主文
 1 原告と被告とを離婚する。
2 被告は,原告に対し,別紙物件目録(4),(5)及び(7)記載の不動産に つき,財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。3 被告は,原告に対し,別紙物件目録(1)及び(8)記載の不動産の各2分 の1の持分につき,財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。
 4 被告は,原告に対し,別紙物件目録(1)及び(8)記載の不動産を明け渡せ。
5 被告は,原告に対し,1000万円及びこれに対する平成13年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
6 原告のその余の請求を棄却する。
7 訴訟費用はこれを4分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
8 この判決は第5項に限り仮に執行することができる。
事実
第1 請求
1 主文第1ないし4項同旨
2 被告は,原告に対し,3000万円及びこれに対する平成13年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 第2 事案の概要本件は,原告が,配偶者である被告に不貞な行為及び暴力があるとして,被 告に対し,離婚を求めるとともに,事前の合意に基づき,又は,離婚に伴う財 産的給付として,財産分与を原因とする不動産の所有権移転登記手続及び慰謝 料の支払を請求し,かつ,財産分与により得る所有権に基づき,不動産の明渡 しを求めた事案である。1 請求の原因
(1)(家族関係) 原告は,昭和27年4月5日,被告と婚姻届出をし,被告との間に,長女C(昭和27年10月24日生),長男D(昭和31年8月4日生),二男 E(同日生)及び二女F(昭和34年11月3日生)をもうけた。なお,D及びEは,いずれも幼くして死亡したが,C及びFは,いずれも 成人し,所帯を持ち,独立して生計を営んでいる。(2)(離婚に至る経緯等)
ア 被告は,婚姻後,浮気が絶えず,自宅に女性を連れ込むこともあった。被告の不貞な行為により,原告は,長年にわたり悩み続けただけでなく, 娘らの結婚に差し障りがないか,浮気相手の女性の家庭を破壊するのでは ないかという苦しみも味わってきた。また,被告は,ささいな事でも気に入らないことがあれば,原告に対し, 包丁を投げつけ,金づちや鉄棒で殴打し,足蹴にするなどの暴力を振るっ てきた。被告の暴力により,原告は,ろっ骨にひびが入ったり,指を骨折 したりしたこともあった。原告は,被告の不貞な行為や暴力から逃れるため,幾度も離婚を考えた が,娘らのことを思い我慢してきた。しかし,原告は,平成8年1月28日,被告から,包丁を投げつけられ るなどの暴力を受け,身の危険を感じて家を出たが,その際,娘らも既に 独立していたこともあって,離婚を決意し,離婚等調停の申立てをした。もっとも,被告は,この調停において,不貞な行為や暴力を二度としな いことを約束したため,離婚には至らなかった。イ そこで,原告と被告は,同年8月12日,大要,<ア> 被告が原告に対 し不貞な行為又は暴力を行った場合には,原告と被告は離婚する,<イ> この場合,被告は,原告に対し,財産分与として別紙物件目録(4),(5)及 び(7)記載の不動産(以下,別紙物件目録(1)ないし(11)記載の不動産を順次「本件不動産(1)」などといい,これらを併せて「本件各不動産」とい う。)並びに本件不動産(1)及び(8)の各2分の1の持分を譲渡するととも に,慰謝料として3000万円を支払うことを合意した(以下「本件合意」 という。)。ウ 被告は,本合意後しばらくの間,おとなしくしていたものの,その後次 第に,従前交際していた女性としばしば会うようになり,また,ささいな 事で原告に暴力を振るい始め,平成13年3月26日,原告に対し,「お 前を殺して家を焼く。わしは何も惜しくない。」と言いながら,電気スト ーブで体をめった打ちにし,そのコードで頸を絞めるなどの暴行を加えた。その後も,被告はささいな事で原告に暴力を振るうなどしたため,原告 は,被告との離婚を決意した。(3)(財産分与と慰謝料) 原被告の婚姻中に形成された夫婦の財産には本件各不動産があるところ,これらの不動産は,主に原告の努力により取得されたものである。
 また,原告は,被告のたび重なる不貞な行為と暴力に対する不安にさいな まれながら,これまで婚姻関係を継続してきたが,この間の原告の精神的苦 痛は甚大であり,この苦痛を慰謝するためには3000万円をもってするのが相当である。
(4) よって,原告は,被告に対し,ア 離婚を求めるとともに,イ 本件合意に基づき,又は,離婚に伴う財産的給付として,(ア) 本件不動産(4), (5)及び(7)につき,財産分与を原因とする所有権移転登記手続を,(イ) 本件不動産(1)及び(8)の各2分の1の持分につき,財産分与を原因とする 所有権移転登記手続を,(ウ) 慰謝料3000万円及びこれに対する訴状 送達の日の翌日である平成13年8月18日から支払済みまで民法所定の 年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求め,かつ,ウ 上記イ (イ)により得る所有権に基づき,本件不動産(1)及び(8)の明渡しを求める。2 請求の原因に対する認否
(1) 請求の原因(1)(家族関係)は認める。
 (2) 同(2)(離婚に至る経緯等)についてア アのうち,被告の不貞な行為及び暴力があったことは認め,その余は否 認する。被告の不貞な行為及び暴力は宥恕の範囲内である。 イ イは否認する。被告は,本件合意に関する書面について,何ら説明を受けず,又,自ら 確認することもなく,原告の誘いに応じて署名したというにすぎず,その 内容を認識了解していない。ウ ウは否認する。 原告主張のような被告の不貞な行為又は暴力の事実はない。(3) 同(3)(財産分与と慰謝料)のうち,原被告の婚姻中に形成された夫婦の 財産には本件各不動産があることは認め,その余は否認する。3 抗弁(本件合意に基づく請求に対し) (1) 意思無能力による無効被告は,息苦しさ,不眠,うつ気分,大儀,体のだるさ,食欲不振,い ら立ち,死の恐怖等を訴えており,かなり重い精神疾患であったところ, 本件合意当時,不定愁訴より病状が進んだ自律神経失調状況で,心神耗弱 の状態にあり,正常な判断をすることができなかった。(2) 心裡留保による無効 原告は,真に婚姻を継続する意思がなかったにもかかわらず,婚姻の継続を表明して本件合意を申し出ているところ,被告はその真意を知らないで本件合意を承諾したものであり,無効である。 (3) 要素の錯誤による無効ア 被告は,本件合意当時,これを履行すると過大な財産分与になり,また被告に莫大な譲渡所得税が課税されることになるにもかかわらず,これらがないものと誤信していた。
イ 被告は,原告に対し,本件合意に際し,上記のような結果について何ら言及せず,本件合意をする旨述べた。
 (4) 詐欺を理由とする取消しア 原告は,被告に対し,本件合意に際し,婚姻を継続する意思がないにも かかわらず,これがあるかのように告げて被告を欺き,その旨誤信させた 上,本件合意を成立させた。イ 被告は,原告に対し,平成14年2月13日の本件口頭弁論期日におい て,本件合意を取り消す旨の意思表示をした。(5) 権利濫用による無効 本件合意を履行すると,被告に残される不動産の固定資産税評価額の合計は,原告が取得する不動産の固定資産税評価額の合計の約30パーセン トにすぎないことになる。そして,原告が既に取得している不動産の固定資産税評価額を加算する と,原告と被告の不動産の固定資産税評価額の合計の割合は83:17と なり,全くバランスがとれず,甚だ不合理である。また,被告には不動産の譲渡所得税が課されることになるところ,その 額は,固定資産税評価額を基準とすると約3000万円近いものとなり, 被告は,残された不動産をすべて売却しなければ,税金の納付も不可能な 状況になる。これに加えて,慰謝料3000万円を支払うことになると, 被告は,借財をしなければならない結果となる。さらに,原被告の婚姻中に形成された夫婦の財産は,被告の発明やアイ デア等による事業の発展に負うところが大きく,被告の貢献度の方が高い ことも考慮されるべきである。以上によれば,本件合意の内容は不合理であり,権利の濫用として無効である。
4 抗弁に対する認否
(1) 抗弁(1)(意思無能力による無効)について 否認する。被告は,平成8年6月24日通院し,入院の必要はないものと診断され, 薬物療法等が実施された結果,同年7月8日には症状が緩和され,以後, 通院していないことからして,被告のうつ状態は非常に軽かったというべ きである。(2) 同(2)(心裡留保による無効)について 否認する。
(3) 同(3)(要素の錯誤による無効)について いずれも否認する。(4) 同(4)(詐欺を理由とする取消し)について 否認する。(5) 同(5)(権利濫用による無効)について 争う。
本件合意は,長年にわたる原告の貢献により蓄積された財産の分与,長 年にわたる被告の不貞な行為及び暴力により苦しめられてきた原告に対す る償い,今後一切不貞な行為や暴力をしないという被告の約束の担保,と いった意味合いが含まれているものであり,被告に不利な内容となるのは 当然である。したがって,本件合意の内容が権利の濫用として無効であるとはいえな い。第3 当裁判所の判断
1 請求の原因(1)(家族関係)は,証拠(甲16)及び弁論の全趣旨により認められる。
2 同(2)(離婚に至る経緯等)について
(1) 上記事実に,証拠(甲1ないし29,31,32,乙1ないし10,12,14〈書証については枝番を含む。以下同じ。〉,証人F,同G,原告本人,被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
ア 原告は,昭和27年4月5日,被告と婚姻届出をし,被告との間に,長 女C(昭和27年10月24日生),長男D(昭和31年8月4日生),二男E(同日生)及び二女F(昭和34年11月3日生)をもうけた。
 なお,D及びEは,いずれも幼くして死亡したが,C及びFは,いずれも成人し,所帯を持ち,独立して生計を営んでいる。
イ 原告と被告は,婚姻当初は,被告の両親の自宅敷地にあった別棟に居住していたが,しばらくして,その場所を離れ,現在は,肩書住所地に住所を定めている。
ウ 被告は,婚姻後も,以前から手伝っていた花筵の製造及び賃加工の家業に従事していたが,昭和30年ころから,花筵を自動的に織る機械の研究 を手がけ,他の業者に先駆けて自動織機を開発することに成功し,昭和4 1年ころ,花筵,畳表,上敷その他藺製品の製造,加工並びに販売を目的 とする株式会社H(以下「H」という。)を設立するなどして,独占的に 事業を進め,多大な利益を上げた。被告は,昭和40年以降に他の業者が 参入し競争が激化してからは,問屋や小売店との交渉等の営業活動を継続 するとともに,花筵のデザインの新規開発にも力を入れてきたが,昭和4 7年ないし昭和48年ころから,花筵だけでは事業活動に陰りがみえ始め てきたため,自動車のシートカバーやハンドバックの各織機を考案開発し, これらの製品の製造等にも携わったが,次第に業績は衰退し,平成8年こ ろ,Hを解散し,現在は,花筵関係の仕事はしていない。原告は,婚姻を機に,被告の実家の上記家業を手伝うようになり,被告 が上記事業を手がけてからも,主に経理を担当し,金員の借入れ,手形の決済及び不渡手形の始末等の資金のやりくりに奔走したほか,い草の買付 けや花筵の製造の下手間に従事するなどして,被告の事業の維持発展に貢 献した。原告は,花筵の仕事に携わるかたわら,昭和51年ころから,「I」 の名称で喫茶店の経営を始め,昭和59年ころ,有限会社I(以下「I」 という。)を設立し,これまで3店舗を営業していたこともあったが,現 在は,1店舗のみを経営している。エ 被告は,婚姻当初から,浮気が絶えず,原告は,被告の知人から,被告 の不貞な行為を聞くなどするたびに,自身のどこに不満があるのかと思い 悩むとともに,娘らの結婚に差し障りがないか,浮気相手の女性の家庭を 破壊するのではないかと心配してきた。また,被告は,ささいな事でも気に入らないことがあれば,原告に対し, 包丁を投げつけ,金づちや鉄棒で殴打し,足蹴にするなどの暴力を振るい, これにより,原告は,ろっ骨にひびが入ったり,指を骨折したりしたこと もあった。そのため,原被告の娘らが見るに見かねて,昭和45年ころにはCが, 昭和52年ころにはFがそれぞれ家庭裁判所へ相談に行き,これに応じて, 原告も,それぞれ離婚調停の申立てをしたが,被告がいずれも出頭せず, かえって今後の改心を約束するなどしたため,これらの調停の申立てを取 り下げたことがあった。このように,原告は,被告の不貞な行為や暴力から逃れるため,幾度も 離婚を考えたが,娘らのことを思い我慢し続けてきた。オ しかし,原告は,平成8年1月28日,被告からダンスパーティーに誘 われたのを断ったところ,これに腹を立てた被告から暴力を受け,身の危 険を感じて家を出たが,その際,娘らが既に独立していたこともあって, 離婚を決意し,岡山家庭裁判所倉敷支部に離婚等調停の申立てをした(同 庁平成8年(家イ)第76号離婚等調停事件)。この調停において,当初,原告の離婚の意思は固かったものの,被告が 不貞な行為や暴力を二度としないことを約束したため,離婚するまでには 至らず,結局,夫婦関係を修復することになった。もっとも,これまで原告が被告の不貞な行為や暴力に苦しめられてきた 経緯があったことから,原告代理人は,被告に対し,大要,1 被告は, 原告に対し,本件不動産(1)の2分の1の持分を譲渡する,2 被告が原 告に対し不貞な行為又は暴力を行った場合には,原告と被告は離婚する,
 3 この場合,被告は,原告に対し,財産分与として本件不動産(4),(5) 及び(7)並びに本件不動産(1)及び(8)の各2分の1の持分を譲渡するとと もに,慰謝料として3000万円を支払うことを内容とする調停条項案(甲 31)を提示したところ,被告はこれを了承したものの,その当時被告が 委任していた代理人から離婚を条件にかからせている点に問題があるとし て異議が出された。そこで,原告と被告は,調停調書には,夫婦関係円満調整に関する条項 のほか,上記1に関する条項を盛り込み,調停外において,上記2及び3 に関する条項を記載した合意書を後日作成することとした。こうして,平成8年7月4日の調停期日において,A 原告と被告は, 速やかに同居し,互いに円満な家庭生活を築くよう努力する。なお,被告 は,原告に対し,今後暴力を振るったり不貞な行為をしたりしないことを 確約する,B 被告は,原告に対し,本件不動産(1)について,原告が2分 の1の共有持分権を有することを確認し,真正な登記名義の回復を原因と る持分移転登記手続をすることなどを内容とする調停が成立した。(甲3)そして,原告と被告は,同年8月12日,原告代理人の事務所に赴いた 上,大要,<ア> 被告が原告に対し不貞な行為又は暴力を行った場合には, 原告と被告は離婚する,<イ> この場合,被告は,原告に対し,財産分与 として本件不動産(4),(5)及び(7)並びに本件不動産(1)及び(8)の各2分の1の持分を譲渡するとともに,慰謝料として3000万円を支払うこと を内容とする合意書(甲4,以下「本件合意書」という。)に署名押印し た。カ その後しばらくの間,被告は,原告に暴力を振るわないでいたが,次第 に,ささいな事で原告に暴力を振るい始め,平成13年3月26日,原告 に対し,電気ストーブで体をめった打ちにし,そのコードで頸を絞めるな どの暴行を加えるなどしたため,原告は,離婚を決意し,家を出た。キ 原告は,岡山家庭裁判所玉島出張所に家事調停の申立てをしたが,同調 停は,同年7月25日,不成立により終了した。ク 原被告の婚姻中に形成された夫婦の財産には本件各不動産があるとこ ろ,それぞれの登記簿上の所有名義人及び平成13年度固定資産税評価額 は,別紙「不動産の概況(1)」のとおりである。そして,本件各不動産の現況は次のとおりである。
すなわち,本件不動産(1)上に,花筵工場である本件不動産(7)と原被告 の自宅建物である本件不動産(8)がある。なお,本件不動産(1)の敷地上に, F夫婦が別棟を建築して居住している。本件不動産(4)と本件不動産(5)上に,原告経営の喫茶店等である本件不 動産(10)と本件不動産(11)がある。本件不動産(3)上に,被告所有のカラオケ店とダンスホールである本件 不動産(9)がある。本件不動産(2)上に,Hの元社宅である本件不動産(6)がある。ケ 現在,原告は,アパートを賃借して独りで生活しているところ,喫茶店 「I」の実質的な経営者として給料収入を受けているほか,家賃収入も併せると,少なくとも月額約74万円程度の収入を得ている。
 被告は,自宅において独りで生活しているところ,本件不動産(3)及び(9)に関する賃料収入等により,月額約75万円程度の収入を得ている。(2) 上記(1)オ認定の事実によれば,被告は,平成8年8月12日,原告代理 人の事務所において,本件合意書に署名押印したことが認められ,この事 実にかんがみれば,被告は,同日,原告との間で,本件合意をしたものと いわなければならない。この点につき,被告は,本件合意書について,何ら説明を受けず,又, 自ら確認することもなく,原告の誘いに応じて署名したというにすぎず, その内容を認識了解していないなどと主張する。しかし,前記認定のとおり,被告は,一見してその内容が明らかな文書 に署名押印していることに照らすと,被告の具体的な意思内容としては, その文書の記載内容を認識了解していたものと推認すべきであり,かつ, 原告及び被告各本人尋問の結果にかんがみても,被告が当該文書の内容の 認識了解の可能性がなかったといえる特段の事情は認められない。かえっ て,前記認定の事実によれば,被告は,調停期日において,原告代理人か ら,本件合意の内容を含む調停条項案を示され,これを了解していたこと, 本件合意は,調停成立の日から約1か月後の夫婦関係が一応円満に推移し ていたころになされたものであることなどにかんがみると,被告は,本件 合意の内容を十分認容していたものと推認するのが相当である。したがって,被告の上記主張は採用できない。
(3) また,前記(1)カ認定の事実によれば,本件合意後,被告は,少なくとも平成13年3月26日,原告に対し,電気ストーブで体をめった打ちにし, そのコードで頸を絞めるなどの暴行を加えたことが認められる。被告は,上記事実を否認し,原告主張のような暴力の事実はないと主張 するので,この点について検討するに,原告は,本人尋問の結果及び陳述 書(甲6)等において,上記日にちに,被告が大切にしていた花筵の写真 集を紛失したことで,被告に責められた上,被告から,電気ストーブで体 をめった打ちにされ,そのコードで頸を絞められた,被告の手がゆるんだ一瞬のすきに玄関に出たが,近くにあった踏み台でめった打ちにされ,蹴 られ,殴られたなどと供述しているところ,その内容は,具体的かつ詳細 で,迫真性に富んでいること,大筋において,証人Fの供述と一致してい ること,写真(甲17中のNo10),請求書(甲18)及び診断書に類した書類 (甲19)等の客観的証拠とよく整合していることなどに照らすと,上記供 述は信用性が高いといえる。これに対し,被告は,本人尋問の結果及び陳 述書(乙1)等において,原告主張のような暴力の事実はない,踏み台の 取合いをしている際に原告ともみ合いになったというにすぎない旨供述す るのみで,写真(甲17中のNo10)についても合理的な説明をすることがで きないでいること,原告が,被告の暴力から逃れるためというのであれば ともかくとして,被告が写真集を探すのが不満であるという理由だけで被 告から踏み台を奪い返そうとすることは,およそ考え難いことであり,上 記供述は,このこと一つをとってみても,いかにも不自然不合理であって, 到底措信し得るものではないというべきである。(4) 以上の事実関係によれば,原告と被告は,被告の不貞な行為や暴力から, 原告の被告に対する不信不満が積もって感情的な対立が深まり,平成13 年3月26日における被告の暴力が直接的な契機となって,両者の亀裂は 決定的なものとなり,以後,現在まで約2年近くにわたって別居状態にあ ることにかんがみれば,原告と被告間の婚姻関係は既に破たんしているも のと認められる。したがって,原告の離婚請求は認容すべきである。
 3 抗弁(本件合意に基づく請求に対し)について(1) 抗弁(1)(意思無能力による無効)について
被告は,息苦しさ,不眠,うつ気分,大儀,体のだるさ,食欲不振,い ら立ち,死の恐怖等を訴えており,かなり重い精神疾患であったところ, 本件合意当時,不定愁訴より病状が進んだ自律神経失調状況で,心神耗弱の状態にあり,正常な判断をすることができなかったとして,本件合意は 意思無能力により無効であると主張する。しかし,前記2(1)オ認定の事実によれば,原告と被告は,平成8年7月 4日の調停期日において,夫婦関係円満調整の調停を成立させていること が認められるところ,本件全証拠によっても,その当時,被告に審判行為 能力が欠けていたことを認めるに足りない上,証拠(調査嘱託の結果)に よれば,被告の上記症状は,同月8日には緩和され,それ以降は通院治療 を受けていないことが認められ,これらの事実にかんがみれば,本件合意 当時,被告が心神耗弱の状態にあったとは認められない。したがって,被告の上記主張は採用できない。
 (2) 抗弁(2)(心裡留保による無効)について被告は,原告は,真に婚姻を継続する意思がなかったにもかかわらず, 婚姻の継続を表明して本件合意を申し出ているところ,被告はその真意を 知らないで本件合意を承諾したものであると主張するが,民法93条の心 裡留保は,相手方である被告が表意者である原告の真意を知り又はこれを 知ることを得べかりしときは原告の意思表示が無効とされるものであるか ら,被告の主張のみによっては,原告の意思表示は無効をきたさないとい うべきである。(3) 抗弁(3)(要素の錯誤による無効)について 被告は,本件合意当時,これを履行すると過大な財産分与になり,また被告に莫大な譲渡所得税が課税されることになるにもかかわらず,これら がないものと誤信していたなどとして,本件合意は要素の錯誤により無効 であると主張する。しかし,本件合意は,その内容から明らかなように,被告が原告に対し 不貞な行為又は暴力を行った場合には,原告と被告は離婚することとし, この場合,被告は,原告に対し,所定の財産分与及び慰謝料の支払がなされる旨記載されており,かつ,被告も,これを認識しながら署名押印して いるのであるから,被告において,不動産の譲渡及び慰謝料の支払に関し, 動機ないし内心的効果意思と表示上の効果意思との間には何ら不一致がな いというべきである。したがって,被告の上記主張も採用できない。 (4) 抗弁(4)(詐欺を理由とする取消し)について被告は,原告は,被告に対し,本件合意に際し,婚姻を継続する意思が ないにもかかわらず,これがあるかのように告げて被告を欺き,その旨誤 信させた上,本件合意を成立させたなどとして,詐欺を理由とする取消し を主張するけれども,前記2(1)オ認定のとおり,本件合意当時の原告の真 意は,今後被告の不貞な行為や暴力がなければ,婚姻を継続する意思であ ったと解するのが相当であるから,被告の上記主張は,前提を欠き採用す ることができない。(5) 抗弁(5)(権利濫用による無効)について
ア 被告は,本件合意の内容は不合理であり,権利の濫用として無効であると主張し,原告はこれを争うので,以下,この点について検討する。
 前記2(1)ク認定の事実によれば,本件合意当時,原告及び被告がそれ ぞれ登記簿上の所有名義人であった不動産の価額を平成13年度固定資産 税評価額で計算してみると,原告は,合計4914万8480円の価値の 不動産を所有し,被告は,合計1億4825万7663円の価値の不動産を所有していたところ(別紙「不動産の概況(2)参照」),本件合意のうち, 不動産の譲渡に関する約定がそのまま履行された場合だけをみても,原告 は,新たに合計1億1370万4935円の価値の不動産を取得するのに 対し,被告はこれを喪失するため,最終的に,原告は,合計1億6285 万3415円もの価値の不動産を所有することになり,被告は,合計34 55万2728円の価値の不動産のみを保有することになること(別紙「不動産の概況(3)」参照),その上,本件合意のうち,慰謝料の支払に関す る約定もそのまま履行された場合をみると,被告は,原告に対し,慰謝料 として3000万円を支払うことになることが認められる。そうすると, 原告と被告の年齢,婚姻年数及び資産の維持形成に対する双方の寄与度等 を斟酌しても,被告が原告に対して約した離婚時の給付は,離婚に伴う財 産的給付としてはかなり高額なものであることは否定し難い。そして,双方の生活状況をみると,本件合意当時から本件の最終口頭弁 論期日である平成14年12月24日まで6年以上が経過しているとこ ろ,その間,原告は,喫茶店「I」の実質的な経営者として給料収入を受 けているほか,家賃収入も併せると,少なくとも月額約74万円程度の収 入を得ているが,本件合意のうち,不動産の譲渡に関する約定が履行され ると,本件不動産(1)及び(8)の自宅敷地建物の所有権を取得し,ここに居 住すれば住居費も必要でなくなることを考えると,その収入だけで十分な 生活をしていくことが容易な状況にあるものと認められる。これに対し, 被告は,本件合意当時,既にHを解散して,花筵関係の仕事に携わること をやめていたため,これに関する収入はもはやない状態であり,喫茶店 「I」の名目上の社員として原告から給料収入を得ていたが,現在ではこ れもなく,専ら家賃収入を得ているのみであるところ,本件合意のうち, 不動産に関する約定が履行されると,上記自宅敷地建物の所有権を喪失し, 他に住居を賃借するなどして新たに住居費が必要になるだけでなく,これ まで得ていた家賃収入の一部も失う結果になることを考えると,原告の生 活状況に比べて均衡を失する状態になるものと認められる。これに加えて, 本件のように,財産分与が金銭以外の資産によって行われるときは,譲渡 所得の課税要件である資産の譲渡(所得税法33条1項)に当たって,譲 渡所得税が生じることになり(所得税基本通達33-1-4),かつ,こ の場合,分与財産が時価で譲渡されたものとして,これを譲渡所得の収入金額とする所得計算が行われるところ,ここでいう時価は,固定資産税評 価額ではなく,実勢価格と解されているから,被告には相当程度高額の譲 渡所得税が課されることが容易に推察することができるところである。以上によれば,原告と被告の収入の内訳や住居費の要否等からみた生活 状況が均衡を失する状態になること,被告は,原告に対し,既に本件不動 産(1)の持分2分の1につき,真正な登記名義の回復を原因とする持分移 転登記手続をしていること,本件合意のうち,不動産の譲渡に関する約定 がそのまま履行された場合には,原告は,新たに合計1億1370万49 35円の価値の不動産を取得するのに対し,被告はこれを喪失するため, 最終的に,原告は,合計1億6285万3415円もの価値の不動産を所 有することになり,被告は,合計3455万2728円の価値の不動産の みを保有することになること,しかも,被告には相当程度高額の譲渡所得 税が課されることになることなどに照らし,原告の本件請求のうち慰謝料 の支払を求める部分は,もはや権利の濫用に当たり許されないものと解す るのが相当である。なお,本件合意は,原告が長年にわたり家業に貢献してきたことに基づ く財産の分与,被告の不貞な行為及び暴力に対する原告への慰謝料,被告 が将来不貞な行為や暴力をしないための担保といった意味合いでなされた ものであること,その他本件に表れた一切の事情を考慮しても,上記判断 を左右するには足りない。イ この点につき,被告は,原告の本件請求のうち不動産の譲渡を求める部 分についても,権利の濫用による無効を主張する。しかし,前記認定のとおり,原告が本件請求で譲渡を求める不動産は, 本件不動産(4),(5)及び(7)並びに同(1)及び(8)の各2分の1の持分であ るところ,本件不動産(4)及び(5)は,原告が経営する喫茶店「I」の敷地 であり,同喫茶店ともどもこれらの敷地の所有権を原告に取得させるのが相当であることは明らかである。また,本件不動産(1)及び(8)は,自宅の 敷地建物であり,同一敷地内にF夫婦が居住する建物が存在し,かつ,原 告とFとの間の親子関係は被告とFとの間のそれに比べて親密であること にかんがみると,原告がその所有権を取得するのが相当と解され,これに 伴い,本件不動産(1)上にある本件不動産(7)の花筵工場についても,離婚 後の原被告間の紛争回避の見地から,その所有権を原告に取得させるのが 相当である(なお,上記自宅の敷地建物は,被告が現在居住しているとこ ろではあるけれども,仮にこれらの不動産の譲渡を認めないとすると,原 告が本件請求で譲渡を求めることができるのは喫茶店「I」の敷地のみと いうことになり,このような結論は,本件合意書の効力を否定するのに等 しい上,被告の事業の維持発展に大きく貢献してきた原告の寄与度を相当 程度無視することになり,妥当とは思われない。)。ウ したがって,被告の権利濫用による無効の抗弁は,原告の本件請求のう ち慰謝料の支払を求める限度では理由があるが,その余は理由がないとい うべきである。4 もっとも,前記(1)認定の事実によれば,原告と被告間の婚姻関係は専ら被 告の不貞な行為及び暴力により破たんするに至ったものというべきであるか ら,被告は,これにより原告の受けた精神的苦痛を慰謝すべき義務がある。そして,本件離婚により,約50年間にわたる婚姻関係を解消し,今後の生 活を送らなければならない原告の精神的苦痛は相当なものがあると推察される こと,被告は,原告から,度々,不貞な行為及び暴力をやめるよう申し入れら れるとともに,2度にわたって家庭裁判所に離婚調停を申し立てられたことが あったのに,これらを受け入れなかったばかりか,直近の離婚等調停事件にお いても,原告に対し,今後暴力を振るったり不貞な行為をしたりしないことを 確約したにもかかわらず,これを無視し,電気ストーブで体をめった打ちにし, そのコードで頸を絞めるなどの暴行を加えた挙げ句,原告に傷害を負わせたもので,その行為の態様は極めて卑劣かつ悪質である上,事もあろうに,暴行の 事実について身に覚えがないとして否認するなど,反省の態度が全くみられな いこと,原告と被告間の婚姻関係が破たんするに至ったについては,原告にお いて,落ち度といえるようなものは見当たらず,かえって原告は,長年にわた り,被告のたび重なる不貞な行為や暴力に耐えながら,身を粉にして懸命に働 き,2人の娘を養育監護してきたものであり,その苦労は察するに余りがある こと,その他原告の年齢,婚姻期間等の本件に顕れた一切の事情を勘案すると, 原告の精神的苦痛を慰謝するためには1000万円をもってするのが相当であ る。5 結論 以上によれば,原告の本件請求は,離婚,本件不動産(4),(5)及び(7)につき財産分与を原因とする所有権移転登記手続,同(1)及び(8)の各2分の1の持 分につき財産分与を原因とする所有権移転登記手続とその明渡し,並びに,慰 謝料1000万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成13年8月 18日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求 める限度で理由があり,その余は理由がないので,主文のとおり判決する。岡山地方裁判所倉敷支部
(別紙添付省略)
裁判官 中川博文
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