平成14年3月29日判決言渡 平成10年(ワ)第476号 損害賠償請求事件 口頭弁論終結日 平成14年2月22日 判 決主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 被告らは,原告に対し,連帯して金1887万1020円及びこれに対する平成10年6月13日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。第2 事案の概要
1 本件は,原告が不妊治療のため被告医療法人社団すみれ会の開設する診療所を受診し,同診療所の医師である被告aにより子宮卵管造影検査を受けたところ,その後,下腹部痛を訴え,他の病院を受診して両卵管切除等の手術を受けるに至ったが,これは,同医師が,クラミジア・トラコマティス感染症に罹患していた原告に対し,同感染症の治療をしないまま上記検査を実施したため,両側卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫の状態となって上記手術を余儀なくされたものであり,その結果,原告の妊娠の可能性はほとんどなくなったとして,被告らに対し,不法行為又は債務不履行に基づき,慰謝料等の損害賠償を請求している事案である。
2 前提となる事実
 (特に証拠を掲記したもの以外は当事者間に争いがない。)
・ 当事者等
 原告は,昭和35年10月1日生の女性であり,平成3年3月ころbと婚姻し,現在,頭書住所地に居住している。(甲11)
 被告医療法人社団すみれ会は,頭書住所地において,「医療法人社団すみれ会(レディス)柏クリニック」(以下「被告医院」という。)を開設し,経営している。被告aは,同法人の理事長であり,被告医院の院長たる医師である。・ 診療経過の概要(甲11,42,44,乙2ないし5,7,11,18,原告本人,被告a本人)
ア 原告は,平成2年6月20日,月経が2週間以上続くと訴えて,東京都新宿区所在の国立国際医療センター(当時の名称は「国立病院医療センター」,以下「国立医療センター」という。)の産婦人科を外来で受診し,翌21日夜には腹痛や嘔気などを訴えて同病院を救急外来で受診し,その後,同年7月ころまで同病院の産婦人科に通院したが,その際,右附属器(卵管,卵巣)に嚢胞性腫瘤(「嚢胞」とは,病的に形成された流動体ないし半流動体の内容をもつ球状の嚢,あるいは,腺組織の腺管腔が異常に拡張した状態をいう。「腫瘤」とは,組織あるいは臓器に限局性にみられる異常な塊の総称である。)が確認され,カンジダ(真菌の一種)の治療についても示唆された。
 平成4年4月17日夜,原告は腹痛や嘔気を訴えて国立医療センターを救急外来で受診し,同日から同月22日まで,急性虫垂炎の疑いで国立医療センターの外科に入院したが,そのころから同年5月ころにかけて,同病院の産婦人科を外来で受診したところ,右附属器に嚢胞性腫瘤が確認され,卵管留膿腫(卵管炎により,化膿傾向のある浸出物が卵管腔内に貯留したもの。なお,浸出物が漿液性で化膿傾向がなければ,「卵管留水腫」である。)なども考えられる状態と診断された。また,各種検査の結果,クラミジア・トラコマティス(以下,単に「クラミジア」ということもある。)の抗原検査では陰性であったが,血清クラミジア抗体検査ではクラミジア・トラコマティスIgA抗体(以下,単に「IgA抗体」ということもある。),同IgG
抗体(以下,単に「IgG抗体」ということもある。)がともに陽性であり,カンジダについても陽性反応が出た。
 平成5年4月11日夜,原告は腹痛等を訴えて再び国立医療センターを救急外来で受診し,急性腸炎の疑いと診断された。
 同年10月7日,原告は,子供がほしいなどの理由で,東京都新宿区所在の慶應義塾大学病院(以下「慶應病院」という。)の産婦人科を外来で受診し,平成6年5月ころまで同病院に通院したが,その際,クラミジア・トラコマティス培養検査では陰性であり,カンジダ培養検査では陽性であった。
イ 原告は,その後都合によりしばらく治療を中断していたが,平成9年10月24日,不妊治療を希望して被告医院を受診し,被告医療法人社団すみれ会との間で,当時の医療水準に従い,原告の不妊症に関する適切な検査及び治療を行う旨の診療契約を締結した。
 同日及び同月28日の受診時に内診,血液検査等が行われたが,同月24日の初診時に採取した原告の血清から,後日,IgA抗体の陽性反応が出た。同年11月13日,被告aにより,原告に対し,子宮卵管造影検査(子宮頸管から子宮腔内に造影剤を注入し,子宮頸管と子宮腔の形状と大きさ,卵管の走行及び疎通性,骨盤腹膜の状況,癒着の有無,卵巣腫瘍の有無などを画像で診断する検査。以下「本件検査」という。)が実施された。
ウ 原告は,本件検査終了後,帰宅してまもなく下腹部が痛み始め,同月14日夜,千葉県柏市所在の東京慈恵会医科大学付属柏病院(以下「慈恵医大柏病院」という。)を救急外来で受診し,座薬の処方を受けたが,入院を希望せずいったん帰宅した。しかし,翌15日,症状が改善しないことから同病院の産婦人科に入院し,骨盤内感染症と診断された。
 同年12月1日,原告は,同病院において両卵管切除術及び左卵巣嚢腫摘出術を受け,両側卵管留膿腫,左卵巣嚢腫と診断された。
 同月12日,原告は慈恵医大柏病院を退院し,その後,平成10年ころから東京都文京区所在の東京大学医学部付属病院(以下「東大病院」という。)において体外受精の治療を受けたが,現在まで妊娠には至っていない。
3 争点
・ 原告に対する本件検査の適否。
・ 本件検査により,原告の将来の妊娠可能性に影響を及ぼしたか否か。4 争点に関する当事者の主張
・ 争点・について
(原告)
 本件検査の際,原告はクラミジア感染症に罹患しており,かつ,被告aはそのことを知っていたのであるから,クラミジア感染症の治癒を確認した上で本件検査を施行すべき注意義務があったにもかかわらず,何ら治療措置をとらないままに本件検査を実施したのは,医師として重大な注意義務違反である。
ア 子宮卵管造影検査は,子宮腔内に造影剤を注入することから,それ自体,骨盤内感染症の危険を伴う検査であることは否定できない。まして,クラミジア感染症に罹患している患者に子宮卵管造影検査を施行すれば,膣内周辺にとどまっていたクラミジア菌が子宮,卵管及び卵巣にまで及び,これらに嚢腫等のトラブル発生の原因となる危険がある。このため,子宮卵管造影検査の施行にあたっては,クラミジアに有効な薬剤を投与することにより,処置後の二次的なクラミジアによる骨盤内感染症の発生を予防すべきとされており,既往のクラミジア感染症患者であっても,それが卵管への障害を残し,卵管不妊の原因となることが少なくないので,クラミジア感染症の治療を優先すべきであるとされている。
 そこで,医学上,クラミジアの活動性の病変を示すIgA抗体の数値が陽性であった場合(なお,IgA抗体陽性が通常クラミジアの活動性の病変を示すことは,一般的な医学的知見であり,IgA抗体検査により治療の状況を知ることができる。)には,クラミジア感染症の治療を優先すべきであって,子宮卵管造影検査は禁忌とされている。
イ 原告は,本件検査当時,急性期のクラミジア感染症であったから,本件検査に先立ちクラミジア感染症の治療をすべきことは,医学的常識である。
 すなわち,原告は,被告医院の初診時に受けたIgA抗体検査の結果,陽性の反応が出ていた。また,原告は本件検査後,慈恵医大柏病院に入院した際,菌培養の結果クラミジアが検出され,かつ,IgA抗体の数値も急上昇していた。これらのことから,本件検査時,急性期のクラミジア感染症であったことは客観的事実である。
 本件検査当時,原告がクラミジア感染症の急性期であったことは,本件検査前,慶應病院での菌培養検査でクラミジアは陰性であり,その時点ではクラミジアに感染していなかったことからも客観的に裏付けられている。
ウ 被告aは,原告がクラミジア感染症に罹患していることを,遅くとも平成9年11月5日には確知しながら,これについて何らの治療措置をとらないまま,同月13日,本件検査を実施したものである。
・ 被告aは,本件検査の際,クラミジア抗体検査の結果を知っていた。
 原告は,同月5日の受診時に,被告aからクラミジア抗体検査の結果について直接説明を受けており,その際,被告aは原告にクラミジア抗体の検査報告書を交付した。このことから,被告aが本件検査前にクラミジア抗体検査の結果を知っていたことは争う余地がない。仮に,被告ら主張のとおりこの検査報告書が同年11月7日に発送されたものであったとしても,同月8日か同月9日には被告医院に到着していたはずである。
・ 原告は,被告医院の医師に対し,不妊原因と関連があると思われる既往症については正確に告知していた。
 原告の既往症として最も重要なものは,国立医療センターでの治療歴であるが,原告は,被告医院での初診の問診時に,卵巣がはれたり卵管がはれたことがあると具体的に回答し,2回目の診察時には,国立医療センターでその治療を受けた旨の説明をした。また,中絶歴についても正確に告知した。
 他方,クラミジアの既往歴については,慶應病院で平成5年10月にクラミジアの培養検査を受けて陰性との診断を受け,平成6年2月18日の培養検査でも特記所見なしとされているのであるから,原告が被告医院を受診した際に告知しなかったとしても,非難されるべきことではない。
 むしろ,被告aは,患者の既往症や現症に対して無関心であり,不妊治療のために被告医院を受診した原告に対し,クラミジア感染の既往歴について問いただすこともせず,国立医療センターでの病歴についても卵管や卵巣がはれたことがあると原告が述べたにもかかわらず,それ以上のことを何ら調査もせず,不妊一般検査スケジュールに従って流れ作業的に本件検査を施行したのである。
・ 仮に,被告らの主張するように,被告aが,クラミジア抗体検査の結果判明前に本件検査を実施したとしても,クラミジアの急性期の病変を示すIgA抗体の検査をしておきながら,その結果が判明する前に本件検査を実施したこと自体が医師としての重大な注意義務違反である。
(被告ら)
 被告aが実施した本件検査は適切なものであった。
ア 子宮卵管造影検査が禁忌とされるのは,クラミジア感染による急性期の卵管炎などの場合であって,慢性のクラミジア感染症の場合には,不妊治療は必ずしも禁忌ではない。
 IgA抗体が陽性であっても,無症状の症例などでは,クラミジア治療後に子宮卵管造影検査,卵管通気検査,卵管通水検査などの卵管通過性確認検査を実施すべきとする根拠は乏しい。
・ 慢性化したクラミジア症例につき,卵管通過性検査の実施により急性化したとしても,クラミジア菌を沈静化することは,診断さえつけば困難なことではない。被告aは,このような検査の最中もしくは直後に急性化し,激しい腹痛や腰痛,微熱が見られた例を経験したことがあったが,早急に適切な抗生物質や鎮痛消炎剤を点滴あるいは経口的に投与することなどにより改善させている。
 臨床の現場では,卵管通過性検査により異常を認めた後にクラミジア検査を行っているものもある。
・ 不妊原因を探すためには,卵管通過性検査は診断上欠かせないものであり,たとえクラミジア感染症であっても,卵管通過性検査はいつかは必ず行わなければならないものである。
 頑固な閉塞状態にある症例を除いて,卵管通過性検査,治療により通過性の改善が見られるものは少なくない。こうした検査は,癒着が固まらないうちに,できる限り早い時期に通過性確保のための検査を実施しなければならない。また,慢性化したクラミジア感染症で卵管留膿腫が形成されている場合には,これがカプセル化し血流が少ないこともあり,抗生剤の効果はあまり期待できないので,仮に症状が急性化すれば,それはむしろ,腹腔中に出現したクラミジア菌を撲滅するために絶好の治癒期といえる。不妊症ゆえの特異的な方法である。
 したがって,クラミジア感染症とわかった場合でも慢性期であれば,患者の協力を得て,危険を承知で,激しい疼痛を伴うミノマイシン(抗菌薬)を用いての卵管通過性検査,治療を行う(その場合,麻酔下で行うことが多い。)のである。
 クラミジア抗体価が陰性化するまで何年も待ってから子宮卵管造影検査を実施すべきとすれば,不妊治療を希望する患者の切実な要請に応えることはできない。また,両側卵管の通過性が欠如した症例に対し,最初からすべてを体外受精に回したり,卵管形成術を行うことは,金銭的負担を増すばかりで無謀というべきである。
・ 慢性のクラミジア症においては,何をもって治癒したと判断すべきか問題が残されており,そのような状況下で,IgA抗体の陰性化を待って子宮卵管造影検査を実施すべきとする根拠は乏しい。
 すなわち,一般的には,急性期であればIgA抗体の消長が治療を反映しているといえるが,IgA抗体は,抗体価が陽性になるまでには感染後4ないし6週はかかるといわれており,他方,治癒したと思われる症例でも,年余にわたり容易に陰性化しないものがあることはよく知られている。また,クラミジア抗体検査は,他のクラミジア属との交差反応によるものがあることから,あくまでも骨盤内感染症の補助診断や感染既往歴の有無等の範囲でしかなく,確定検査にはならない。
 以上から,IgA抗体が陽性だからといって,全て急性期のクラミジア症であるとは限らないのである。
イ 本件検査当時の原告の症状
 原告は,被告医院を受診時,急性期のクラミジア感染症であったとはいえない。
・ 原告は,本件検査時には卵管留水腫状態にあり,慢性化した骨盤内感染症があったこと,平成4年5月ころ,国立医療センターでの検査でIgG抗体,IgA抗体ともに陽性であったこと,その際,超音波検査で卵管留膿腫状の所見があり,改善していないまま治療を中断していたこと,再検査を指示されながらも受診せず,抗体の低下や陰性化は確認されていないこと,その後平成5年4月11日にも同病院の救急外来を受診していたことなどから,被告医院を受診した時点では,急性期であったとはいえない。
 被告医院初診時のIgA抗体は,平成4年4月(31歳)の抗体が消失しないままであったと考えられる。本件検査の際に見られた卵管留水腫と併せて考えれば,かなり以前からクラミジア抗体があったと考えられる。
・ 膣内周辺や子宮腔内にクラミジア菌があったとすれば,初診時に異常な帯下(こしけ)や腹痛などの急性症状と思われる症状があるはずであり,膣部細胞診検査や血液検査でも炎症反応等が見られるはずである。しかし,初診時に原告自ら何ら症状を訴えることはなく,膣部周辺のクラミジアを疑わせるような炎症所見もなく,本件検査までの間に実施した血液検査や子宮頸部細胞診検査でも,白血球増加等の炎症反応や白血球,リンパ球等の炎症性細胞は認められていない。診療経過からもクラミジアを疑わせる所見はなく,帯下分泌物などについて検査をする必要性がなかった。むしろ,慈恵医大柏病院に入院後,白血球が日毎に増加したのは,そのころ急性化したことを示している。
・ 原告は,IgA抗体が陽性であったから急性期であると主張しているが,この値はさほど高い値でもなく,何ら自覚症状もないのに,IgA抗体が陽性であるからといって直ちに急性期であるとすることはできない。原告のように,卵管留膿腫を形成したクラミジア感染既往者の場合,IgA抗体が陰性化することは極めて少ない。
 慈恵医大柏病院の帯下中の抗原検査でもクラミジア菌は証明されておらず,摘出された卵管組織の病理組織検査や卵管内容物検査でもクラミジアについては触れられていない。
・ なお,帯下の増加,下腹痛などの訴えがあったり,初診時所見での子宮膣部,頸管や膣内の病変が疑われるのであれば,血清抗体検査ではなく抗原検査を行うのが常識であるが,原告にそのような所見がないからこそ,被告医院初診時に抗原検査を行わず,スクリーニング検査としての抗体検査を行ったのである。ウ 被告aの認識と対応の当否
 被告aが原告のクラミジア感染を知ったのは,本件検査後の平成9年11月15日に至ってからであって,同月5日の時点で罹患を明確に認識していた事実はない。
・ 原告は,被告医院を受診した際,医師から一般の病歴以外に産婦人科病歴や妊娠歴を質問されたにもかかわらず,多くの産婦人科に関する重要な病歴を答えなかった。
 すなわち,原告は31歳のころ人工妊娠中絶をし,このことによって,国立医療センターへ救急入院するほどの骨盤内炎症を生じたとも考えられるが,平成4年5月(31歳)ころ卵巣,卵管炎により国立医療センターへ2週間近く入院して検査を受けたこと,同院で卵管留膿腫が判明し,担当医から,妊娠を諦めるよう注意を受け,万一妊娠しても子宮外妊娠の危険がある旨説明されたこと,その原因はクラミジアによるものと指摘され,bとともにクラミジア治療剤を服用したこと,このクラミジア感染症が完治した様子はなく,その後同年から翌平成5年にかけても国立医療センターを外来受診し,慢性化した卵管炎や結合織炎が疑われる状態にあったこと,慶應病院を受診したこととその結果など,重要な事実を被告aに全く告知しなかった。
 被告aが原告の産婦人科病歴や妊娠歴を知らされていれば,本件検査の実施にあたり,その時期を配慮し,十分な説明と事後の対応や処置についてきめ細かな注意を事前に行うなど治療検査方針も異なり,本件には至らなかった可能性がある。・ 被告aは,本件検査を実施する際,原告がクラミジア感染症に罹患していたことを知らなかった。
a 初診時に採血し外部検査機関へ依頼した血清クラミジア抗体検査の結果が,被告医院に到着したのは平成9年11月8日以降であり,検査報告書が原告のカルテに添付され被告aが結果を知ったのは,同月15日午前8時30分ころ,被告医院へ出勤してカルテを見た時点である。
b 同月5日に被告aが検査結果を原告に伝えた事実はない。
c 上記血清クラミジア抗体の検査報告書は,同月19日ころ,原告の母が被告医院へ来院した際,慈恵医大柏病院の医師に見せるようにと交付したものである。d また,被告aが原告に初めてクラミジア感染症について説明したのは,同月17日正午ころ,慈恵医大柏病院から原告が電話をしてきたときである。・ 争点・について
(原告)
 被告aが実施した本件検査により,原告は両卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫に罹患し,両卵管及び左卵巣の一部摘出術を余儀なくされ,その結果,原告の妊娠の可能性がほとんどなくなった。
ア 骨盤内感染症の原因について
・ 本件検査により,クラミジア感染が上行拡大し,原告に骨盤内感染症を惹起させた。本件検査後の慈恵医大柏病院において,クラミジアIgA抗体の数値が急上昇し,白血球も上昇していること,それまで異常のなかった原告の卵管及び卵巣が嚢腫となり,卵管については正常であれば数ミリにすぎないものが親指大にまで腫大していることが,このことを裏付けている。卵管留膿腫の原因がクラミジア菌であることは,慈恵医大柏病院の複数の医師が断定しており,同病院において,その治療のためクラリスの処方と抗生剤の点滴治療を続け,徐々に症状が軽減した。・ 原告が被告医院を受診した時点では,クラミジア抗体陽性の結果が出ただけで,クラミジア感染症に罹患していたにすぎず,ほかに婦人科的にみるべき疾患はなかった。
 本件検査時のレントゲン写真では,右卵管の腫大はなく,両卵管の留水腫,卵管の通過性障害も認められない。このことは,被告aが,本件検査後,その写真を原告に見せながら,「造影剤の子宮内での拡散はあまりないけれども,卵管はしっかりしており問題はありません。」と説明したことからも明らかである。・ 被告らが主張するような,本件検査の施行より5年も前の,しかも確定診断でもなく,そのため積極的な治療措置すらなされていない既往歴を今回の疾患の原因とすること自体論理の飛躍である。
a 原告は,平成4年4月国立医療センターに入院し,その間に婦人科的な検査をしたが,内診では婦人科的な炎症所見はみられないとのことで退院となり,退院後の下腹部痛の発症についても経過観察の措置しかとっていない。そもそも,同病院において卵管留膿腫との確定診断がされたわけではなく,疑いにとどまるものである。むしろ原告は,同病院の担当医から,卵管及び子宮には異常はないと説明された。そして,同病院では卵管留膿腫を前提とした積極的な治療はしておらず,投薬のみで終わっている。なお,当時のカルテには2週間後クラミジア再検との記載はあるが,原告は具体的には再検を指示されておらず,現に国立医療センターではクラミジア再検はしなかった。
b 慶應病院のカルテにも,本件疾患との関連性を裏付けるものは何一つ出ていない。平成5年10月21日の菌培養検査の結果では,クラミジアは陰性であり,この段階ではクラミジアは治癒していることは客観的に明らかである。c 原告は国立医療センターを受診後,さしたる病歴もなく,平穏な生活を続けていたものであるが,その後,被告医院初診時の検査でIgA抗体陽性となったのであり,治癒後に新たに罹患したものである。本件検査の際,原告に,クラミジア感染症のほかに婦人科的疾患がなかったことは,本件検査前の平成8年4月及び平成9年7月に受けた人間ドックでの健康診断において,婦人科の内診及び細胞診とも異常所見は全く認められておらず,わずかに乳腺症が指摘されたにとどまったことからしても明らかである。
・ 本件検査後の対応について
a 原告は,本件検査後の同月14日夜にわざわざ被告医院に電話をかけてその原因と対策を聞こうとしたが,被告医師と連絡がとれず,何らの対策も得られなかったため,やむなく慈恵医大柏病院の診察を受けたのであって,治療を放棄したものではない。
 むしろ,本件検査後の発症後ほとんど時をおかずに,最新の設備を有する大学病院の専門医による最善の治療を受けたものである。それでも,卵管,卵巣の摘出手術を余儀なくされたのであり,その後の治療行為について原告に落ち度は全くない。
b 原告は,本件検査翌日の平成9年11月14日昼ころ,被告医院に問い合わせの電話をかけたことはなく,被告aから電話で本件検査後の腹痛,発熱につき聴取された事実もない。
c 同月14日夜,原告は被告医院に留守番電話を入れたが,これに対して被告aからの留守番電話はなく,翌日の来院指示もなかった。同日夜,原告は慈恵医大柏病院を救急外来で受診し,その日はいったん帰宅したが,翌15日も被告aからは何の連絡もなく,症状がますます悪化したことから,同日,慈恵医大柏病院に緊急入院したのである。
イ 摘出手術について
 本件検査により,原告は両側卵管の全摘出,左卵巣の一部摘出を余儀なくされた。一時期は卵巣,子宮の摘出まで検討されていたほどの重症であり,卵管は致命的なダメージを受け,受精卵を運ぶ機能は失っており,切除手術以外に適切な対処はなかったものである。
 慈恵医大柏病院では,CT検査や経膣エコー検査でも,まだクラミジア菌により卵管がはれていたことから,最終的な主治医の判断として,やむなく両側卵管の摘出手術に踏み切ったものであり,手術以外に適切な対応はできなかったものであって,退院できるような容態ではなかった。
ウ 妊娠可能性について
 両卵管及び左卵巣の一部摘出手術の結果,原告は自然な形での受胎ができず,体外受精しかあり得なくなった。しかも,本件検査によりクラミジア感染症が子宮内両卵管及び卵巣にまで及び,原告の卵巣及び子宮も深刻なダメージを受けた。加えて,原告の年齢を考慮すると,妊娠の可能性は極めて低くなったものといわざるを得ない上に,仮に体外受精により受胎したとしても,本件医療事故の後遺症により,子供にどのような悪影響が生ずるかについては予測もつかない状況に置かれている。
(被告ら)
 本件検査と,原告の両卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫,両卵管切除術及び左卵巣嚢腫摘出術,妊娠不能とは関係がない。
ア 本件検査と両卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫との関連
 原告が本件検査後に両卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫との診断を受けたとしても,そのことと本件検査との間に因果関係はない。
・ 本件検査によって骨盤内感染症になったのではなく,既に慢性化した骨盤内感染症があったことは疑う余地がない。
 すなわち,既に,平成9年11月13日の本件検査の際,テレビレントゲンによる透視下にて両側卵管が卵管留水腫様状態にあり,両側卵管の通過性は確認できなかった。
・ 原告には,慢性卵管炎,卵管留膿腫,骨盤内感染症といった骨盤腹膜炎様の症状が,29歳,31歳時のほか,32歳,34歳時にもあった。
a 原告が初めて卵巣,卵管が腫大し,骨盤内感染症になったのは,国立医療センターの産婦人科を初めて受診した平成2年6月(29歳)以前である。
 卵巣,卵管については既に平成2年6月20日(29歳)の時点で異常に腫大化し,血性腹水を伴うほどの骨盤内感染症があった。
b クラミジア感染が確認されたのは,平成4年4月(31歳)である。
 この時期には,超音波検査で右卵巣嚢腫と腫大したソーセージ状の卵管,卵管留膿(水)腫を指摘され,クラミジア抗原,抗体検査,腫瘍マーカー検査をしたところ,クラミジア抗体が認められ(IgA抗体だけでなく,慢性期を示すIgG抗体も証明されていた。),夫婦ともにそれぞれ1クール(2週間分)だけ投薬治療を受けたが,再検査を指示されながらその後受診しておらず,抗体の陰性化やクラミジア感染が治癒したことは確認されていない。したがって,この時期には既に,本件検査後に慈恵医大柏病院のカルテに記載された卵管留膿腫がほぼできあがっていたと考える十分な根拠がある。中途半端な治療ゆえ,その後症状が進行したことが推察できる。これら一連の病歴は,不妊症や卵管切除に至った卵管留膿腫や骨盤内感染症の始まりで
あったと理解できる。
c その起炎菌として,クラミジア菌のほか,国立医療センターや慶應病院で何度も指摘されているカンジダ菌なども無視できない。無症状に過ぎていた慢性卵管炎,卵管留膿腫であるクラミジア菌を含む混合感染こそが,原告の不妊症の原因であったことは疑いのない事実であり,このことが本件検査により初めて診断されたのである。
d なお,原告は,通常の婦人科的診察や人間ドック,健康診断,検診時のレントゲン単純写真で異常がなかったから,慢性卵管炎や卵管留水(膿)腫など全くなかったと主張しているが,これらの診察や検診では,不妊症の原因となる卵管留膿腫,同留水腫,クラミジア性卵管炎などは診断できない。通常の婦人科検診で診断されるのは子宮頸ガンや子宮筋腫,卵巣腫瘤などであって,クラミジア症や卵管留水腫などの判断は,超音波検査を慎重に行うなどしなければ診断が難しい。・ クラミジア菌が膣周辺にいたとする根拠はない。被告医院での膣部細胞診,慈恵医大柏病院で治療に先立って行われた膣分泌物クラミジア抗原検査において,クラミジアの膣内感染を疑わせる結果は見られない。初めてクラミジア感染を指摘された国立医療センターでも血清抗体は陽性であったが,抗原検査(クラミジアイパザイム)では陰性であった。したがって,原告主張のように膣,子宮口付近の菌が本件検査により上行性感染し,卵管留膿腫を形成したとする証拠はない。
 また,国立医療センターや慈恵医大柏病院において,入院直後から数日間は,クラミジア菌に対する第一選択肢ではないセフェム系抗生物質の点滴により急性症状は改善している。このことは,卵管留膿腫が,クラミジア単独の菌ではなく,混合感染によるものであることを裏付けている。
・ 本件後の慈恵医大柏病院での手術において摘出された左卵巣嚢胞は,黄体嚢胞(ルテイン嚢胞腫)であって,クラミジア症とは関係のない生理的なものであった。嚢胞の中には通常,淡黄色透明の貯留液があるもので,ついでに嚢胞だけを摘出したものと考えられる。その摘出が妊娠に対する能力に関与するものではない。卵巣の実質は残されており,排卵機能には直接影響がないものである。
 原告が主張するように,本件検査時,子宮入口周辺部に急性期感染状態があって,かつ,本件検査により卵管留膿腫又は同留水腫が形成されたとするには,時間的にも病理学的にも無理がある。前述のとおり,原告は急性期クラミジア症ではなく,かつ,慈恵医大柏病院で摘出した卵管の病理組織検査結果でも卵管病変は慢性炎症の診断である。本件検査後,卵管摘出手術までの1か月余で慢性化した卵管病変が完成されることは,常識的には考えられない。
・ 本件検査後,被告aは,安静ベッドで30分間程度原告を経過観察し,腹痛の有無などを聞いたが,原告は特に何も訴えることなく,帰宅した。翌14日昼ころ,原告から次の検査予定につき電話で問い合わせがあった際,腹痛や発熱などにつき聴取したが,特に訴えはなかった。
 通常,急性化し,腹痛や熱感を自覚するのは,検査中や検査直後である。このような場合は,発症時にすぐに適切な抗生剤の点滴などの治療をすることにより緩解しており,24時間以上経過して発症するという例は初めてである。原告の帰宅後から翌日までの何らかの生活行動が発症に関与しているのではないかとも推測される。
・ 被告aは,本件検査後,必要な措置をとるべく最大限の努力をしていたにもかかわらず,原告は何ら連絡をせず,治療を一方的に中断してしまったため,被告aは早急に取るべき治療を実施できなかった。原告が被告aの指示に従っていれば,被告医院において,初診時の状態にまで改善し得たはずであり,まして,卵管切除の必要もなかった。患者に治療することを拒否された医師はそれ以上対応ができないのであって,その結果生じたことにまで被告らが責任を負う理由はない。a 本件検査の翌日である同月14日午後8時半過ぎ,原告が腹痛を訴え,被告医院の留守番電話に「検査後のよくある痛みかどうか聞きたい,これ以上痛くなったらどうしたらよいか。」との伝言があった。被告aはこれを確認した午後11時過ぎ,直ちに原告宅へ電話したが不在であったため,留守番電話に「どこで受診したか,状態はどうか知らせてほしい。」,「翌日来院するよう。」指示したが,翌15日になっても連絡がなかった。
 b 同月15日午前8時半ころ,被告aは血清クラミジア抗体検査の結果を見て, 原告にクラミジア症の罹患歴があることを知り,一刻も早く治療のための抗生剤の 選択の必要性と被告医院での検査治療経過等を受診先の病院に連絡しなければと思 い,直ちに原告宅へ電話をしたが不在であった。 c 被告aが原告からの連絡を待っていたところ,同月17日正午ころ,原告が慈 恵医大柏病院から被告医院へ電話をかけてきたことから,被告aは原告が慈恵医大 柏病院に入院していることを初めて知った。そこで,原告に対し,主治医にクラミ ジア感染症の可能性があることを告げるように伝えた。さらに,被告aは同病院に 電話して,クラミジアの治療を最優先で行うよう伝えた。 d 原告が,同月14日夜,慈恵医大柏病院の救急外来で一時的処置を受け,痛み が改善し帰宅しながら,翌日,被告医院を受診しなかったのは,原告の一方的な治 療放棄としかいいようがない。一般に,夜間急変した患者が急病診療所を訪れるよ うな場合,急病診療所では,すぐに入院を必要とするような生命の危険のある重篤 な患者を除いて,一時的な処置をして,翌日は主治医のもとへ受診するよう指導し ている。イ 両卵管切除術及び左卵巣嚢腫摘出術の必然性 慈恵医大柏病院入院後5日目の同月19日夜には,クラミジア感染症に対する 本格的な治療がなされる前であるが,腹痛がなくなっており,同月24日には外出 し帰宅しており,症状が安定するまでにさほどの時間がかかっていない。入院が長 引いたのは手術を実施したためであって,手術しなければ退院して日常生活を過ご せるまでの状態に至っていた。慈恵医大柏病院での入院経過は,平成4年4月の国 立医療センター入院時と同様の経過をたどっているが,国立医療センターでの治療 は症状緩解に主眼をおいたもので,不妊症治療とは異なり,手術の必要性について 適応なしと判断されたものである。 慈恵医大柏病院では,本件検査後の慢性卵管炎の急性化による骨盤内感染症 が,今後の不妊症治療や妊娠状態においていつ急性化するかわからず,危険な爆弾 を抱えることになるため手術勧告を行ったものである。不妊症にこだわらなけれ ば,卵管留膿腫が無症状であり,日常生活に支障がない限り,卵管切除術の適応は ないというのが多くの産婦人科医の立場である。卵管切除術の施行は慈恵医大柏病 院の判断であり,原告の病歴からして決して間違ったものではないと思われるが, 被告aが行った本件検査とは直接関係ないものである。 ウ 本件検査と妊娠可能性との関連 原告は,慈恵医大柏病院での卵管切除手術に関わりなく,既に被告医院受診前 に,自然妊娠ができない状態であった。 ・ 平成4年に国立医療センターで入院治療を受けた際,血清クラミジア抗体価が 高い状態にあり,超音波検査でソーセージ状になった卵管,右卵巣嚢腫などが指摘 されており,既に原告は妊娠を諦めるよう告げられていた事実からすると,被告医 院受診前から自然妊娠が難しく,体外受精しか方法がなかった可能性が大きい。ま た,卵管閉塞だけでなく,クラミジアによる男性側の精子減少を伴うことも多いこ とから,体外受精でも容易に妊娠し難い。 ・ 本件検査当時37歳という原告の年齢は,不妊治療での妊娠確率がある程度低 下し,ダウン症など染色体異常児の危険性の高まる年齢期でもある。 ・ 他院での手術結果が体外受精児に悪影響が出るとする根拠はない。 ・ 原告が主張する損害 ア 慰謝料 1500万0000円 イ 治療費等 ・ 本件事故後の入院治療,手術等の医療費 17万1020円 ・ 人工授精に要する費用 200万0000円 ウ 弁護士費用 170万0000円 エ 合計 1887万1020円第3 当裁判所の判断
 1 争いのない事実,証拠(被告a本人,原告本人及び括弧内記載の証拠)及び弁 論の全趣旨によれば,本件の診療経過に関して,以下の事実が認められる。 ・ 原告は,20ないし21歳のころ,妊娠6か月で人工妊娠中絶をしたが,その 後の経過が悪く,10日間程度入院した。 平成2年6月20日,原告(当時29歳)は,月経が2週間くらい続き,筋腫 があるか心配であるとして,国立医療センターの産婦人科を外来で受診した。診察の結果,特記所見はなく,子宮機能性出血と診断された。同日採血した血液検査の結果,白血球数値がやや高く(2プラス),真菌の検査では陽性であった。 翌21日昼ころから,原告はガスがたまったような感じがしてきたと訴え,その後腹痛のため救急車で搬送されて,同日午後9時20分ころ,同病院を救急外来で受診し,担当医に対し,同年4月に一度食あたりしていると述べた。各種検査の結果,血液中の白血球数値がやや高く,薬剤の処方を受けた。
 同月27日,同病院の産婦人科で経膣超音波検査を受けたところ,ダグラス窩に腹水が見られ,穿刺にて血性腹水を少量吸引した。また,右附属器(卵管,卵巣)に嚢胞性腫瘤を認めた。しかし,妊娠反応はマイナスで,子宮外妊娠は否定された。担当医は,経過観察として1週間後の受診を指示し,カンジダ治療も示唆した。
 その後,原告は同年7月に1度,同病院を受診したが,その後は受診しなかった。
 (乙2,3,5,11)
・ 平成4年3月ころ,原告(当時31歳)は,腹痛,吐き気,下痢,全身の痛み等を訴え,救急で近医を受診し,1泊入院した。
 同年4月17日の日中から,原告は腹満感と腹痛を訴え,腹痛が更に強くなったため,同日午後10時55分,国立医療センターの急患室を受診した。体温は38.7度で,血液検査の結果,白血球数がやや高い値を示した。腹部レントゲン写真では,右腹部に小腸ガスが見られ,下腹部に圧痛(マックバーネー点),反発痛,防御痛を認めたが,小腸雑音は正常,活発であり,急性虫垂炎の疑いで同院外科へ緊急入院した。
 しかし,その後,体温や白血球の値は低下・減少傾向となり,診療及び各種検査の結果,虫垂炎は否定的と診断された。しかし,以前原告は卵巣嚢腫やカンジダを指摘され婦人科で経過観察とされたことから,婦人科の受診を指示され,同月21日,同病院産婦人科を受診した。その結果,内診では婦人科的炎症所見はみられなかったが,超音波検査では,ダグラス窩に嚢腫状腫瘤,右附属器に嚢胞性腫瘤を認め,卵管留膿腫も考えられる状態であった。また,クラミジア抗原検査(クラミジアザイム)では陰性であったが,血清クラミジア抗体検査ではIgA抗体,IgG抗体とも陽性(2プラス)であり,カンジダも陽性であった。このため,クラリス(抗菌薬)を夫の分も含め処方された。
 同月22日,原告は退院したが,その後,同年5月に2度,同病院の婦人科を外来受診し,2週間後にクラミジアの再検査を指示されたが,その後,原告は婦人科を受診しなかった。ただし,同年6月上旬ころまで同病院の外科を外来で受診し,その際,以前から便秘と下痢を繰り返しており,その時に発熱があったなどと述べていた。
 (乙3,弁論の全趣旨)
・ 平成5年4月10日朝から,原告(当時32歳)は腹が張る感じや腹痛を訴え,同日夜ころから嘔吐,下痢が続き,翌11日午後7時50分ころ,国立医療センターの急患室を受診した。しかし,受診時は腹痛,下痢も軽快しており,レントゲン写真でも小腸ガスは見られず,急性腸炎の疑いとして薬の処方を受け,症状軽快しないときは平日の外来を受診するよう指示されたが,その後,原告は同病院を受診しなかった。(乙3)
・ 平成5年10月7日,原告(当時33歳)は,望児について相談したいとして慶應病院を受診し,平成6年5月30日まで数回通院した。このとき,原告は外性器のかゆみと白色帯下を訴えたが,内診で外陰に格別所見は見られなかった。クラミジア・トラコマティスと結核菌の培養検査では陰性であったが,膣分泌物のカンジダアルビカンス培養検査は陽性であり,溶血性レンサ球菌,乳酸桿菌(ラクトバシラス)も陽性反応が出た。そして,基礎体温をとり経過観察しながら,ルーチンの不妊検査をするよう言われたが,原告は,家庭の事情から通院を断念した。
 (甲11,乙11)
・ 原告は,平成8年4月26日,いわゆる人間ドックの検査を受け,乳房触診で乳腺症の疑いを指摘されたが,婦人科内診,婦人科細胞診では異常所見はなかった。また,平成9年7月3日に受けた人間ドックでも同様であった。(甲33,34)
・ 平成9年10月24日,原告は被告医院を初めて受診した。同日診療に当たったのはc医師であった。原告は問診票に,主な受診理由について,不妊,下腹痛,おりもの,かゆみ,不正出血の項目に丸をつけ,「卵そうがはれたり卵管がはれたことがあります」などと記入し,c医師がこれに「新宿医療センター」と付記した。また,妊娠歴については,原告は結婚30歳と記入し,c医師がこれに「避妊期間(-)」と付記し,さらに原告の妊娠1回,人工流産1回,初回時20歳,「分娩の形で,出血多量で10日位入院」との記入には,c医師が「6ケ月」と付記した。病歴については,原告は産婦人科的病気につき「有」に丸をつけ,「現在乳腺症」「子宮コウクツ(後屈)といわれたことがあります」と記入した。
 初診時の原告の主な訴えは子供を産みたいというものであり,クラミジア感染症の既往については格別話をしなかった。内診時所見としては,子宮の移動痛と右附属器周辺の卵管の軽度の圧痛がみられ,子宮体部は前傾後屈,右卵管は鶏卵大に硬く腫大していたが,子宮仙骨靱帯のリンパ節,結節は不明瞭(腫大などはない状態)であった。また,c医師は,血液一般検査,梅毒検査,IgA抗体検査,頸管細胞診などの検査を行った。
 このうち,IgA抗体検査は,同月27日,依頼先の検査機関である住友金属バイオサイエンス株式会社(以下「住友金属」という。)が受領し,同月30日に1回目の測定が行われ,再検査となり同年11月6日に2度目の測定が行われた結果,1.76と陽性であり,翌7日に検査報告書が住友金属から被告医院あてに郵送で発送された。
 (甲11,24,乙1,2,18)
・ 同年10月28日,原告は被告医院を受診し,被告aにより,内分泌検査,血清ホルモン検査を受けた。被告aは,原告が格別クラミジア感染症について訴えず,また,腹痛,腰痛などの特異的な症状も見られなかったため,原告にクラミジアの感染ないしその既往があることについては考えも及ばなかった。
 なお,内分泌検査の結果については,その後,被告aが原告の基礎体温表に記入した。
 同年11月5日,原告は前日から月経が始まったため,被告aの指示に従い被告医院を受診した。被告aは,月経10日目である同月13日ころに内分泌検査を行う予定とし,さらに,卵管通過性検査は不妊症にとって第一義的な大切な検査と考え,本件検査を同日行う旨の予約をし,原告の基礎体温表の同日欄に「内分泌」,「HSG(子宮卵管造影検査)」と記入した。
 (甲11,24,30,乙2)
・ 同月13日午前,原告は被告aにより本件検査を受けた。本件検査に先立ち,看護婦により造影剤の皮内反応テストがなされ,器具を装着し,検査を開始した。造影剤には非イオン性の水溶性のものを使用し,まず2シーシーを注入した時点でレントゲン撮影を行い,右側卵管の腫大した像が認められた。次に,3シーシーの造影剤を注入した時点でレントゲン撮影を行い,漏斗状に膨らんだ左側卵管が確認された。さらに,5シーシー注入した時点で撮影したところ,左右ともに留状の卵管がより鮮明に確認された。造影剤の注入はこの時点で停止し,器具(管)を外した直後にさらに撮影したところ,造影剤が腹腔内に拡散せず,留状になった左右卵管に残留していることが確認された。以上から,被告aは,両側卵管留膿腫あるいは同留水腫と診断し
,両側卵管の通過性ははっきりしなかったとして,カルテに両側卵管留水腫,両側通過(±),拡散なしなどと記載した。
 検査終了後,被告aは原告の腹痛や発熱など異状の有無を約20分観察し,異状がなかったことから,検査結果や次回の来院予定などについて原告に説明した。原告は処方されたノルバクシン(抗菌薬),リンゲリーズ(解熱鎮痛消炎薬),テレベス(胃薬)の各5日分を持参して帰宅した。
 原告は,帰宅後まもなくしてから断続的に下腹部の痛みを感じたが,検査による痛みと思い,我慢した。
 (甲11,23,24,乙2,16の1及び2,18)
・ 翌14日も原告の腹痛は治まらず,同日午後8時30分ころ,原告は被告医院に電話をした。しかし,被告aは留守にしていたため,原告は留守番電話に,下腹部がつったように痛く,寒気もするので,そのような状態になる人もいるのかどうかという問い合わせの伝言と原告の自宅の電話番号を録音した。その後,原告はタクシーで慈恵医大柏病院に行き,同病院の救急外来を受診した。
 その際,体温は38.8度であり,血液検査の結果,白血球の数値が高く,所見上,下腹部の痛み,反圧同痛,圧痛があり,超音波検査でダグラス窩に空隙が認められ,担当医は腹水か出血かを疑った。子宮内には明らかな血腫は認められなかった。担当医は,本件検査の造影剤による骨盤内感染症,クラミジアによる骨盤内感染症,排卵出血の3つを疑い,原告に対し入院の必要性を話し,これを強く薦めたが,原告は帰りたいといって入院を拒否し,ボルタレン座薬を投与され1時間経過観察の上,痛みが和らいだことから,セルベックス(胃薬),ロキソニン(解熱鎮痛消炎薬),クラリス(抗菌薬)などを処方され,帰宅した。
 被告aは,帰宅後の同日午後11時ころ,留守番電話に録音された原告の前記伝言を聞き,折り返し原告の自宅へ電話をかけたが,留守であったため,連絡するようにとの伝言を留守番電話に録音した。
 (甲11,24,乙2,5,18,19)
・ 同月15日朝,原告は激しい腹痛で我慢ができなくなったため,午前11時ころ,慈恵医大柏病院を外来受診した。内診上,子宮及びダグラス窩の圧痛が強く,超音波検査では,ダグラス窩に貯留液が認められ,腹水は少量認められた。担当医は,卵管留膿腫の疑いがあると診断し,原告に対し,激しい骨盤内感染症と話し,状況的に増悪するなら手術なども考えなくてはいけないとまで話して入院を説得し,原告も入院を了承した。同日,血液一般検査,生化学検査,細胞診,血清クラミジア抗体検査,クラミジア・トラコマティス抗原検査(DNA法),免疫血清検査などが実施された。このうち,クラミジア抗原検査の結果は陰性であったが,血清クラミジア抗体検査の結果,IgG抗体は4.51,IgA抗体は3.00といずれも陽性であった。
炎症反応を示す白血球数は23900パーマイクロリットル(基準値は概ね4500ないし8500パーマイクロリットル),同じくCRP(C反応性タンパク)は12.8ミリグラムパーデシリットル(基準値は概ね0.0ないし0.3ミリグラムパーデシリットル)と高い値を示した。
 他方,被告aは,遅くとも同日朝までに,被告医院で初診時に実施したIgA抗体検査の結果が陽性であったことを知り,午前中,原告の自宅に電話をしたが,留守であったため,留守番電話にIgA抗体検査の結果や連絡を欲しい旨の伝言を録音した。
 (甲6,11,24,乙4,5,18)
・ 原告は,慈恵医大柏病院で座薬と抗菌薬の投与を受け,翌16日ころには体温も下がり,痛みも概ね軽減していた。
 同日昼近く,原告から被告医院に電話があったため,被告aは,なぜ連絡が遅れたのかと詰問的に話すなどしたが,原告が慈恵医大柏病院に入院したことを知り,改めてクラミジア感染症について原告に説明した。また,被告aは,その電話の直後に同病院へ電話をして,IgA抗体検査が陽性であったことなどを主治医に伝言依頼した。
 同月17日,慈恵医大柏病院のd医師が原告を診察した際,原告は腹痛と反動痛を訴えた。同医師は,原告に対し,現在クラミジアにより炎症を起こしており,そのため卵管がつまってきていると説明し,この状態では卵管にたまっているものを手術する必要があるかもしれないなどと話した。同日の血液検査では,白血球数が13100パーマイクロリットルと未だ高値で,CRPは16.5ミリグラムパーデシリットルと入院時よりも上昇していた。原告は,不妊治療を受けたのにこんなことになるなんてと泣き続けていた。
 翌18日に行われた超音波検査では,入院時と同じような画像所見が見られた。
 (甲24,乙4,18)
・ 同月19日,慈恵医大柏病院のe医師は,原告及び原告の母fに対し,症状等の説明をした。同医師は,原告の状態について,骨盤内感染症であり,卵管留膿腫の疑いがあること,抗菌薬によって自覚症状は軽快傾向にあるが,入院時の超音波検査と前日のそれとで所見は変わっていないこと,翌日のCT(コンピュータ断層撮影)検査の所見によっては手術なども考えられること,痛みがとれれば退院という意見と手術をした方がいいという意見があること,手術をせず自然に妊娠するとしても,熱発を繰り返したりすることがありそれは好ましくないこと,現在の医学では,両側卵管を摘出しても,体外受精という方法で妊娠が可能であること,ただし年齢のこともあり,卵管のはれ具合にもよることなどを話した。原告は,他の医師に手術で子宮もと
ると言われたような気がするとか,卵巣の一部をとったら排卵はなくなるなどと訴えたが,医師に否定され,納得した様子を見せた。
 このころ,原告は,体温が上がりそうだとか,おなかに違和感があるなどと述べて何度も座薬を欲しがったが,その都度測定した体温は平熱であった。
 (乙4)
・ 同月19日ないし20日ころ,fは,被告医院における診療に疑問を持った原告に依頼されて被告医院を訪れ,被告aと面談し,原告の病状経過についての説明を求め,また,被告医院で行った各種検査の結果報告書を受け取った。
 さらに,bも被告医院の診療に疑問を持ち,同月21日,被告医院を訪れて被告aと面談し,医療記録を貸してほしいと述べ,クラミジアの検査で陽性であったのに本件検査をしたことについて説明を求めるなどしたが,被告aは,本件検査後にクラミジア抗体検査の結果を知った旨説明した。
 これらのやりとりの中で,被告aは,原告の家族から,原告がかつて国立医療センターで卵巣,卵管治療を受けたことや子供を諦めるように言われたことなどを聞いた。
 (甲11,12,23,25の1ないし3,26,27の1及び2,37,38,乙2,18)
・ 一方,慈恵医大柏病院では,同月20日,原告の腹部CT検査が行われた。その後,g医師が原告及びbに対し,CT検査の結果,卵管留膿腫であり,そのため発熱や痛みが出たと考えられること,クラミジアは2週間治療が必要なため,あと1週間治療する予定であること,混合感染が疑われることなどを説明した。原告が,「前の病院(被告医院)で,クラミジアと分かっていたのに造影剤を入れたからこのようになったと言っていたのですが。」などと医師に質問すると,医師は,大腸菌その他もろもろの菌で増強したかもしれないし,造影剤の可能性も考えられるなどと答えた。
 同日ころになると,原告は腹痛もなく,活気があり,外の空気を吸いたいと述べたり,病棟外まで出歩くなどし,表情も良くなってきた。血液検査の結果では,白血球数やCRPなど炎症反応を示す値は概ね低下傾向であった。翌21日からは,投与される抗菌薬がクラリスからミノマイシンへ変更された。同月24日は昼間外出許可を受け,外出した。もっとも,原告は不妊に関して精神的に不安定な様子を見せ,同月25日から同病院の精神神経科を数回受診したが,経過観察とされた。
 同月27日,超音波検査を受けたところ,画像的所見は変わらず,翌28日,g医師が原告及びbに対し,超音波検査の結果,卵管がはれており,いろいろな菌で増殖することがあるので切除した方がよいこと,仮に両側卵管を切除した場合,自然妊娠は不可能になるが,体外受精の方法があること,手術後10日前後で退院でき,1ないし2か月経過すれば体外受精が可能であることなどを説明し,原告らは,手術に同意し,両側卵管切除術の手術承諾書に署名押印した。手術は同年12月1日施行の予定とされたが,原告は手術前の外泊を希望したことから,同医師がこれを許可し,同年11月28日から同月30日まで外泊(同月29日に一時帰院)し,その間,格別異常はなかった。なお,同月28日の血清クラミジア抗体検査の結果,IgG抗体
は4.81,IgA抗体は3.27であった。
 (乙4,6)
・ 同年12月1日,原告は,慈恵医大柏病院において両卵管切除術及び左卵巣嚢腫摘出術を受けた。子宮は正常大であったが,両側卵管はソーセージ様にはれた状態であり,右側卵管切除の後,左側卵管の後腹膜との癒着を剥離し,同様に左側卵管切除をした。左卵巣には直径3センチメートルほど(鶏卵大)の嚢腫があり,これを摘出した。手術診断は,両側卵管留膿腫,左卵巣嚢腫であり,病理組織診断は卵管留膿腫合併卵管炎で,摘出された左卵巣嚢腫は黄体嚢胞であった。
 術後,手術を担当した医師は,b及びfに対し,両卵管がソーセージ様にはれていたこと,これらを残すことも可能ではあるが,残すことで,妊娠した場合に子宮外妊娠することが多く再度手術ということになるので,両卵管を切除したこと,両卵巣と子宮は残っており,今後妊娠を望む場合には体外受精なら可能であること,はれの原因としては,クラミジア感染が多いことなどを説明した。bらが医師に対し,クラミジアと本件検査との関連について質問したところ,医師は,クラミジアのDNA検査でも陰性であったこともあり,明確な関連は指摘しなかった。 (乙4)
・ その後,原告は創痛を訴えるなどしたが,術後経過は良好であり,再度,同病院の医師から,手術をした目的や妊娠の方法としては体外受精のみであることについて前同様の説明を受け,bとともに納得した様子をみせていた。
 同年12月12日,原告は慈恵医大柏病院を退院し,以後数回,同病院の産婦人科を外来受診したが,その後は体外受精のため東大病院に通院し,平成10年5 月,平成11年1月,同年6月の3回にわたり体外受精を試みたが,妊娠には至ら なかった。
 (甲42,43の1ないし4,44,乙4)
 2 争いのない事実及び括弧内記載の証拠によれば,クラミジア感染症,子宮卵管 造影検査等の知見に関して,以下の事実が認められる。 ・ クラミジア・トラコマティス感染症について(甲15ないし17,40,4 1,乙7ないし10,被告a本人)ア クラミジア・トラコマティス(Chlamydia trachomatis)は,性感染 症(Sexually Transmitted Diseases;STD)の主要な起炎菌であり,性交により 子宮頸管に感染して子宮頸管炎を発症し,さらに上行して子宮内膜炎,卵管炎,子 宮附属器炎,骨盤腹膜炎,さらには肝周囲炎まで発症することもある。子宮頸管の クラミジア・トラコマティスは性交により男性に感染し,非淋菌性尿道炎の原因と なる。また,産道感染により新生児の眼や肺に感染し,結膜炎や肺炎の原因とな る。 イ 女性の場合,クラミジア感染症は,一般に臨床症状に乏しく,子宮頸管炎では 帯下感が唯一の症状であるが,この症状もないものが多い。卵管炎や骨盤腹膜炎で あっても症状は少ないが,下腹痛や内診痛を訴えることもあり,菌量が多い場合や 淋疾など混合感染では一般に症状が強い。この場合は,クラミジア・トラコマティ スが卵管周辺,卵巣,ダグラス窩などで増殖し,臓器の浮腫を形成し癒着もできる ことになり,不妊症の原因となる。クラミジア・トラコマティスが上腹部まで拡が り,肝臓表面で増殖を始めると,肝周囲炎として強い上腹部痛や熱発を発症し,多 くは極めて劇症の急性腹症となり,救急車で救急外来へ搬送されることが少なくな い。 ウ クラミジア感染症の確定診断は,感染局所からクラミジア・トラコマティスを 検出することにより下される。局所から直接検出する方法には,細胞培養法(生き たクラミジア・トラコマティスを検出する。),直接蛍光抗体法(蛍光標識された モノクローナル抗体を用い,クラミジア・トラコマティス粒子を観察する。),酵 素免疫法(膜蛋白などクラミジア抗原に対する抗体を利用した方法),核酸検出法 (DNA,RNAを検出する。)などがある。このうち,細胞培養法は,クラミジ ア・トラコマティスを検出する最も確実な方法であるが,細胞培養の設備と技術を 必要とし,時間もかかるので,一般臨床におけるルーチン検査には適さないとされ ている。酵素免疫法は,他のクラミジア属の菌と交差反応し,また大菌量の他菌種 とも交差反応するこ とがあるといわれている。核酸検出法は極めて高感度であるが,検体の採取部位が 子宮頸管又は子宮膣部という極めて限られており,また,血液,粘液などにより増 幅過程が阻害され,偽陰性を示すことがあり,注意を要するとされている。 一方,血清中の抗クラミジアIgM抗体,IgA抗体,IgG抗体を検出する 血清学的診断法も臨床応用されており,感染局所から抗原検出することが難しい骨 盤内感染症などの症例や頸管材料での検査が不能の場合に有効とされている。この うち,IgA抗体は,比較的感染後早期に上昇し,一般には,活動性病変を示しそ の抗体価の消長が治療効果を反映しているといわれるが,感染が消失しても年余に わたり陰性化しないことも多くある。他方,核酸検出法や抗原検出法で陰性であっ ても,IgA抗体及びIgG抗体は陽性ということも存在する。また,他のクラミ ジア属の菌との交差反応も存在するとされており,抗体検査は確定診断にならず, 治癒判定にも適さないといわれている。 エ クラミジア感染症の治療は基本的に抗菌療法である。テトラサイクリン系薬の 「ミノマイシン(商品名)」,ニューキノロン系薬の「クラビット(同)」,「ト スキサシン(同)」,マクロライド系薬の「クラリシッド(同)」,「クラリス (同)」などを2週間投与する。ただし,治療終了後7ないし14日目に再発の有 無を検索した方がよいとの見解や,さらに長期投与が必要との見解もある。なお, セックス・パートナーにも同一の治療を行うことが重要とされている。 ・ 骨盤内感染症等について(甲18,41,乙7,21) 子宮内感染症,附属器炎(卵管炎,卵巣炎),骨盤腹膜炎などは総称して骨盤 内感染症(pelvic inflammatory diseases;PID)と呼ばれることがある。骨盤 内感染症の感染経路はほとんどが膣からの上行性感染であり,子宮内膜炎,子宮附 属器炎,骨盤腹膜炎から,ときに肝周囲炎へと進行する。そして,卵管内癒着,卵 管閉塞,卵管留症,子宮附属器腫瘤を形成するなどして,不妊症の原因となりうる。最近は,複数菌の感染が増加しており,また,附属器炎ではクラミジア・トラ コマティスによるものが少なくない。 なお,卵管留膿腫と卵管留水腫の診断は必ずしも容易ではない。卵管留膿腫の 膿性内容物は次第に漿液性又は漿液血性の液体に変わり,その結果,卵管留膿腫は 卵管留水腫に変わるとされている。子宮外妊娠との鑑別では妊娠反応が有用であ り,また,患者の協力が得られれば,急性骨盤内感染症の既往の有無を知ること で,理学的検査の所見と合わせて正確な判断ができるが,人工妊娠中絶後の場合な ど,患者から既往を聞き出すことが困難な場合もある。 ・ 卵管通過性検査について(甲13,14,乙20,被告a本人,鑑定) 子宮卵管造影検査(hysterosalpingography;HSG)は,子宮腔内に造影剤を 注入し,子宮内腔,卵管を造影して卵管の疎通性,子宮内腔の状態を調べるもので ある。卵管水腫,卵管采周囲癒着,卵管周囲癒着などを容易に診断でき,さらに, 子宮内腔や頸管の状態も分かり,診断的価値は高く,女性不妊の器質的因子のスク リーニングとして重要な検査法であるとされている。造影剤には水溶性と油性があ り,一長一短であるが,近年,非イオン性造影剤が開発され,腹膜刺激が少なく, 水溶性で拡散も早いとされている。 子宮卵管造影検査は,月経終了後の卵胞期に実施し,膣,頸管,子宮に炎症の ないことを確かめた上で実施するとされている。ただし,頸管部分にクラミジアや 一般細菌に感染している場合,それらが上行感染を助長する危険性があるため,初 診時に頸管部の細菌学的な検査をし,もし陽性なら検査に先立ち治療をする必要が あるとの見解もある。3 争点・について
・ 原告は,本件検査当時,急性期のクラミジア感染症に罹患していたと主張するが,前示1の・のとおり,原告が,被告医院初診時に記載した問診票には,下腹痛,おりもの,不正出血の項目に丸印がつけられているものの,カルテには主訴として児希望と記載されているのみであり,その当時,下腹痛,熱発等の急性感染症をうかがわせる炎症症状はみられないから,女性のクラミジア感染症は症状が乏しいこと(前示2の・のイ)を考慮しても,上記のような事情から原告が急性期のクラミジア感染症であったと結論づけることは難しい。内診所見では,卵管が硬く腫大していたが,これだけで急性期の所見と認めることはできず,そのほかに膣部周辺,頸管に炎症所見は見られなかった。加えて,問診票から,原告の不妊期間が少なくとも7年前後と長
かったこと,かつて卵管や卵巣がはれていると言われたことがあることなどが読みとれるが,このことは,既に腹腔内癒着や卵管の障害が形成されていたことをうかがわせる。また,初診時における血清クラミジア抗体検査の結果,IgA抗体は陽性であったが,前示2の・のウのとおり,IgA抗体が陽性であったことから直ちにクラミジア感染症に罹患している(急性期にある)と結論づけることもできず,その他の症状,所見から判断すべきである。
 したがって,原告が被告医院を初めて受診した時点の検査結果,所見,症状を総合的にみれば,原告が急性期のクラミジア感染症に罹患していたと認めることはできないものといわざるを得ない。
 なお,前示1の・ないし・,・,・及び・のとおり,原告は,少なくとも20歳ないし21歳のころ,妊娠6か月で人工中絶し,10日間程度入院したことからすると,その際,卵管に障害を残すような炎症を起こした可能性があること,平成2年には腹痛を訴えて国立医療センターを救急受診し,ダグラス窩に血性腹水,右附属器に嚢胞性腫瘤が認められたこと,平成4年には同じく腹痛等を訴え同病院を救急受診し,当初は虫垂炎が疑われたものの,その後虫垂炎は否定的と診断され,婦人科を受診してダグラス窩に嚢腫状腫瘤,右附属器に嚢胞性腫瘤が認められ,卵管留膿腫も考えられる状態であり,IgA抗体,IgG抗体がやや強い陽性を示し,カンジダも陽性で,クラミジア感染症に有効な抗生剤の投与を1クール受けたこと,平成5年にも似
たような症状で同病院を救急受診したこと,同年から翌平成6年にかけて慶應病院を不妊治療のため受診した際,クラミジアの培養検査では陰性であったが(血清クラミジア抗体検査は実施された形跡がなく,IgA抗体が陰性化したことは確認されていない。),カンジダ培養が陽性であったこと,本件検査後に入院した慈恵医大柏病院でのクラミジア抗原検査(DNA検査)では陰性であったが(原告は,培養検査の結果陽性であったと主張するが,これが陰性であったことは検査結果から明らかである。),血清クラミジア抗体検査ではIgA抗体,IgG抗体がいずれも陽性であったこと,慈恵医大柏病院の医師はクラミジアその他の混合感染が考えられると述べたことなどが認められる。また,前示1の・のとおり,本件検査の際のレントゲン写真か
ら,原告の卵管に通過性障害があり,卵管留水腫もしくは留膿腫の状態であったことが認められる(乙2,16の1及び2,被告a本人,鑑定)。以上のような点を総合すると,原告は,被告医院を受診する以前に既に数度にわたり骨盤内感染症様の症状を示し,卵管の障害が形成されていたことがうかがわれ,その原因として,クラミジア感染,他の一般細菌感染又はこれらの混合感染が考えられるものの,これらは,原告が被告医院を受診した時点で急性期クラミジア感染症の所見があったことを裏付けるものではない。
 ところで,被告aは,本件検査の際,原告がクラミジア感染症であったことを知らなかった旨供述しており,原告も,クラミジア感染の既往については被告医院において申告しなかったものであるところ,前示1の・のとおり,初診時に血清クラミジア抗体検査を実施し,その結果は住友金属から平成9年11月7日に被告医院にあてて発送されているから,被告aがその結果を確認することは不可能ではなかったというべきである。しかし,被告aがその結果を確認しようとした事実は認められない。
・ そこで次に,本件検査の適否について判断する。
 前示2の・のとおり,子宮卵管造影検査は卵管の疎通性,子宮内腔の状態を知るために実施される診断的価値の高い検査であり,女性不妊の原因を探り,その治療を実施するための前提となる重要な検査である。女性不妊症の原因にはさまざまなものが考えられるが,クラミジア感染症の既往のある場合,すなわちクラミジア抗体検査が陽性の場合には,卵管の通過性に障害があることが考えられ,これを裏付けるためには子宮卵管造影検査が必要不可欠である。したがって抗体陽性者には直ちに子宮卵管造影検査をすべきであるとの見解が有力であり(鑑定),同検査の必要性は高いというべきである。
 ところで,頸管部分がクラミジア,淋菌,その他一般細菌に感染している場合,子宮卵管造影検査のように子宮内膜や卵管へ影響の及ぶ検査を実施すると,それらの上行感染を助長する可能性があるため,頸管部の細菌学的な検査を行い,その結果が陽性なら検査に先立ち治療をするといわれており(甲13),同検査は,炎症のないことを確認のうえ実施すべき(甲14)とされている。しかしながら,そのことから直ちにIgA抗体が陰性化するまで検査を実施してはならないということにはならない。前示2の・のウのとおり,IgA抗体はクラミジア感染症が消失しても年余にわたり陰性化しない場合があり,抗体検査は確定診断にはならず,治療判定にも適さないといわれているのであって,むしろ,内診所見,血液一般検査結果などを総合して
感染ないし炎症の有無を判断し,これが認められる場合には検査に先立ち治療が必要というべきであるが,そうでなければ,早期に同検査を実施することが一般的(鑑定)というべきであって,同検査は禁忌ではないというべきである。
 また,クラミジア抗体陽性者については,子宮卵管造影検査の後,二次的なクラミジアによる骨盤内感染症の起こりうることが指摘されており,そのため,頸管の細菌学的検査で陰性であっても投薬治療することの必要を感じさせるとする見解がある(甲17)。しかし,これは,クラミジア感染症による炎症は,卵管周囲の癒着や附属器腫瘤を形成するなど卵管の通過性に障害を残すことがあり,このため不妊症の原因となり得ることを前提に,その後の治療成績の向上を考慮しての指摘と考えられ,禁忌としているものではないと考えられる。しかも,この見解は,卵管の通過性に障害を残すような炎症症状は不妊患者として婦人科に来るよりもずっと以前に発生しており,また,その症状も軽いか,無症状ですらあるものが多く,すでに器質的な障害
をきたしており慢性となっている患者にクラミジアに対する有効な薬剤を投与することで卵管の通過性の回復を期待することは困難と思われるとも指摘しているのである。
 そうすると,被告aが抗体検査の結果を確認せず,また,クラミジア感染の治療をしないままに本件検査を実施したとしても,原告については,既に本件検査の数年前から附属器腫瘤が認められていた上,被告医院における所見,検査結果,症状からはクラミジアその他の感染は認められなかったのであるから,本件検査の実施は適切であったというべきである。なお,被告医院においては,クラミジアの抗原検査や核酸検出法などの検査は行われなかったが,初診時の所見で急性期クラミジア感染症の所見がみられなかったために実施されなかったものと考えられるから,そのことに問題があるとはいえない。
 また,後述4のとおり,原告に本件検査を実施したことにより,原告の将来の妊娠可能性に致命的な打撃を与えるような症状を引き起こしたとは認められないことに照らしても,本件検査自体が許されないものではなかったというべきである。4 争点・について
 以上によれば,被告aが本件検査を実施したことは適切であったというべきであるが,念のため,本件検査が原告の将来の妊娠の可能性に影響を及ぼしたものかどうかについて判断する。
・ 前示1の・ないし・のとおり,原告は,本件検査の後,短時間のうちに腹痛症状が現れ,当初は我慢できる痛みであったものの,その後痛みに我慢できなくなり,慈恵医大柏病院を受診し,座薬によりいったんは落ち着き帰宅したが,翌朝再び痛みに我慢ができなくなって入院するに至り,入院時の諸検査の結果,炎症反応がみられたものである。したがって,本件検査がきっかけとなって腹部に炎症が発生したものというべきである。
 そして,本件検査の際のレントゲン写真において両側卵管の閉塞が確認されたこと,慈恵医大柏病院における卵管切除等の手術の際,両側卵管留膿腫及び左卵巣嚢腫と診断されたこと,被告医院初診時及び慈恵医大柏病院入院中の血清クラミジア抗体検査においてはIgA抗体が陽性であり,同病院でのクラミジアDNA検査においては陰性であったこと,同病院の医師から繰り返し混合感染の可能性を指摘されたことなどを考慮すると,本件検査の後,卵管留膿腫もしくは卵管留水腫が卵管采側に開口し,卵管留膿腫もしくは留水腫の内容液が腹腔内に漏出し,卵管周辺,卵管采とその周辺に炎症が起きた可能性が考えられる(鑑定)。痛みの原因としては,造影剤の刺激,クラミジア感染,クラミジア以外の細菌感染又はこれらの混合感染の発症が考え
られるが(鑑定),薬剤刺激など非感染性の炎症と感染性の炎症との識別も,卵管留膿腫と留水腫の識別も容易ではなく(鑑定,前示2の・),同一の画像であっても卵管留膿腫と診断したり同留水腫と判断したりすることがあることなどから,断定はできないといわざるを得ない。
・ しかしながら,前示1の・ないし・のとおり,原告は,慈恵医大柏病院に入院後,手術までの間に症状は軽快しており,外出や外泊も可能な状態であったと認められること,卵管切除術については,炎症が治まり症状が軽快すれば退院すべきという考え方と,手術をした方がよいとの考え方があること,原告に対しては,クラミジアその他の細菌感染が増幅する危険や将来妊娠した場合に子宮外妊娠などの危険があることを考慮して手術に踏み切ったものであり,そのことは原告も同病院の医師から説明を受け納得した様子をみせたこと,摘出された卵巣嚢腫は黄体嚢胞であり,卵巣そのものの組織を摘出したものではなく,また,子宮も摘出する必要があったとは認められず,かえって,そのような原告の発言を医師に否定されたことなどからすると,両
側卵管切除術及び左卵巣嚢腫摘出術は,本件検査の必然的結果であったとは到底いい難い。
 また,前示のとおり,原告は,被告医院を受診する数年前から,たびたび骨盤内感染症様の症状により救急受診などを繰り返し,嚢胞性腫瘤が指摘され,卵管留膿腫も考えられる状態であり,クラミジア,カンジダなどの感染も認められたこと,不妊期間が長いこと,本件検査の際のレントゲン写真で両側卵管留水腫もしくは同留膿腫が認められたこと,本件検査から慈恵医大柏病院での手術までわずか17日前後であり,その間,超音波検査所見などにほどんど変化が見られなかったことなどからすると,慈恵医大柏病院での手術の際に確認された両側卵管留膿腫や左卵巣嚢腫は,本件検査によって形成されたものではなく,以前から既に形成されていた可能性が高く,したがって,原告の妊娠の可能性についても本件検査以前に極めて低い状況にあった
(鑑定)というべきである。また,本件検査によって,ホルモンや卵子に影響が出たことを認めるに足りる証拠はない。
・ したがって,本件検査の実施により原告の将来の妊娠の可能性が低くなったとする原告の主張は採用することができない。
第4 結論
 以上の次第で,被告aの原告に対する検査,治療は適切であったというべきであって,被告らにつき債務不履行上又は不法行為上の過失があったとは認められず,原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。
千葉地方裁判所松戸支部民事部
 裁判長裁判官 村 田 長 生
裁判官 佐 藤 洋 幸
裁判官 浅 岡 千香子
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