が遡及立法であるかどうかについて
原告は,本件改正附則が遡及立法に当たり,憲法84条の租税法 律主義の規定に違反する旨主張する。租税法規については,刑罰法 規の場合と異なり,遡及立法の禁止を明文する憲法の規定は存在し ないものの,租税法規について安易に遡及立法を認めることは,租 税に関する一般国民の予測可能性を奪い,法的安定性をも害するこ とになることから特段の合理性が認められない限り,原則として許 されるべきではなく,このことを憲法84条は保障しているものと 解される。そこで,本件改正附則が遡及立法といえるかどうかについて検討 する。確かに,上記第2の1(関係法令の定め等)及び2(前提事 実)によれば,原告は,平成16年分の所得税の課税年度開始後に 本件譲渡を行い,これによって多額の本件譲渡損失が発生した後に, 譲渡による損失を他の所得の金額の計算上,損益通算することを禁 止する規定を設け,その適用を年度開始時から行う旨の本件改正附 則を含む改正措置法が同年度内に成立し,施行されたものであるから,同不動産の譲渡時を基準とする限り,少なくとも同附則は遡及 立法に当たりはしないか問題となる。実質的に考えても,本件譲渡 がされた時点においては,その譲渡による損失を他の各種所得の計 算上において損益通算できるとする改正前の措置法が効力を有して いたのであり,一般納税者としては,その損益通算による利益をも 予め考慮して譲渡に及ぶことが通常予想される。とりわけ,本件譲 渡を行った者が租税の専門家とはいえない一般納税者の場合には, 譲渡が行われた年度内に譲渡による損失の損益通算が廃止されるこ とを予想して,その危険を回避する措置を期待することは必ずしも 容易ではないとみられ,したがって,原告の場合,本件改正附則が 本件譲渡にも適用されることによる不利益は決して少なくはないと いえる。しかしながら,遡及立法が禁止の対象とする行為は,過去の事実 や取引を課税要件とする新たな租税を創設し,あるいは過去の事実 や取引から生じる納税義務の内容を納税者の不利益に変更する行為 であるところ,所得税はいわゆる期間税であり,これを納付する義 務は,国税通則法15条2項1号の規定により暦年の終了の時に成 立し,また,その年分の納付すべき税額は,原則として所得税法1 20条の規定により確定申告の手続により確定するものであり,ま た,損益通算については,所得税法の関係規定によれば,所得税の 納税義務が成立し,納付すべき税額を確定する段階において,その 年間における総所得金額等を計算する際に,譲渡所得等の金額の計 算上損失が生じている場合には,その金額を他の各種所得の金額か ら控除するという制度であり,個々の譲渡の段階において適用され るものではなく,対象となる譲渡所得の計算も,個々の譲渡の都度 されるものでもなく,1暦年を単位とした期間で把握される(所得税法33条3項)ものである。そうすると,本件において,平成1 6年分の所得税の課税期間が開始したものの,その所得税の納税義 務が成立する以前に行われた本件譲渡についても改正措置法を適用 する旨を定めた本件改正附則は,厳密にいえば,遡及立法には該当 しないといわざるを得ない。このことは,上記第2の1(関係法令 の定め等)の(6)のとおり,本件改正附則と同様に暦年の途中で施行 されながら,その適用を暦年の開始時からする旨を定めた法令の立 法がこれまで少数とはいえ行われてきたことからもうかがわれる。
 また,改正措置法の施行日前に納税者の死亡等によって,既に所得 税の納税義務が成立し,又は確定している場合には,既に成立した 納税義務の内容を変更することがないよう,改正措置法附則27条 2項及び3項において手当がされていることからも明らかなように, そのような場合に当たらず,課税義務が未だ成立していない場合に ついては,本件改正附則が遡及立法に該当しないことを当然の前提 にしているものと解される。もっとも,期間税の場合であっても,納税者は,通常,その当時 存在する租税法規に従って課税が行われることを信頼して各種の取 引行為を行うものであるといえるから,その取引によって直ちに納 税義務が発生するものではないとしても,そのような納税者の信頼 を保護し,租税法律主義の趣旨である国民生活の法的安定性や予見 可能性の維持を図る必要はある。もっとも,期間税について,年度 の途中において納税者に不利益な変更がされ,年度の始めにさかの ぼって適用される場合とはいっても,立法過程に多少の時間差があ るにすぎない場合や,納税者の不利益が比較的軽微な場合であると か,年度の始めにさかのぼって適用しなければならない必要性が立 法目的に照らし特に高いといえるような場合等種々の場合が考えられるのであるから,このような場合を捨象して一律に租税法規の遡 及適用であるとして,原則として許されず,特段の事情がある場合 にのみ許容されると解するのは相当ではない。そうすると,本件のように厳密には租税法規の遡及適用であると はいえないような場合は,後記のとおり,立法裁量の逸脱・濫用の 有無を総合的見地から判断する中で,当該立法によって被る納税者 の不利益をも斟酌するのが相当であるというべきである。(2) 本件改正附則が立法裁量を逸脱・濫用したものかどうかについて 租税法規において,国民の課税負担を定めるについては,財政・ 経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とする ばかりでなく,極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らか であるから,納税義務者に不利益に租税法規を変更する場合は,そ の立法目的が正当なものであり,かつ,当該立法において具体的に 採用された措置が同目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り,憲法違反となることはないと解するのが相当である。 そして,当該立法措置が著しく不合理かどうかを検討するに際して は,それが厳密には納税義務者に不利益な遡及立法とはいえないと しても,不利益に変更される納税者の既得利益の性質,その内容を 不利益に変更する程度,及びこれを変更することによって保護され るべき公益の性質,納税者の不利益を回避するためにあらかじめ取 られた周知等の措置等を総合的に勘案すべきである。そこで,この観点に立って,本件改正附則の憲法適合性について 検討する。ア 本件改正附則を含む改正措置法の立法目的について
本件改正措置法の立法目的については,本件譲渡との関係では, 税率引下げによる土地取引の活性化を促すことが低迷する我が国経済の現状に鑑みて急務とされていたことに加えて,株式に対す る課税との不均衡是正の見地(ただし,納税者の生活に大きな影 響を与える居住用財産の譲渡のような場合は,政策的見地から譲 渡損失の損益通算等の特別の配慮を施している。)から,土地建 物等の長期譲渡所得に係る損益通算をできるだけ早期に廃止する 必要があったことが挙げられる。そして,本件改正附則を設けた のも,措置法の改正において,損益通算の廃止は,長期譲渡所得 税率の引下げと一体の措置として実施することを予定していたと ころ,仮に損益通算の廃止のみの施行時期を遅らせれば,駆け込 み目的の安売りによる資産デフレの助長が懸念されたことから, 改正措置法31条の規定を平成16年分の所得の課税開始時以後 に行う土地等の譲渡について適用する必要性が高かったことによ る。そうすると,本件改正附則を含む改正措置法の立法目的は正当 なものということができる。イ 立法目的との関連における本件改正附則の措置の合理性につい て原告の主張は,要するに,改正措置法が施行される以前に認め られていた土地建物等の譲渡による損失を他の所得金額の計算上, 損益通算できる制度が,年度内に成立,施行された改正措置法の 31条により廃止されたことにより著しい不利益を受けたもので あり,また,このような不利益を受ける新たな制度(損益通算廃 止)が設けられることの周知がされずに同法を年度開始時に遡っ て適用することを本件改正附則が規定していることから,納税義 務者の予見可能性を奪うものであり,憲法84条に違反するとい うものである。そうすると,本件において合理性の有無が問題となる立法措置とは,1損益通算を廃止する改正措置法31条の措 置及び2それを改正措置法の施行前の年度開始時以後の譲渡に適 用する本件改正附則の措置ということになる。そこで,これらの措置が著しく合理性を欠くかどうかについて, 次に検討する。(ア) 1の損益通算廃止措置について
居住者に対する所得税の課税は,すべての所得を合算した 金額に対して行われるのが原則である(所得税法21条1項) が,所得税法では,退職所得及び山林所得に対しては,総合 課税の例外としてそれぞれ分離課税とされ(所得税法22条), 措置法においては,土地建物等の譲渡所得等に対する分離課 税(措置法28条の4,31条,32条),株式等に係る譲 渡所得等の課税の特例(措置法37条の10ないし37条の 15)等の総合課税に対する多くの例外が定められている。
 これは,所得の性質からみて,ある所得の損失を他の所得か ら控除するのが相当ではないとみられ,それがために総合課 税の対象外とされているものである。譲渡所得については, 種々の特別措置が設けられているところ,土地建物等の譲渡 所得については,土地政策等の観点から所得税本則による総 合課税によらず,租税特別措置として,他の所得と区分して 本則の負担よりある部分は軽課し,ある部分は重課するのが 相当とされることから,分離課税とされている。ところで,株式等に係る譲渡所得等に対する課税について は,上記のとおり,措置法により,他の所得と区分して分離 課税することとされているところ,利益が生じた場合には, 原則として20パーセント(うち住民税5パーセント)の税率により課税され,損失が生じた場合には,当該損失の金額 は生じなかったものとみなされている(措置法37条の10 第1項)。他方,同じく分離課税とされる土地建物等の譲渡 所得に対する課税については,株式等に係る譲渡所得等と同 様に,資産の譲渡に係る課税であり,措置法により分離課税 とされているにもかかわらず,利益が生じた場合には,26 パーセント(うち住民税6パーセント)の税率による分離課 税を行い,他方,損失が生じた場合には,最高税率50パー セントで総合課税の対象となる他の所得の金額から控除され る損益通算が認められていたものであり,これが不均衡であ り,適正な租税負担の要請を損なうおそれがあるとの指摘が されていた。そうすると,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算 の制度を廃止することは,同所得に分離課税方式が採られて いたこととの整合性を図り,かつ,損益通算がされることに よる不均衡を解消して適正な租税負担の要請に応えるものと して,合理性があるということができる。そして,平成16年度税制改正における譲渡所得について の損益通算の廃止は,長期譲渡所得の税率引下げ等の措置と 相まって,使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促 進し,収益性の高い土地の流動性を高め,もって,土地市場 を活性化させ,これにより土地価格の下落に歯止めがかかる ことが期待されたものであり,その目的に照らして,損益通 算廃止措置は合理性を有するものと考えられる。もっとも, 土地建物等の譲渡の場合は,株式等の資産の譲渡の場合とは 異なり,居住用不動産の買換え等の必要から譲渡が行われる場合の損失について一定の政策的配慮が必要であるとみられ るところ,この点については,上記のとおり,改正措置法に おいて手当が施されており,したがって,上記合理性は確保 されているものということができる。(イ) 2の本件改正附則の措置について 原告が特に問題とする点は,上記(ア)の点よりもむしろ損益通算廃止措置を既に本件譲渡がされた日よりも前の年度開 始日に遡って適用することを内容とする本件改正附則の合理 性にあるものと解される。そこで,この点の合理性について次に検討する。
原告は,本件改正附則の適用により,既に行った本件譲渡 による多額の損失を給与所得等の所得の金額の算定上,損益 通算することができないことになり,損益通算がされた場合 に受けられる多額の税金還付が受けられないという予期しな い不利益を受けていることは明らかである。このような不測 の不利益を納税者にもたらさないためにも,既存の損益通算 制度を廃止する租税法規は,その施行前に納税者に予測可能 性をもたらすものである必要がある。本件の場合,不動産譲 渡による損失を他の所得の金額の計算上,損益通算する制度 の問題性については,平成16年税制改正の数年前ころから 政府税制調査会において既に度々指摘されていたものであり, これが自由民主党の決定した平成16年度税制改正大綱の中 に損益通算制度廃止という内容で盛り込まれた。そして,そ の大綱の内容は,平成15年12月18日の A 新聞に掲載さ れ,その周知の程度は完全なものとはいえないまでも,平成 16年分所得税から長期譲渡所得について損益通算制度が適用されなくなることを納税者において予測することができる 状態になったということができる。したがって,平成16年 1月1日からの土地建物等の譲渡時を基準とすると,確かに 切迫していたことは否定できないものの,同日以降の土地建 物等の譲渡について損益通算ができなくなることを納税者に おいてあらかじめ予測することができる可能性がなかったと まではいえない。加えて,上記のとおり,所得税は期間税で あること等から,暦年の終了時に納税義務が生じるものであ り,その前においては,たとえ当該年分の所得税の課税期間 が開始していたとしても,従前の租税法規の内容が改正され て年度開始時に遡って適用される可能性がないとはいえず, 特に本件の場合のように,税制大綱が年度前に公表され,年 度開始後1箇月程度で改正措置法案が国会に提出されて可決 成立しているのであり,このような場合に改正法が年度開始 時にさかのぼって適用される可能性は否定できない。そして, 現にこれまでもそのようなケースが決して稀ではなかったこ とをも勘案すると,所得税のような期間税の場合,年度が開 始した後は年度開始時に遡って租税法規が納税者に不利益に 変更される可能性が立法の必要性如何によってはあり得るこ とを納税者としても全く予測できないとはいえないと考えら れる。そこで,本件改正附則が成立時にそれまで認められていた 損益通算の制度を,既に課税期間が開始した平成16年1月 1日にまで遡って適用しなければならないとするまでの合理 性又は必要性があるかどうかについて考える。上記のとおり, 本件改正附則の立法目的は,土地取引の活性化と株式取引等との不均衡是正の見地から,従来認められていた合理的とは いえない損益通算の制度の廃止等と長期譲渡所得税率引下げ をパッケージとして,できるだけ早期に実施する必要があっ たことに加えて,これらの実施を翌年度まで遅らせれば(少 なくとも,改正措置法施行後9箇月間は実施できないことに なる。),その間に節税をねらいにした不当な低価による土地 取引が横行しかねず,これが資産デフレをもたらすとの懸念 によるものであり,特に後者の点は,現にその与党である自 民党の平成16年度税制改正大綱が A 新聞に報道された直後 ころから,年内の駆け込み土地売却を勧める税理士等の提案 がインターネットのホームページに掲載される等の動きがみ られたことからも,単なる懸念にとどまらず現実性を帯びて いたものである。そうすると,本件改正附則のとおり,損益 通算を廃止する等を内容とする改正措置法を成立・施行前の 平成16年1月1日に遡って適用する合理性・必要性を肯定 することができる。そして,その公益性と原告等の納税者に もたらされる不利益とを比較した場合,明らかに納税者の不 利益が上回るということはいえず,少なくとも,本件改正附 則の内容が立法目的に照らして著しく不合理であるというこ とはできない。したがって,本件改正附則は憲法84条には 違反しないから,その違反をいう原告の主張は理由がなく採 用することはできない。そうすると,本件においては,本件改正附則の適用がある から,本件通知処分は適法である。第4 結論 よって,原告の本訴請求には理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
 千葉地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官 堀 内 明
裁判官 上田 哲
裁判官西田昌吾は転補のため,署名押印することができない。
裁判長裁判官 堀 内 明
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