主文
1 被告らは,原告に対して,連帯して450万円及びこれに対する被告学校法人東京女子醫科大学については平成12年12月30日から支払済みまで,被告aについては同月31日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。2 原告のその余の請求は,いずれも棄却する。
3 訴訟費用については,原告及び被告学校法人東京女子醫科大学に生じた費用の各40分の1を被告学校法人東京女子醫科大学の負担とし,原告及び被告aに生じた費用の各6分の1を被告aの負担とし,その余の費用全部を原告の負担とする。4 この判決は,第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告学校法人東京女子醫科大学(以下「被告大学」という。)は,原告に対し,1億9716万円及びこれに対する平成12年12月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告aは,原告に対し,3000万円及びこれに対する平成12年12月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,25年間にわたって被告大学の助教授であった原告が,被告らに対して,被告大学の歴代の主任教授ら(被告aは平成10年以降の主任教授)による退職強要行為により退職を余儀なくされて損害を受けたと主張して,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求(及び訴状送達後の遅延損害金。なお,被告aに対する請求とその請求額の限度の被告大学に対する請求とは,連帯債務の関係に立つ。)を,被告大学に対して,不当な差別意思により教授昇格を違法に阻んだと主張して,不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求(及び訴状送達後の遅延損害金)をしている事案である。
1 争いのない事実
(1) 原告(昭和16年9月22日生)は,昭和42年3月東京大学医学部医学科を卒業,同年4月医師免許取得後,東京大学医学部脳神経外科に入局した。原告は,昭和50年2月,被告大学に脳神経外科講師として採用され,同年4月,脳神経外科の助教授となり,平成12年5月31日,助教授のまま,被告大学を退職した。
 被告大学は,明治33年に設立され,昭和26年に認可を受けて学校法人となった。東京都新宿区<以下略>に医学部医学科を設置している他,同所に東京女子医科大学病院(以下「大学病院」という。)を開設,設置し,東京都荒川区には,神経精神科等の医療を行う被告大学附属第二病院(以下「第二病院」という。)を設置している。
 被告aは,平成10年6月,鳥取大学医学部教授から被告大学脳神経外科主任教授となり,現在に至っている。
(2) 原告は,被告大学に在勤中,被告大学において脳神経科学に関する研究をし,被告大学医学部医学科の学生及び看護短期大学看護学部の学生らに対して脳神経学全般に関する講義を行い,大学病院脳神経センターにおいて,医師として患者の治療及び手術をしていた。
(3) 被告大学学則においては,教育及び研究のために必要な基本定員の教授,助教授,講師及び助手を置くと規定し(42条1項),基本定員の他に一定数の教職員を置くことができる(同条2項)との定めがある。
 そして,被告大学の教職員組織に関する規程には,講座の教職員基本定員を主任教授1名,助教授1名,講師1名,助手3名と定め(1条),この基本定員のほか,増員することができると規定し,脳神経外科のような臨床教室にあっては,入院患者100を越えるときは,2名ないし5名の教授を置くことができる旨規定する(2条2項)。
 被告大学の医学部教授会規程は,学長,各部長及び主任教授をもって主任教授会を組織し(10条1項),主任教授会においては,主任教授の選出及び教授の選出を審議する(同条3項)と規定している。
 そして,被告大学の医学部教授会規程は,主任教授の選出については,主任教授会において主任教授の互選により選考委員5名を選出し(当該講座の主任教授は,選考委員にならない(8条)。),その委員会によって3名以内の候補者を選び,学長,医学部長に報告した後,選考理由を付して主任教授会に提出し(6条),主任教授会は,その候補者から,有効投票数の3分の2以上を得た者を当選とする(11条)との定めを置いている。
 また,主任教授以外の教授については,学長又は主任教授より教授の推薦があったときは,主任教授会において主任教授の議決により決定する旨の規定がある(14条)。
 一方,被告大学の附属第二病院規程には,各診療科に部長をおき,本学教授をもってあてる旨規定し(5条),第二病院各診療科部長選出内規によれば,各診療科部長の選出については,病院長(委員長),部長会議で選出された教授3名及び医学部長指名の本学病院同系列診療科教授1名で構成する選考委員会を設置し,選考委員会により選考された候補者が被告大学の教授でないときは,主任教授会の議決を経て部長及び被告大学の教授に任命され,その候補者が被告大学の教授のときは,部長会議及び主任教授会の承認を経て部長に任命されるとの規定を置いている。
(4) 昭和63年3月,被告大学脳神経外科主任教授であったb教授が定年退任後,脳神経外科の主任教授選考が実施された。原告は,その選考に応募した。主任教授会の選考委員会は,c東京大学医学部助教授を推薦したが,同氏は主任教授会で否決されたため,d教授(主任教授以外の教授)が脳神経外科の主任教授を代行した。
 平成4年,脳神経外科の主任教授選考があった。学内,学外からの候補者を募り,選考委員会は,当時東京大学脳神経外科教授のe,d教授及び原告を推薦する候補者として選出された。そして,主任教授会の投票の結果,同年5月,e教授が主任教授に就任した。
 平成8年,e教授が被告大学学長に就任した際,被告大学附属第二病院の脳神経外科教授のポストが空く見込みとなったので,e学長は,原告に対し,そのポストに就任することを勧めたが,原告は来るべき主任教授選考に応募したいとしてそれを拒絶した。
 平成10年のe学長の教授定年に伴う主任教授選考において,原告もその選考に立候補したが,主任教授のための選考委員会による推薦を受けることができなかった。主任教授会による選考の結果,鳥取大学教授の被告aが主任教授に就任した。
 同年から平成11年にかけて,第二病院脳神経外科部長の選考が行われ,原告も応募したが,選考のための選考委員会において,原告は,候補者に選出されなかった。
(5) 原告は,平成12年4月3日,被告大学のe学長に対し,職場におけるハラスメントを退職の理由として,同年5月31日付けで退職する旨の退職届を提出した。e学長等は,原告を慰留したが,原告は,同日,被告大学を退職した。2 争点及び当事者の主張
(1) 嫌がらせないし退職強要行為
(原告の主張)
ア 昭和63年1月,被告大学のb主任教授は,原告のNHKの番組出演を中止させた。
イ 昭和63年3月,被告大学脳神経外科のカンファレンスにおいて,b教授は,原告は被告大学から出て行けという趣旨の発言をした。
ウ 平成4年10月,被告大学脳神経外科主任教授に就任したe教授は,原告を被告大学病院脳神経センターの5階病棟の病棟医長職から外した。
エ e教授は,着任直後,原告が中心となった研究グループを解体した。オ 平成7年1月,何者かにより原告担当の脳腫瘍の患者の手術が当日に中止扱いとなった。
カ 平成7年10月,被告大学の原告あての郵便物が届かなかった。キ 平成10年の日本定位・機能神経外科学会の第27回大会において,原告は会長職から外され,e教授が会長となった。
ク e教授就任直後及びその在任中,被告大学脳神経外科外来の患者待合室に掲示されている外来担当医師一覧表示板から,原告の名札が取り去られた。ケ 平成9年2月,e教授は,来るべき脳神経外科主任教授選考の立候補を妨害する目的で,原告に対して第二病院の教授職になることを勧めた。
コ 平成9年12月,被告の保管するパソコン用の印刷機にのりのようなものが入れられ,使用不能になった。
サ 被告aは,平成10年10月22日の脳神経外科の職員会議において,翌年4月にスタッフの大改造を計画しており,スタッフは定年まで留まる必要はなく,教室の発展のために後進に道を譲るべきであるという内容の文書を配布した。この文書の対象者は,原告であることが明らかだった。
シ 被告aは,平成10年12月15日,α記念館で行われた被告大学の大学病院脳神経センター忘年会の際,研究,臨床の場で活躍していないお荷物的なスタッフは,死に体で残り生き恥をさらすよりも自分にふさわしい場を見つけて生きていく方がよいという内容の文書を配布した。この文書の対象者は原告であることが明らかであった。被告aは,忘年会の冒頭で,20年以上も助教授をして教授にもなれない人は一刻も早くやめてもらい,来年の忘年会には,そういう問題もきれいにしたい旨を述べた。
ス 被告aは,平成10年12月17日,被告大学の脳神経センター医局室における職員会議において,原告を無能呼ばわりをし,早期の退職を求める発言をし,原告の名誉を毀損して誹誇,侮辱をする発言をした。
 以上のサ~スの結果,被告大学の脳神経外科の職場において,原告と口をきく医局員はいなくなり,いわば村八分状態となった。
セ 平成11年4月,昭和55年以来原告が兼務していた労働省東京労働基準局の地方労災医員,労災保険診療費審査委員の公務の任期満了に伴う,被告大学宛の再委嘱依頼に対し,被告大学は,正当な理由なく拒絶した。
ソ 平成11年8月,被告aは,原告が長年にわたり使用してきた脳神経外科医局の助教授室を取り壊し,原告は脳波検査室内に急造された部屋で稼働せざるを得なくさせた。
タ 平成11年7月,原告が髄膜腫の患者の手術をしようとした際,午前9時開始の手術が被告aの意向により一方的に午後3時に変更され,その結果患者は食事をとれないまま手術を受けることになった。
チ 原告は,平成12年2月,第二病院脳神経外科部長選考に応募したが,被告大学は,脳神経外科部長就任を不当に拒絶した。
ツ 被告aは,平成12年3月作成の被告大学脳神経外科の教育要綱から,原告に対して何の説明もなく,了解を得ることなく,原告の名を削除し,26年間にわたって原告が行ってきた学生に講義をする機会を剥奪した。
テ 原告は,平成12年4月3日,e学長に対し,退職届を提出したが,これは,被告大学及び被告aによる継続的な退職強要による意に反した退職届の提出を強制的にさせられたものである。
ト 被告aは,自己による名誉毀損及び退職強要行為に対し,民法709条により,被告大学は同法715条により,損害賠償責任を負う。
ナ 使用者は,労働者の個人の尊厳・人格を尊重し,これが侵害されないように努め,その意に反して職場から離脱されないようにすべき注意義務がある。被告らによるア~ツの一連の行為は,原告の退職を強要する目的でなされたものであり,原告と被告大学間の労働契約上の債務不履行(職場環境整備義務違反)又は不法行為により,被告大学には原告に対し,損害賠償義務が存する。
(被告らの主張)
ア 被告らは,原告の主張をすべて争うが,本件口頭弁論期日において,原告の主張する不法行為に基づく損害賠償請求権について,消滅時効を援用するとの意思表示をした。
イ 原告の主張サについて。被告aによる文書配布の趣旨は,研究費等の申請をする時期にあって,学会での発表もなく研究費の申請をしていないスタッフの反省を促したもので,ことさらに原告を誹謗,中傷するものではない。
ウ 原告の主張シについて。被告aによる文書配布の趣旨は,臨床,教育,研究という大学病院における教職員の職責の自覚を図るため,スタッフの中でほとんど手術をしない4名(原告を含む。)のスタッフの自覚を促すものであり,ことさらに原告の名誉を毀損する趣旨のものではなかった。
エ 原告の主張スについて。職員会議において,被告aが原告の説明の誤りを指摘したところ,原告が反論して口論になり,その過程で原告が臨床,教育,研究のいずれにも活動が不十分であることを指摘したのであり,原告の主張は,その口論のやりとりを自己に都合の良い部分のみを抜き出したものに過ぎない。オ 原告の主張セについて。被告aは,原告が助教授としての職責を果たしておらず,外部の公務に就任する時間があるなら,助教授の職責を全うすべきであるとの考えから,再委嘱依頼を不許可とした。しかし,被告大学は,すぐにこれを撤回して再委嘱を許可し,原告は再委嘱された。
カ 原告の主張ソについて。脳神経外科に割り当てられた限られたスペースを教室に所属する教職員全員が効率的に使用する目的で,平成11年8月の医局会での合議,決定に基づき脳神経外科の教室全体の改装をしたものであり,ことさらに原告を不利に扱う意図のもとに行われたものではない。
キ 原告の主張ツについて。被告aは,原告の作成する試験問題及びレジュメが不適切であると判断し,平成12年度の講義担当者から原告をはずさざるを得なくなった。この機会に講義担当が外れたのは原告だけではない。また,平成12年度において,原告は5コマの担当をはずされたが,被告aの判断ではずしたのはそのうち3コマ分のみであり,残り2コマはf神経内科主任教授(被告大学の脳神経センター長)の判断によるものである。
ク 原告の主張する職場環境調整が不十分であるとの主張について。平成7年10月の郵便物が抜き取られた件,平成9年12月のプリンターののり付けの件は,原告の指摘に基づき,e教授が医局員を注意をした。これ以上の対策を立てることは不可能である。また,平成10年12月17日の職員会議時の口論について,e学長は,原告の指摘に基づき,f教授とも相談して被告aを注意した。原告の申告には,被害妄想的な思いこみがあり,被告aとの関係も口論であるといわざるを得ないから,被告大学としては,可能なことを行ったというべきである。ケ 原告が退職届を提出したのは,自発的かつ任意なものである。平成12年4月3日,原告はe学長に対して退職届を提出したが,e学長は,その日及びその後の電話で,60歳まで勤務すれば企業年金が支給されること,次の就職先が決まっていても兼任も許容できると説明し慰留した。被告大学のg専務理事も慰留した他,f教授は,東京理科大学健康管理センター所長(教授)の推薦をし,被告大学の客員教授として診療が続けられると説明して慰留を繰り返したが,原告は辞職の意思が決まっているとして聞き入れなかったものである。
コ 使用者責任の成立には,被告大学が被告aの業務執行に対し指揮監督する関係が必要があるが,直接指揮監督を行う立場にはない。また,被告aの行為について,原告は,e学長に被害を申告したものの,その内容には被害妄想的思い込みが多く,被告aの説明にも合理性があって,それ以上の調査もできなかった。前述の被告大学の対応には問題がない。
(2) 教授昇格差別
(原告の主張)
ア 原告の教育能力,研究実績,診療能力,人間性及び社会性を評価すれば,原告は被告大学の教職員昇格,採用準拠基準の教授の水準を越えるだけでなく,主任教授及び主任教授以外の教授としての適格性がある。
イ 被告大学で30歳代で助教授に就任した者は,途中に個別事情により病院の医師となったわずかな例を除き,全員教授に昇格している。また,被告大学脳神経外科のh教授及びd教授は,いずれも30歳代で助教授に就任し,46歳で教授に昇格した。
 以上のように,被告大学においては,原告のように30歳代で助教授に就任した者は,46歳前後で教授に昇格する取扱いがなされていた。被告大学と原告との間には,その時点で原告を教授にすべき義務が存する。
ウ 被告大学には,少なくとも1昭和63年4月,原告は46歳となり,b主任教授は定年退職していたとき,2平成6年4月,e教授により,名古屋市立大学の主任教授に推薦されたとき,3平成9年4月,e教授により,第二病院脳神経外科部長(教授)になるように勧められたとき,4平成12年4月,第二病院脳神経外科部長の選考に応募したときには,原告に教授にすべき義務が存した。エ 被告大学で定員が厳格に定められているのは主任教授のみであり,学内でかつて定員外教授と称せられていた教授がおり,主任教授以外の教授は適宜増減されている。また,乙8によれば,被告大学の脳神経センターの教授の定員は5名であると読みとることができ,主任教授以外の教授の現在員は5名に達していないから,常時欠員があり,主任教授が原告を教授に推薦することは可能であった。そして,主任教授が主任教授会に推薦をすれば,その者が教授になることについて,否決された例はない。したがって,原告が被告大学の教授(主任教授以外の教授)に就任することは可能であった。
オ 被告大学に大学の自治があり,教授にすることが被告大学(ないし主任教授会)の裁量に属することは争うものではない。
 しかし,原告のように,25年間という異常な長期間,助教授に据え置いたこと,その動機がロッキード事件の際に社会正義の立場に立った原告を当時の主任教授が嫌悪したことによることから考えて,被告大学の対応は,裁量権の範囲を逸脱しており,大学の自治が認められる趣旨,目的に添わないものとして司法審査の対象となる。
カ 原告の能力,業績に照らせば,原告が教授になり得る適格性があることは明らかであり,e学長も認めるところである。平成9年~平成10年の主任教授の選考,平成10年~平成11年の第二病院の教授の選考とも,原告を不当に低く評価した選考が行われたものである。
(被告大学の主張)
ア 被告大学は,原告の主張をすべて争うが,本件口頭弁論期日において,原告の主張する不法行為に基づく損害賠償請求権について,消滅時効を援用するとの意思表示をした。
イ 被告大学の脳神経外科の教授の定員は,主任教授1名,それ以外の教授1名であり,少なくとも平成9年以降は,ポストに欠員はなかった。
ウ 主任教授の選考,第二病院の教授の選考とも,いずれも独立した選定委員会によって,研究業績,臨床業績,教育能力及び社会性等の観点から高度な専門的見地に基づいて選考したものである。このような選考委員会による選考手続は,高度の裁量性が認められるべきものであり,大学の自治の保障の観点から許容される範囲のものである。
(3) 損害
(原告の主張)
ア 教授昇格差別による差額賃金 562万2600円
イ 教授昇格されなかったことに対する慰謝料 1000万円
ウ 退職強要により受給できなかった企業年金 5555万9400円 被告大学は,新企業年金保険契約により,教職員が満65歳の定年時から勤続25年以上の者は10年間,退職時の基準給与の65パーセント相当額の年金受給権がある。原告は,満58歳時である平成12年5月に退職強要行為により退職を余儀なくされたため,この年金受給権を失った。退職の強要がなかったとした場合のライプニッツ方式によって中間利息を控除した年金受給額の最大値は,上記金額である。
エ 退職強要行為により失った退職金額 1779万2434円
 被告大学の職員定年退職金規程によれば,原告が平成12年5月の退職強要行為により退職を余儀なくされたため,定年時まで勤務したという仮定で計算した得べかりし退職金額の最大値は,上記金額である。
オ 退職強要行為により給与額 6580万5100円
 被告大学の平成12年度給与表によれば,原告が平成12年5月の退職強要行為により退職を余儀なくされたため,定年まで勤務したという仮定で計算した得べかりし給与金額の最大値は額は,上記金額である。
カ 退職強要行為による慰謝料 3000万円
キ 弁護士費用 1000万円
(被告らの主張)
 原告の損害の主張は,すべて争う。
 新企業年金保険契約,職員定年退職金規程及び平成12年度給与表の存在は認めるが,債務不履行,不法行為との因果関係,損害の発生すべてを争う。第3 判断
1 教授昇格差別の主張に関する認定事実
 証拠(甲45,乙8,14,28,証人e,同f,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,教授昇格差別に関連する事実として,次の事実を認定することができる。
(1) 被告大学の脳神経外科の講座の教職員の定員は,神経内科の講座及び神経放射線科とともに脳神経センターとして定められており,その主任教授の定員は2名であるが,臨床教室にあっては,2名ないし5名の教授を置くことができるとの教職員組織に関する規程に従い,少なくとも昭和63年以降,増員される教授の定員は2名~5名と定められていた。
 そして,平成12年4月段階の脳神経外科と神経内科の現在員は,いずれも主任教授1名,教授1名,放射線科の現在員は教授1名の合計5名である。前記争いのない事実(4)記載のとおり,昭和63年4月から平成4年4月までの間,脳神経外科の主任教授が欠け,d教授が主任教授代行となっていた時期は,脳神経外科の教授は1名のみであった。また,昭和62年以降平成6年5月1日までは,神経内科は主任教授(又は主任教授代行)1名のみで構成されていた。以上から,平成6年5月以降は,主任教授選考に係る短期間の例外を除き,脳神経センターの教授の現在員は5名であった。
(2) 平成9年,e教授は,被告大学の学長となり,脳神経センター所長を兼務した。その際,e教授は,脳神経センター所長に第二病院脳神経外科のh教授が就任し,原告がh教授の後任になるという提案をh教授と原告に対してした。h教授は,これを受け入れたが,原告は,e教授の後任となる脳神経外科の主任教授の選考に応募するつもりなので,第二病院に行く意思はないとして,この提案を断った。
(3) 平成9年10月,e教授の後任となる脳神経外科の主任教授選考のために,被告大学の主任教授会で互選された選考委員会は,全国公募を実施した。その結果,最終的に,原告及び被告aを含む5名が立候補した。選考委員会は,このうち3名を選考して主任教授会に推薦することとし,選考に当たっての評価法基準を作成した。第1段階で研究業績,診療業績,教育業績及び社会的業績という4つの観点から点数を定めて各候補者を評価し,第2段階で面接を実施してその評価を点数化して第1段階の評価点数に加え,最終的に面接時の人物評価も加えて上位3名を最終候補にすることを決定した。
 研究業績については,過去7年間(平成3年以降)の全発表論文と平成2年以前の代表的論文5編のインパクト・ファクター(文献引用影響率,雑誌に掲載された平均的な論文の引用頻度を測る指数。)の合計点をもとに点数評価をしたところ,原告のインパクト・ファクターは,候補者5名中の最低であり,最低の評価点数であった。診療業績については,自己執刀の主要な外科手術としての開頭手術の過去3年間の年間件数をはかったところ,原告の年間手術件数は4・6件で極端に少なかった。そこで,選考委員のf教授の発案で,原告に関しては,それ以前の年の件数も全部入れて平均値を出したが,それでも年間29・3件であり,最低の評価点しか得られなかった。第3の教育業績については,原告の教育経験年数は,当時22年間であり,候補者の中で一番長かったが,被告大学で重視していたチュートリアルに対する貢献度が低いという評価から,候補者中,他の候補と同点の2位の評価点となった。社会的業績については,原告は,国際学会での招待講演があり,日本医学会分科会での役員歴もあり,非常に著名であるため,他の候補者と同点ながら最高の評価を得た。以上の評価を点数化して比較したところ,原告は,5名の候補者中4位の順位であった。
 次に,選考委員会は,平成10年1月,候補者全員に対する面接を行った。候補者からのプレゼンテーションの後,多少の質疑応答をし,今後の抱負を聴取するという方法であった。原告のプレゼンテーションのレベルは高かったが,その業績が1970年代から80年代にかけての仕事の話が主であり,現在までのつながりが伝わらない内容であったため,面接評価は5名の候補者中4位の評価であった。
 以上の総合評価の結果,原告は,5名の候補者中4位の評価であったため,最終候補者として残ることはなかった。
(4) 平成10年11月16日,h教授退職に伴う第二病院脳神経外科部長(教授)選考のための選考委員会は,各委員が推薦した5名の候補者から選考することとし,原告を含む4名がそれに応募した。選考委員会は,第二病院の脳神経外科部長としての適格性について,研究実績,臨床実績,教育実績及び社会的評価という4つの観点から選考し,脳神経外科部長という職務の内容から,臨床実績に重点を置いた評価をすることとした。そして,そのもっとも高い評価を得た候補者を主任教授会に推薦することとした。
 第二病院脳神経外科部長としてもっとも重点を置いて評価すべき臨床実績の評価は,過去3年間の手術件数を健康保険の点数で換算して順位をつけた。その結果,原告は,この評価が非常に低かった。原告は,研究実績は4名の候補者の中でも高い評価を得たし,教育実績及び社会的評価とも高い評価を得たが,総合的に評価したところ,被告大学の第二病院脳神経外科のi助教授が最高点となり,原告は,選から漏れる結果となった。
2 教授昇格差別に関する判断
 原告は,被告大学には,雇用契約に基づき,公正で平等な処遇をする義務を負い,その結果として,被告大学には,原告を教授に昇格させる義務があると主張するので,この点について検討する。
 大学における学問の自由(憲法23条)を保障するために,伝統的に大学の自治が憲法上も認められていると解されるところ,その中にあっても,教員の人事における自治もその大学の自治の範囲にあるものといわなければならない。そして,学校教育法58条は,大学には教授を置く必要があり,教授は,学生を教育し,その研究を指導し,又は研究に従事する旨を規定し,同法59条は,大学には,重要な事項を審議するため,教授会を設置しなければならないと規定する。その趣旨は,憲法の保障する学問の自由を大学において実現するために,教授会を中心とした自治を重視したものと解するのが相当である。そして,前記争いのない事実記載のとおり,被告大学の学則等の諸規則は,これを受けて主任教授,教授の定員を定め,教授等の選任についての主任教授会を中心とした手続を定めているのである。してみると,被告大学においては,教授が大学における学問の自由を実現する上で重要な地位にあることに鑑み,教授等の選任に関することは,大学の自治の一環として,そして大学における学問の高度の専門性の要請から,主任教授会による高度の裁量に委ねているものと解するのが相当である。
 しかしながら,もとより,教授会による高度の裁量権が認められるとしても,その裁量権を行使するについて,濫用,逸脱と評価できる行為があれば,違法と評価され,損害賠償の対象となるべきであるのは当然である。そこで,以下,原告の教授昇格に関して,被告大学による裁量権の濫用,逸脱行為の有無について検討する。
 原告は,第1に,被告大学においては,30歳代で助教授に就任した者は,途中に個別事情により病院の医師となったわずかな例を除き,全員教授に昇格しており,その年齢は46歳ころであると主張する。しかしながら,原告の主張は,30歳代で助教授に就任した者が一定年齢で教授に昇格する例が圧倒的に多いと主張するにとどまり,それが労働慣行として,労働者である助教授及び被告大学の規範意識に支えられているとの主張がある訳ではない。むしろ,前記争いのない事実及び認定事実によれば,主任教授及び第二病院の教授就任について,単に年齢のみで昇格するという規範意識が被告大学内に存在しているとは到底考え難い。してみれば,原告のこの主張によっても,被告大学の裁量権の濫用,逸脱に当たることを根拠付けたとはいえないことは明らかである。
 第2に,原告は,ロッキード事件の際,原告と当時の被告大学脳神経外科主任教授であったb教授との対立関係から,被告大学は,ことさらに原告を長期間にわたり助教授の地位にとどめたものであると主張する。しかし,これを根拠付ける証拠は,原告による供述(甲45,98,原告本人)のみであり(原告がb教授に嫌悪された限度では,証人jもその趣旨の供述をする。),昭和51年当時の主任教授との対立関係から,約24年の長きにわたる被告大学の一貫した意思により,ことさらに不当な動機による教授昇格差別をしたことを窺わせる客観的証拠は存在しない。このような証拠関係から,裁量権の濫用,逸脱行為を認める余地はないといわなければならない。この点に関する原告の主張もまた,採用できない。
 第3に,原告は,定員の範囲内で,又は定員外にでも,主任教授による推薦によって教授昇格は可能であり,推薦による昇格をしなかったのが違法であるし,平成9年以降の脳神経外科主任教授や第二病院教授の選考自体も不当に原告を低く評価していると主張する。前記争いのない事実のとおり,被告大学において,主任教授でない教授については,主任教授により主任教授会に推薦すれば主任教授会で審議される旨の規程が存するところであるが,前記争いのない事実及び認定事実によれば,原告は,被告大学の脳神経外科の主任教授の選考(昭和63年,平成5年及び平成9年~平成10年)及び平成10年からの第二病院の教授の選考(平成10年~平成11年)以外に,教授になるための推薦を求めた形跡も,被告大学の側で原告を推薦しようとした形跡も存しないこと,脳神経外科主任教授の選考及び第二病院教授の選考において,主任教授会及び第二病院は,いずれもそれぞれの規程及び内規に従って選考委員会を組織し,専門的な見地から多角的な検討内容に沿って客観的な選考を行い,原告は,いずれも選考委員会における選に漏れたものであることという事実を認めることができるのであり,その過程に,被告大学の裁量権の濫用,逸脱を認めさせる事情は存しないといわなければならない。原告は,これらの選考委員会における選考は不公正であるし,不当に原告の能力を低く評価するものであると主張し,原告の書簡及び陳述書(甲59,88)には,それに沿う記載があるが,この記載内容のみから,各選考委員会による選考が被告大学,主任教授会及び第二病院が有する裁量権の濫用,逸脱に該当することを根拠付けることはできない。
 以上の検討によれば,教授昇格差別に関する原告の主張には理由がないという結論になる。
3 嫌がらせないし退職強要行為の主張に関する認定事実
 証拠(甲1~5,45,61~63,66,87,94~96,乙12,13,16,26,29,前記証人j,同e,原告本人,被告a本人)及び弁論の全趣旨によれば,退職強要行為及び嫌がらせに関連する事実として,次の事実を認定することができる。
(1) 被告aは,平成10年10月22日の被告大学の脳神経外科の職員会議において,「女子医大脳神経センター教室員の皆さんへ」と題する書面を配布した。その中には,来年の4月にスタッフの大改造を考えていること,スタッフは定年までとどまる必要はないこと,今後の教室のスタッフとしては,独特の技術を有していること,研究費を集めることができる人,手術成績の向上,維持に必須の能力を持っている人,研究心が旺盛でインパクト・ファクターが高い人,人格が高邁である人が求められていること,以上の要件に該当しない人は自分で自覚があることと思うが,来年3月までに身の振り方を考えるべきであり,後進に道を譲るべきであることが記載されている。
 原告は,この文書の対象となっているのは,自分のことであると認識し,退職強要が実行段階に入ったなと感じた。
(2) 被告aは,自分が被告大学の中で,もし仮に原告と同じ立場にいたとすれば,被告aが主任教授に就任した平成10年の段階で,1年以内に身を引いて被告大学を退職するのが当然であるという認識であった。また,原告は,被告aにとって,東京大学医学部の1年先輩であり,歳も1つしか違わないため,もし仮に原告が定年まで被告大学にとどまることになれば,一緒に仕事をしていくのはかなりつらいという思いを持っていた。
(3) 平成10年12月15日,東京都港区<以下略>のα記念館において被告大学の脳神経外科医局忘年会が行われた。この忘年会は,被告大学の脳神経外科の職員,看護婦,かつて在職していた者,事務職員等が出席するものであった。その際,被告aは,出席者に「教職員・同門の諸先生」と題する書面を配布した。その内容は,スタッフの中には,学会にも出席せず,研究もせず,手術症例もほとんどないお荷物的存在の者がおり,若いスタッフと交換する必要があることが記載され,「死に体でこれ以上教室に残り生き恥をさらすより,自分にふさわしい場を見つけて生きていただくことの方が」良いので,その英断を願うという内容の記載があった。
 この文書を見た原告は,この文書の対象者は自分であると感じた。また,e学長は,この文書の対象者は原告であると察し,被告aに対し,後日,このような文書を出すのは適当でないと注意した。現在,被告大学の第二病院の脳神経外科教授であるjも,この文書を読んで,ここで退職するように言われているのは原告であると思った。
 そして,開宴した忘年会の冒頭において,被告aは所信表明のような内容の挨拶をし,被告aの原告に対する前述の思いを表すような,原告が被告大学を退職するのが当然であるという趣旨の発言があった。
(4) 平成10年12月17日,被告大学の脳神経センター医局室における定例の職員会議が開催され,医局のメンバー等が出席していた。被告aは,原告に対し,原告の症例の説明が間違っており,誤った説明をしないように言った。すると,被告aと原告とは,その席上で,原告の通常の勤務ぶり等や被告aの個人攻撃も含めた口論となった。被告aは,原告に対し,原告が出勤をしないで執筆活動をしたり,手術件数が少ないことを批判し,23年間も助教授をして教授にもなれないのはだめである,早期に辞職すべきであるという趣旨の発言,助教授から降格して助手としようかという趣旨の発言をした。原告は,被告aに対して,被告aが被告大学の脳神経外科教室を日本一の教室にしようと言うのはお笑いぐさであるという趣旨の発言や,被告aは昔から怒りっぽくて危険な性格であるという趣旨の発言をした。
 原告から,被告aの行状の報告を受けたe学長は,被告aを呼んで事実関係を確かめたところ,被告aは,売り言葉に買い言葉で口論になったという説明をした。(5) 原告は,上記被告aの行動に関して,被告a及び被告大学に対する訴訟を提起することを決意し,平成10年12月28日,k弁護士に相談をした。k弁護士は,そのような訴訟を起こせば,原告は被告大学をやめなければならなくなるだろうという意見を言った。原告は,第二病院の教授に就任できなければ,退職することになるという記載のある同弁護士宛の書簡を送った。そして,平成11年1月14日,被告aとの間で,上記(1)(3)(4)の各行動に関する会話をした。この会話の中で,原告は,被告aから侮辱を受けると自分の医師としての立場や生活権が脅かされるのであり,自分の立場を守るための代理人がいるという趣旨の発言をし,被告aは,原告が自分を名誉毀損等で訴えるのであれば,それを止めることはしないが,自分が原告の立場であれば,主任教授選考の結果が出た段階で辞職するのであり,今後,原告が定年まで一緒に仕事をするのはお互いにやりにくいという趣旨の発言をした。そして,この会話を最後に,被告aと原告とは,口をきかない関係となった。
(6) 原告は,昭和55年から労働省東京労働基準局の地方労災医員,労災保険診療費審査委員を兼務していたが,平成11年4月の任期満了に伴い,東京労働基準局は,被告大学宛に再委嘱を依頼した。被告aは,原告が助教授としての職責を果たしていないので,外部の公務に就任する時間があるのなら,助教授の職責を全うすべきであるという考えから,上記再委嘱依頼を不許可とした。そこで,被告大学は,同月22日,東京労働基準局に対し,所属長不許可のため委嘱の承諾ができないとの回答をした。上記過程で,被告aは,原告に対し,全く相談をしなかった。e学長は,事務局を通じて被告aに対して,これを書き直すように指示し,被告大学は,すぐにこれを撤回して再委嘱を許可し,原告は上記公務について再委嘱を受けた。
(7) 平成11年8月22日に行われた医局会議において,限られたスペースを有効かつ効率的にするために,脳神経外科の教室の全面的な改造,改装工事を行うことを決定した。原告は,それまで,一定スペースの専用助教授室を有していたが,改造の結果,専用の部屋がなくなった。
(8) 被告aは,原告が作成した試験問題が不適切な設問が含まれており,不正確な内容を学生に教えるのは適当でないと判断した。その結果,被告aは,それまで原告が被告大学において担当していた脊髄疾患及び神経系外傷の3コマの講義について,平成12年度からその担当をはずした。なお,原告は,f教授の判断により,同年度から,それまで原告が担当していた頭痛,てんかんの2コマの講義担当からはずされている。
(9) 原告は,平成12年4月3日,被告大学のe学長に対して,退職の理由を職場ハラスメントのためと記載して退職届を提出したところ,e学長は,これを慰留した。原告は,退職を認めないのは人権問題であり,退職する必要性があると告げた。また,e学長は,同月29日,原告に電話をして,60歳まで勤務すれば企業年金が支給される,次の就職先が決まっていても兼任しても差し支えないと説明した。また,そのころ,被告大学のg専務理事も慰留したし,f教授は,大学名は伏せたものの他大学の教授ポストの推薦し,被告大学の客員教授として診療が続けられるようにすると伝えて慰留をした。しかし,原告は辞職の意思が決まっているとして,辞職をした。
4 被告aによる名誉毀損及び退職勧奨行為について
 前記認定事実のとおり,被告aは,平成10年10月22日の脳神経外科の職員会議における書面配布により,原告を名指ししないものの,研究費を集めることができる人等の要件に該当しないスタッフは,定年までとどまる必要はなく,退職をすべきであると記載することにより,原告自身が自らのことを指していると認識できるような態様の文書を配布した。さらに,被告aは,同年12月15目の忘年会における配布文書において,やはり原告の名指しは避けたものの,原告はもちろん,e学長やj教授にも対象者は原告であると認識できる内容の退職勧奨文書を配布し,同内容の挨拶を多くの被告大学脳神経外科関係者の前で行った。その内容は,スタッフの中には,学会にも出席せず,研究もせず,手術症例もほとんどないお荷物的存在がいること,死に体でこれ以上教室に残り生き恥をさらすというような侮辱的な表現を用いたものであった。さらに,同月17日の被告大学脳神経センター医局室における被告aと原告との口論の中で,医局メンバー等衆人環視の下で,原告に対し,勤務ぶりをなじったり,23年間も助教授をして教授にもなれないのはだめであるという趣旨の発言をして早期に辞職すべきであるという趣旨の発言をしたものである。
 被告aは,上記文書及び挨拶は,原告のみを指したものではなく,医局の他のスタッフも対象者であると供述する(乙29,被告a本人)が,前記認定のとおり,忘年会で配布した文書については,原告のみらず,e学長やj教授もこの文書の該当者は原告であると認識したのであるし,前記認定事実のとおり,被告aは原告が定年まで勤務すれば,お互いにかなりつらい立場になるので,早く退職してほしいという心情を有していたことに照らせば,これらは原告を対象とした文書であり,被告aは,原告及び関係者にそう認識されることを承知した上で上記行動をとったものと認めるのが相当である。
 被告aは,被告大学の脳神経外科の主任教授であり,原告は同教室の助教授であるから,被告aが,原告の勤務ぶりについて問題点を指摘し,指揮監督を行うこと自体は,違法行為であるとはいえないし,上司として,その組織のために部下の退職勧奨をすることも,それ自体としては許容され得るといわなければならない。しかし,本件認定の被告aの行為は,古くからの知己も含む衆人環視の下で,誰にでも認識できるような状況下で,ことさらに侮辱的な表現を用いて原告の名誉を毀損する態様の行為であって,許容される限界を逸脱したものである。また,同月17日の被告大学脳神経センター医局室における被告aと原告とのやり取りは,前記認定事実のとおり,売り言葉に買い言葉の口論の中で,相互の攻撃も含むものであったと認められるが,被告aは,原告にとって上司の立場にあることを考えれば,助教授からの降格をにおわせたり,ことさらに名誉を毀損する態様の行動は違法な行為であると評価せざるを得ない。そして,以上の被告aの行為は,原告に対して精神的苦痛を与えるだけでなく,原告の医師としての,又は教育者としての評価を下げ得るものであって,多大な損害を与え得る違法性の高い行為である。そこで,以上の行為について,被告aは,原告に対し,不法行為による損害賠償義務を負うという結論になる。
 被告aの行為による被告大学の民法715条の責任について検討する。同条の責任は,被用者の当該行為が外観上職務執行と同一な外形を有する行為であるか又は事業の執行行為を契機とし,これと密接な関連を有すると認められる行為である場合には,事業の執行につき第三者に損害を加えたものと解するのが相当である。そうすると,被告aの行為を見れば,原告の上司として,部下である原告の行為の問題点を指摘して指導監督し,脳神経外科教室のために原告の退職を勧奨するものであるから,少なくともその外観上,職務執行と同一な外形を有する行為であるといわなければならない。したがって,被告大学は,被告aの行為について,民法715条により,被告aと連帯して損害賠償責任を負う立場になる。
5 上記以外の被告大学及び被告aの行為について
 原告は,第2の2の(1)(原告の主張)のア~ツの各行為は,ロッキード事件の際に当時のb主任教授が原告を嫌悪したことに端を発して,主任教授が交替しつつも,原告に対して退職強要をする目的で様々な行為が行われてきたものであるから,被告大学は,これらの一連の行為による職場環境調整義務違反の債務不履行責任を負うと主張する。しかしながら,この主張する事実を根拠付ける証拠は,原告の供述(甲45,98,原告本人)のみである。これだけの証拠から24年間にわたる歴代の主任教授による原告の退職強要を目的とする行為が行われたという事実を認めることはできない。してみれば,原告の主張する債務不履行責任を認めるだけの根拠を欠くといわなければならない。
 次に,原告の主張する不法行為責任の成否を検討する。被告らは,本件口頭弁論期日において消滅時効を援用しているから,原告の本件訴訟提起日である平成12年12月25日から3年間遡ったその他の事実につき,被告らの責任を認める余地があるかを検討する。
 第1に,原告は,平成11年4月に,東京労働基準局からの公務の再委嘱を被告aが拒絶したことを不法行為と主張するが,被告大学又は被告aが再委嘱を許可しなければならない法的義務の存在に関する原告の主張を欠いているばかりか,前記認定事実のとおり,最終的には,不許可を撤回して原告は再委嘱されたのであるから,これを不法行為と評価することはできない。
 第2に,原告は,平成11年8月,被告aが原告の助教授室を取り壊させたことを不法行為であると主張するが,前記認定事実のとおり,これは医局全体の改造を施したものであって,結果として原告のそれまでの執務環境を変えることになるものの,ことさらに原告に対する嫌がらせの意図に出たとの客観的な証明も乏しい以上,原告の主張は採用することができない。
 第3に,原告は,平成12年2月,第二病院脳神経外科部長選考の応募を拒絶したことを不法行為と主張するが,前記判断のとおり,被告大学の裁量権の範囲内で,選考委員会による選考を行い,原告はその選に漏れたものであるから,これを不法行為と評価することはできない。
 第4に,原告は,被告aにより,平成12年度の講義の担当をはずされたことが違法行為であると主張する。被告aは,被告大学における脳神経外科主任教授として,学生の教育に責任を持つ立場であるところ,前記認定事実のとおり,原告の出題した試験問題が不適切であると判断して,講義の割当てから除外した行為は,被告aの有する権限と責任の範囲内の行為であると評価することができる。また,同年度に,原告を講義の担当からはずしたのは,被告aだけでなく,f教授も同様の措置を執っていることに鑑みれば,この行為が被告aによる濫用的行為であると評価するだけの根拠は乏しい。したがって,この点に関する原告の主張もまた,採用することができない。
 第5に,原告は,被告大学脳神経外科外来の患者待合室に掲示されている外来担当医師一覧表示板から,原告の名札が取り去られたこと,被告の保管するパソコン用の印刷機にのりのようなものが入れられたことという嫌がらせ的行為があったことを被告大学の責任であると主張するが,誰がどのような動機で行ったかが明らかでないこれらの行為から,直ちに被告大学の不法行為ないし債務不履行責任を肯定することは困難である。
 なお,原告は,平成10年の日本定位・機能神経外科学会の第27回大会において,原告は会長職から外され,e教授が会長となったことも不法行為として主張するが,被告の主張するこの事実から何故に被告大学に法的責任が生じるのか,理解し難い主張であるといわなければならない。
 以上に検討した事実に関しては,原告の債務不履行又は不法行為の主張は,いずれも採用することができない。
6 損害
 前記判断のとおり,原告は,被告aによる名誉毀損的行為から著しい精神的苦痛を受け,医師及び教育者としての社会的評価に影響を与え得る不法行為を受けたものということができる。してみると,この行為による原告の精神的苦痛を慰謝する損害賠償額は,少なくとも400万円を下らないと考えるのが相当である。そして,弁論の全趣旨によれば,原告は,原告代理人らに本件訴訟の訴訟追行を委任したのであり,弁護士費用としての50万円は,本件不法行為と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。したがって,450万円について,被告らは連帯して賠償義務を負う。
 次に,原告は,被告aの行為により強制的に退職させられたと主張して,満60歳以降も勤務していれば得られた企業年金,定年まで勤務していた場合の退職金及び定年までの得べかりし給与額を損害であると主張する。これらの損害が被告aの行為と相当因果関係のあるという原告の主張自体が成立するか,疑問なしとしないが,仮にその点を措くとしても,前記認定事実及び原告の供述(甲45,原告本人)によれば,原告が退職を決意するについては,被告aの前記不法行為のみならず,不法行為とはいえない助教授室が使用できなくなったことや第二病院の教授選考に漏れたこと等による影響が大きいし,原告は,被告aによる違法行為を受けてから1年以上経過してから退職届を提出しており,しかも,退職届を提出した後にも,e学長,f教授及びg専務理事から,企業年金の受給の点も含めた説明と慰留を受けながら,退職を翻意しなかったことに照らせば,原告の主張する不法行為と得べかりし企業年金,退職金及び給与額との因果関係の立証が十分であるとはいえない。したがって,原告のこれらの損害賠償請求は理由がないことになる。第4 結論
 以上の次第であるから,原告の被告らに対する請求は,450万円及び各遅延損害金の限度で理由があるからこれを認容し,原告のその余の請求はいずれも理由がないから棄却し,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第19部
裁判官 渡邉弘
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