主文
1 被告らは,原告に対し,連帯して金100万円及びこれに対する平成11年11月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを10分し,その1を被告らの負担とし,その余を原告の負担とする。
4 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求の趣旨 被告らは,原告に対し,連帯して,金1100万円及びうち金1000万円に対する平成11年11月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 第2 事案の概要
1 本件は,原告が両側顎関節症の治療のためにA大学歯学部附属病院において 歯科医師の被告Bの診察を受け,被告Bから指示を受けた歯科医師の被告Cが, 加熱した即時重合レジンを用いて原告の上下顎の噛合の型どりをする際,同レ ジンを口腔内にセットしたまま経過観察を怠ったため,前歯4本の歯肉及び歯 髄に火傷を負った(以下「本件事故」という。)として,被告C及び被告Bに 対しては民法709条の不法行為に基づく損害賠償請求を,被告Dに対しては A大学病院を開設・経営し,その事業のために被告B及び被告Cを使用し原告 に対する治療行為を行わしめていたとして,民法715条の使用者責任に基づ き損害賠償請求を行う事案である。2 争点
(1) 被告らの責任
(原告の主張)
被告Cは,通常よりも多量の即時重合レジンを使って型取りをするのであ るから,火傷をしないよう,原告の傍で注意深く経過観察を行うべき注意義 務があるにも関わらずこれを怠った過失がある。被告Bは,A大学歯学部歯科補綴学第一講座の助教授の職にあり,被告C は被告Bのもとで歯科補綴学の研修中であったのであるから,歯科医師資格 を取得したばかりで臨床経験の少ない被告Cの経験・能力等に応じた適切な 指導監督をする注意義務があったにも関わらずこれを怠り,より安全性が高 く一般的な咬合採得方法であるシリコンを用いず,危険性のある即時重合レ ジンを用いた型取りを漫然と行わせた過失がある。被告Dは,A大学病院を開設・経営し,その事業のために被告B及び被告 Cを使用し,原告に対する治療行為を行わしめていたのであるから,被告C 及び被告Bが不法行為により原告に加えた損害を賠償する責任がある。
 (被告らの主張)顎関節症に対する最も一般的な治療法は,脱着できるレジン製マウスピー ス(通称スプリント)を睡眠時に装着する方法(スプリント治療法)であり, 上顎と下顎の型取り(印象採得)と噛み合わせの記録取り(咬合採得)に基 づくワーキングモデル(作業用模型)上でスプリントを作製する間接法が一 般的である。咬合採得においては,スプリントに与える治療的顎位の決定が最も重要な ため,液と粉末を混和させた柔らかい団子状の即時重合レジンを前歯部の上 顎部又は下顎部に置き,ゆっくり閉口を命じて垂直的顎位と水平的顎位を決 定してアンテリアジグを作製する。次に,それを口腔内に残置したまま,残 りの歯列部分にシリコーン製咬合採得材を置いて噛ませ,噛み合わせの位置 を記録する。即時重合レジンは,混和後3分前後で硬化し,その際,混和後1分前後か らおおむね50°C程度まで発熱する。このような即時重合レジンの使用は,咬合採得のみならず,通常の医療行為として頻繁に行われている。 ところで,即時重合レジンの発売元には,口腔内での使用による火傷の事 例報告はこれまでなく,被告Bの歯科医師としての長い経験の中でも上記事 例を見聞したことはない。すなわち,本件事故による火傷の発生は予見できないものである。 被告Cは,本件治療の際,原告の下顎部に即時重合レジンを置き,適当な高さで噛ませた後,次の作業に必要な材料を取るため約30秒間原告の傍を 離れたものであるが,即時重合レジンの前記性質に照らせば格別注意義務に 欠けるところはない。なお,火傷により歯肉に生じた白変に対して,患部を 冷やし,塗り薬を塗布して経過を見る方が結局は早く治癒するのであり,満 足な手当を施さなかったという非難は当らない。被告Cは,歯科医師資格の取得後日が浅いとはいえ,本件事故以前にも即 時重合レジンを用いた治療経験があり,咬合採得自体は格別困難な作業とは いえないことからすると,被告Bには,本件作業に関する特段の指導監督上 の義務に欠けるところはない。なお,アンテリアジグ作製に当っては,即時 重合レジンの使用が通常であり,シリコーンを使用するのは一般的ではなく, シリコーン製咬合採得材は,アンテリアジグ作成後,臼歯部の歯列の記録を 取る際に使用するのが通常であるから,即時重合レジンの使用ではなくシリ コンを使用するよう指導監督すべきであったとの原告の主張は失当である。(2) 原告の損害の程度 (原告の主張)
1 慰謝料・300万円
原告は,本件事故による火傷により,平成11年11月29日から平成 12年6月23日までの間,A大学病院に通院して被告Bの治療を受けた。前歯4本の歯肉は少しずつ快復したものの,歯髄は炎症を起こして知覚 過敏となり,痛みのために物が噛めないなど歯髄炎の症状が続いており,食事に不便さがあるほか,食べる楽しみも皆無である。
 通院期間中と今後も続く歯髄炎による両精神的苦痛に対する慰謝料は300万円を下ることはない。
 2 逸失利益・約700万円
原告の歯髄炎による神経障害の程度は,局部に頑固な神経症状を残すも のに該当し,自賠責保険の後遺障害別等級表の第12級にあたるから,労 働能力喪失率は14パーセントである。原告は,本件事故時45歳であり,賃金センサスによる平成10年女子 労働者の年齢別平均賃金は371万1300円であるから,労働能力喪失 率14パーセント,就労可能年数を20年(新ホフマン係数13.616) として逸失利益を計算すると,約700万円になる。3 弁護士費用・100万円 (被告らの主張)
否認する。
原告の下顎前歯部唇側歯肉に生じた白変等は,本件事故後約3週間を経過 した平成12年12月16日には完治が確認されている。火傷により歯髄に炎症が生じたと仮定しても,炎症が進行して一旦歯の痛 みが増すものの,やがて歯髄細胞の壊死に伴って次第に痛みが消失するか, 炎症が治って歯髄が正常に戻り痛みが消失するかのいずれかである。火傷が 原因の炎症により歯髄が壊死するか正常に戻るかの転帰は,長くても火傷か ら1ないし2か月で決するので,それ以上の長期間にわたって歯の痛みが続 くということはあり得ない。したがって,本件事故後1年を経過して,なお 歯痛が消失しないという原告の主張は合理性がない。また,熱による軽度の火傷が下顎前歯部唇側歯肉にあったことは認められ るが,歯髄は周囲を象牙質,エナメル質という熱の伝わりにくい硬組織に囲 まれているため,歯髄に加わった熱は歯肉に加わった熱より低いことは明らかであるところ,本件で使用されたレジン硬化の際の発熱は50°C以下であ ることからみれば,歯髄に炎症が生じたとは考えにくい。いずれの観点からも,原告主張の歯痛の存在には疑問があり,仮に歯痛が あるとしても,即時重合レジン硬化の際の発熱との間には相当因果関係がな いと考えられる。被告らは,咬合採得に使用した即時重合レジンの発熱特性と硬組織に囲ま れている歯髄組織の特殊性から判断して,本件事故による歯髄炎には,当初 から強い疑念を抱いていたが,歯髄炎についての診断は,患者の訴える臨床 症状が基本となっており,歯自体に臨床的徴候が全く認められない場合でも, 一般的な臨床症状である冷温水痛を患者が訴えれば,歯科医師としては歯髄 の炎症を前提とした処置を講じなければならない立場にある。そのため,被 告Bは消炎鎮痛剤投与と透明レジン製カバーの作製を行ったが,原告がそれ でも歯痛が消失しないと訴えたため,抜髄という除痛手段を原告に伝えたも のである。第3 当裁判所の判断
1 証拠(甲3,乙2,原告本人,被告C,被告B)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
 (1) 当事者
被告Dは,岡山市E町F丁目G番H号にA大学病院を設置し経営している。被告B及び被告Cはともに歯科医師であり,平成11年11月当時,A大 学病院第一補綴科において診療に従事していた。なお,被告Bは,当時A大 学歯学部歯科補綴学第一講座の助教授の職にあり,被告Cは被告Bの指導を 受けるA大学大学院歯学研究科歯学専攻1年次生であった。原告は,A大学病院を受診し,両側顎関節症の治療のためにマウスピース の型どりを受けた患者である。また原告は,岡山県倉敷市の歯科医院でパー トの歯科衛生士として勤務している。(2) 診療・受傷の経過 原告は,平成11年11月4日,顎関節症の治療のためA大学病院第一補綴科を受診し,被告Bの診察を受けた。同月11日のMRI撮影を経て,同 月26日に両側顎関節症と診断され,治療のためマウスピースを作製するこ とになった。同日,A大学病院第一補綴科において,被告Bから指示を受けた被告Cは, マウスピース作製のためのワーキングモデル(作業用模型)を作製するため, まず,アルジネートという材料(粉)を使って上下顎の印象採得を行った。次いで,上下顎の咬合採得(上下顎の噛み合わせや前後左右の位置関係の 型取り)を行うため,液(モノマー)と粉末(ポリマー)とを練和して柔ら かい団子状の即時重合レジンを作り,それを原告の下顎切歯部に置いてゆっ くり閉口を命じて意図した高さで閉口を止めさせた。ところが,即時重合レ ジンの量が少なかったためか,原告はそれを噛み切った。そこで,被告Cは,即時重合レジンの量を増やして,再度,原告に対して 同様の作業を行い,次の作業に必要なシリコーン製咬合採得材を取るため, 原告の傍を離れた。練った即時重合レジンには,わずかの時間(約1分程度) で発熱しながら硬く固まる性質(即硬性)があり,約3分で硬化して口腔内 で上下顎の噛み合わせの型ができる(アンテリアジグ)。また,即時重合レ ジンは量の増加に伴い発熱量も増す。実際,被告Cが約30秒後に原告の傍 に戻ってみると,同レジンの発熱が始まっており,原告の熱いとの訴えによ りアンテリアジグを除去したところ,下顎前歯部唇側歯肉に白変がみられた。
 そこで,患部を冷やした後,アンテリアジグを下顎切歯部に装着し,引き続 き臼歯部にシリコーン製咬合採得材を置いて噛ませ,咬合採得を完了した。その後,口内炎治療の塗り薬を塗布して原告を帰宅させる際,被告Cは原 告に対して,口腔内はすぐ治るから大丈夫との説明を行った。(3) 受傷後の経過
原告は,上記火傷により,平成11年11月29日から平成12年6月2 3日までの間,A大学病院に通院して被告Bの治療及び電気歯髄診断を受け た。原告は,本件事故による火傷により下顎前歯の冷温水痛がひどくなったた め,平成11年11月29日に経緯を説明の上で被告Bの診察を受けた。そ の際,下顎前歯部唇側歯肉の白変はびらん状態となっていたので,口内を消 毒剤で洗浄され,鎮痛剤等を処方された。同年12月3日,原告は,冷温水痛は減少傾向になったものの歯が浮いた 感じがして噛めないと説明して,再び被告Bの診察を受け,マウスピースの 調整,口内洗浄及び鎮痛剤の処方を受けた。また同日,原告はA大学病院ロ ビーで被告Cから謝罪を受け,原告は被告Cに対し,自分が歯科衛生士であ る旨を告げた。同月8日,原告は,勤務先の歯科医院で自分の歯にレーザー照射を試みた。同月9日,原告は,冷温水痛に増減がないため,被告Bの診察を受け,電 気歯髄診断と鎮痛剤の処方を受けた。その際,被告Bに自分が歯科衛生士で ある旨を告げると,勤務先の歯科医院でソフトレーザーを毎日使用するよう 指示された。この日は,被告Cは原告に何も言わなかった。同月11日及び同月14日,原告は,勤務先の歯科医院で自分の歯にレー ザーを照射した。同月16日,原告は,被告Bによる診察直前に見かけた被告Cに対し,「な ぜ謝らないのか。」と問い詰めた。同日の診察では,下顎前歯部唇側歯肉の びらんは完治していたが,下顎前歯部の冷温水痛が解消しないとのことであ ったため,電気歯髄診断や鎮痛剤の処方のほか,マウスピースを入れる処置 を受けた。その際,被告Bから抜髄を勧められたものの原告は断った。原告 が駐車場に車をとめた旨言うと,被告Bは,A大学病院ロビーに降りてきて, 駐車料金にと5000円の入った白い封筒を原告に渡した。同月17日,被告Cは,商品券3万円と謝罪の手紙(甲1)を同封して原 告に郵送すると共に,同月19日,原告宅に詫びの電話を入れた。同月20日,原告は,勤務先の歯科医院で自分の歯のデンタル撮影をした。同月22日,受診に際して,原告は,被告Cから現在の症状を聞かれ,さ らに前記商品券を受け取るように言われた。原告は,同日,電気歯髄診断, マウスピース調整の処置を受けた上で,被告Bから抜髄を勧められたものの できる限り抜髄はしたくないと断り,さらに火傷から約1か月間の心情を訴 えたところ,被告B及び被告Cから謝罪を受けた。同月23日,被告Cは,原告宅に症状を気づかう電話を入れた。
 同月28日,被告Bは,原告に対し,謝罪の手紙(甲2)を郵送した。 平成12年1月4日,原告は,被告Cの電話に対し,なぜ今までもっと取るべき態度がなかったのか,レントゲンの結果等の説明をしてほしいと頼ん だ。すると,同日夜,被告Bから原告宅に,原告宅に赴いて謝罪したいとの 電話があったが,原告がそれよりも症状について説明を求めると,被告Bは, レントゲンは歯髄炎では分からない,抜髄すると楽になると勧め,我慢して 歯髄を残すか,抜髄して楽になるかのどちらかの選択になる旨説明し,これ に対し,原告は,歯髄が生きているという少しの可能性にかけてみたいと答 えた。同月13日,原告は,診察の帰り際に,被告Bらに対し,弁護士に相談し たと告げた。同月14日,原告は,岡山県I郡J町の無料相談に赴いた。
同月28日,原告は,勤務先の歯科医院で,自分の歯のデンタル撮影をし た。同月30日,原告は,被告Bと被告C宛てに手紙を書き,翌31日投函し た。同年2月3日,原告は,先のデンタルを被告Bに見てもらったが,特に問題はないと言われた。被告Bは,原告からの手紙をもとに,冷温水痛を防ぐ レジン製カバーを作成したいと説明した上で印象採得し,次回診察を同月2 4日とした。しかし原告は,夜になってどうしても納得がいかず,被告C宅 へ電話で示談による解決を望む旨伝え,その後,被告Bからの伝言として示 談金20万円での解決打診が被告Cからあった。同月24日,原告は,被告Bの診察を受ける際,20万円での示談解決を 少し待ってほしいと伝えた。その後原告は,抜髄を決意し,同年5月18日,抜髄予定で被告Bの診察 を受けに来たが,医療過誤に関して係争中であることから見合わせることと なった。同年6月23日,原告は,被告Bによる電気歯髄診断を受けたところ,ほ ぼ正常の範囲に入っていた。同年8月8日,症状に変化がないと感じた原告は,再度抜髄しようと被告 Bに電話をかけたが断られた。同月24日,原告は,K医院を受診し,レントゲン撮影により,仮に歯髄 炎であったとしても歯根膜への影響はその時点ではないとの説明を受けた。
 なお,歯髄の炎症はレントゲン写真には写らない。そして,仮に歯髄に問題 があっても自然に治癒するであろうとの説明を受けた。平成13年11月20日,K歯科医院により,原告の主訴,冷水,打診に より疼痛あり,診断の結果,歯髄炎の疑い程度と思われ,安静持続すれば治 癒と思われるとして,病名としては,「歯槽膿漏,歯髄炎及び歯根膜炎の疑 い」との診断書が作成された(甲9)。なお,原告は,半日パートの歯科衛生士であったが,休めない仕事である ので仕事は休んでおらず(原告本人),また,平成11年12月8日以降に は,パート先の歯科医院で自らにレーザー照射などをしていた(甲3)。(4) 医療文献等について
ア 即時重合レジン(商品名はユニファストII)の製造元である株式会社L による実験結果(乙4)によれば,次の記載が認められる。粉末1gに0.5mlの液を練和して重さ約1.5gの即時重合レジンを 団子状のブロックにした場合を基準に,液の量を±20%変化させて,硬 め及び柔らかめのブロックを作成し,口腔内と同様に温度37°C,湿度1 00%の状態で即時重合レジンの温度変化を実験したところ,液の量+2 0%にした場合に最高温度約46°Cまで上昇した。同様に,粉末1.5g に0.75mlの液を練和して団子状のブロックにした場合を基準に,液の 量を±20%変化させて実験したところ,やはり液の量+20%にした場 合に最高温度約49.5°Cまで上昇した。2 「口腔機能回復」(歯学雑誌1997年11月号。第24巻。乙5の1 及び2)によれば,次の記載が認められる。4人のヒトの永久歯の咬合面に金属の熱源を接着し,歯髄内の上昇温度 が歯髄に与える影響を見た実験によると,即時重合レジンの発熱曲線に合 わせて熱を加え,被験者がその歯に痛みを感じ始めてから30秒間経過し たところで加熱を止めた結果,温度上昇が39.5°C~50.4°Cに達す ると全員が歯に痛みを感じたが,歯髄を最高温度44.4~50.8°Cに なるまで熱しても(歯髄に炎症が生じるとされている43°Cを超えている 時間は80~180秒),口腔内にて熱を加えた歯は,熱源で刺激してか ら68~91日後(約2~3か月後)には歯に痛みがなく,68~91日 後に抜歯して組織学的に評価したが,抜歯後の組織像もすべての歯におい て炎症反応や修復反応は見られず正常であった。3 「口腔外科 口腔医学 口腔病理学」(歯学雑誌1965年1月-6月 第19巻。乙6の1及び2)によれば,次の記載が認められる。5匹のサルの歯面に275°Cのハンダごてを5~20秒あてて,歯髄内 の温度が歯髄に与える影響を見る実験によると,温度上昇によって,歯髄の炎症がひどくなり失活する歯の割合が変化するが,歯髄に熱刺激の影響 が見られても数日後には修復現象を始める歯は約2~3か月後には正常に 戻っていた。そして,歯髄に熱が加わった歯の運命は,歯髄の温度上昇の程度にかか わらず,正常に戻るか失活するかのどちらかであり(もちろん温度上昇が 大きくなるにつれて失活する歯の割合は増える),炎症が持続している歯 はなかった。歯髄の温度が5°Cから10°C上昇した場合に正常歯髄に復す るのに要する日数は約2か月であった。2 上記認定事実をもとに判断する。
 (1) 被告らの過失の有無即時重合レジンは練和からわずかの時間(約1分程度)で発熱しながら硬 く固まる性質(即硬性)があり,さらに量の増加は発熱量の増加に関連して いる。また,本件事故時における使用量と同程度の即時重合レジンの温度変 化実験によれば,約50°C前後まで上昇した状態が数秒間続く場合があり, 歯髄に炎症が生じるとされる43°Cを超える場合もありうることが認められ る(乙4)。また,その発熱により,現に原告の歯肉に火傷が生じたことは 当事者間に争いのない事実である。とすれば,即時重合レジンの使用量,発熱量,時間によっては,患者の歯 及び歯肉に火傷を負わせる危険性があることは否定できず,そのこと自体は 十分予測可能であるから,同使用にあたっては患者に火傷を負わせることが ないように,使用量や混和比率等に十分な注意を払い,硬化終了まで経過観 察をする義務があると言わざるを得ない。確かに,被告ら主張のとおり,即時重合レジンの口腔内の使用により火傷 を生じた事例が知られていないことは認められるが,それは単に表立った報 告例がなかったか,他の歯科医師が使用量や混和比率等に十分意を払い,硬 化終了までの経過観察を怠らなかったためであるとも考えられ,被告らの過失を否定する根拠足り得ない。 したがって,被告Cの過失は否定できず,被告Bも,被告Cが,歯科医師資格を有しており,即時重合レジンを用いた咬合採得の経験があり,咬合採 得自体がさほど困難な作業ではないとしても,即時重合レジンの危険性につ いて配慮した指導を行った形跡が窺われない本件では,被告Bの過失も否定 できない。したがって,被告Dの使用者責任も否定できない。なお,シリコンを使う方法が,即時重合レジンに比べてより安全性が高く, 一般的な咬合採得方法であると認めるに足りる証拠はないから,この点につ いての原告の主張は採用できない。(2) 原告の損害の程度 説明の都合上,先に逸失利益について述べる。ア 逸失利益について・0円 上記認定事実によれば,即時重合レジンの粉と液の量の誤差を考慮しても,口腔内における即時重合レジンの温度変化は最高でも約50°C前後と 思われること,歯髄に熱が加わったとしても,炎症が持続する歯はなく正 常に戻るか失活するかのいずれかであり,歯髄の温度が約5~10°C上昇 した場合に正常歯髄に復するのに要する日数は約2か月から長くても約3 か月程度であることなどが認められ,原告主張のように歯髄炎が現在まで 持続しているとは考えがたい。また,K歯科医院においても,「原告の主 訴,冷水,打診により疼痛あり。診断の結果,歯髄炎の疑い程度と思われ ます。」程度の診断結果に過ぎない。確かに,被告Bは一時期歯髄炎を前提に抜髄を勧めた経過も認められる が,患者の訴える痛みについては客観的な判定方法がなく,臨床症状を基 に判断せざるを得ないこと,本件事故から約3か月が経過するに及んでも 原告が冷温水痛を訴えるものの自発痛の訴えがないことから,歯髄炎の罹 患に対しては,きわめて強い疑念を持つに至ったことが認められ,抜髄を勧めた事実のみをもって原告が歯髄炎であったと認めることもできない。 そうすると,原告が被告らの過失により負った口腔内の火傷以上に, 歯髄炎を負ったことを前提として,局部に頑固な神経症状を残す後遺障害があると認めるに足りる証拠はない。 さらに,証拠によれば,原告は,少なくとも本件事故から約2週間後の平成11年12月8日,勤務先の歯科医院で自分の歯にレーザー照射を試 みたことが認められる(甲3)ほか,本件事故後の欠勤はなく,仕事上に 直接の影響は出ていない(原告本人)。また,受傷後の被告らとの交渉経 緯をみても,本件事故から約3週間後の同月16日には,「彼女(被告C) になぜあやまらないのか!と激白!」「抜髄はしたくないと言いはる!」 などしており(甲3),さらに同月19日には被告Cからの電話に「30 分近くしゃべる」(甲3)などしたことを併せ考えると,労働能力が喪失 しているとは認められず,他にこれを認めるに足りる証拠もない。したがって,いずれの観点からも,逸失利益は認められない。 イ 慰謝料について・80万円原告が,本件事故により現実に下顎前歯部唇側歯肉に火傷を負ったこと, これにより下顎前歯の疼痛過敏状態等を生じたこと,平成11年12月1 6日以後被告Bから何度か抜髄の申出を受けていること,他方,被告B及 び被告Cは,火傷に関する自らの落ち度を認めており,謝罪やお詫び金等 の交付,さらには示談を望んだ形跡が窺えること,もっとも,原告は被告 Bらの言動に納得いかず,弁護士に相談している旨告げたり,被告Cに電 話で「示談の成立を言いつけ」(甲3)るなどしたこと,また,同年8月 29日付けの手紙で,別の医者に診てもらった経過や,被告Bと別の医者 との考え方の違いを対比した内容を記した手紙(甲4)を送付したことな ど,本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると,被告らの原告に対する慰 謝料としては80万円をもって相当と認める。3 弁護士費用・20万円 原告が本件訴訟を提起,遂行するにあたり,弁護士を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ,医療事故訴訟という専門性を有する事 案の内容,立証活動の難易,認容額の程度等本件弁論に現れた一切の事情 を考慮すると,20万円をもって相当と認める。(3) なお,仮執行免脱の申立ては相当ではないから,これを認めない。 第4 結論よって,原告の本件請求は,上記限度で理由があるので,主文のとおり判決 する。岡山地方裁判所第2民事部
裁判官 中川 綾子
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