主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
(原告)
被告が昭和四三年五月一五日付をもつて原告の昭和四〇年度分所得税について、総農業所得額を金一、〇九一、五〇〇円、所得税額を金一三〇、五〇〇円、過少申告加算税を金五、八〇〇円とした更正処分はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
(被告)
主文と同旨。
第二、当事者の主張
(原告の請求の原因)
一、原告は農業を営む者であるが昭和四〇年分の原告の農業所得金額は四六七、五〇〇円、課税所得金額は一五三、九〇〇円、所得税額は一三、二〇〇円であつたので、昭和四一年三月一五日被告に対しその旨の確定申告をしたところ、被告は原告の右所得に原告の六男A、八男Bの各所得を加えたものが原告の所得であるとしてその所得額を一、三〇〇、九〇〇円、所得税額一三七、六〇〇円(うち過少申告加算税六、五五〇円)と更正した。原告は昭和四一年五月一五日頃右更正の通知を受けたが不服であつたので同年六月一七日被告に対し異議申立をしたところ被告は右申立を棄却し、原告は同年九月一八日頃右申立棄却の通知を受けた。原告は右処分に不服であつたのでさらに同年九月二六日金沢国税局長に対し審査請求をしたが右請求は棄却され、昭和四二年四月八日頃原告はその旨の通知を受けた。昭和四三年五月一五日頃、被告は税額の計算などに誤謬があつたとして、所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円と更正し、その旨原告に通知した。
二、よつて、原告は、被告がA、同Bの各所得をも原告の所得として課税した昭和四〇年度分所得の更正処分は不当であるからその取消を求める。
(請求原因に対する被告の答弁および主張)
一 請求原因一の事実は認める。
但し、昭和四一年五月一五日頃なした所得金額の更正額は一、二〇四、〇〇〇円、右の税額は一四四、二五〇円、過少申告加算税は六、五五〇円である。二、被告が原告に対して昭和四三年五月一五日に更正した昭和四〇年分の所得額一、〇九一、五〇〇円は次に述べるとおりすべて原告に帰属するものでありA、同Bに帰属するものではない。
ところで昭和四〇年における原告方の家族構成は別表(一)のとおりであり、同年における原告方の耕作面積は別表(二)のとおりである。原告はA、Bがそれぞれ独立の農業経営主体である旨主張するがA、Bらはいずれも有無相助けて原告と生活の資を共通にしている同一世帯内の家族員にすぎず、原告はその家族員に対する監督ならびに家庭生活全般に対して統括すべき責任ある地位にあり、そのうえ経済面にあつても原告方の生計の主宰者であつた。従つて原告が農業の全般に対してこれを主宰し農業経営の方針決定をなし、現実に農業に関する収支計算の主体としてその経営を担当していたものであり、A、Bらは原告の経営する農業に従事していたものである。なお原告はA、BがCの農業を引き継いだ旨主張するが、実質的に引き継いだのは原告である。以上は次の事実からも明らかである。
(1) 原告は住民登録上の世帯主でありA、Bはその同一世帯員として原告と起居を共にし、炊事設備も一にして生活上、事業上の物資購入も区別しておらずすべて原告の預金通帳、購入通帳で決済されていることなど生活を一にしている。従つて原告所在の舟橋部落の区長や近傍村民らはいずれも原告のみを耕作者として、また世帯主として扱い、昭和四〇年度の万雑費(農村における世帯単位の交際費、都会におけるいわゆる町会費に当る)も原告のみを対象として徴収しており、A、Bは原告と同一世帯員として扱つている。
なお原告はA、BがCの農業を引き継いだ旨主張するが、仮に引き継いだとしても、A、Bは原告と生計を一にする世帯員であるから、同居親族の一員が他から耕作の引き継ぎをなしたとしても、その農業世帯の主宰者としてその農業経営に支配的影響力を有する者が原告である以上は、原告を農業経営者として認めるものであつて、従つて原告が実質的な引き継ぎ者となるものといわなければならない。このような考えはひとり税法のみならず農業の基本法である農地法においても「世帯」を中心として処理してゆくこと(農地法二条参照)によつても明らかである。(2) A、Bは各自農機具を所有せず、また昭和四〇年中には農業協同組合員でもなく、組合に出資もしていない。原告のみが五一口の出資をしている。原告方には馬一頭、耕耘機一台、原動機二台、籾摺機一台、脱穀機一台、乾燥機一台、リヤカー三台等の農機具があるがA、Bの所有ではない。
(3) 耕作名義、米穀売渡名義はA、B名義でなされているものもあるが、これらは単に形式上にすぎず本人の申告により容易に変更できる。
昭和四〇年当時にはBの耕作名義はなかつた。(なお、昭和四一年七月五日に至つてはじめてC名義の農地に賃借権を設定してA、Bの耕作名義にした。)(4) 農協預金は、A、B名義の口座があるけれども、同一家族員であれば自由に預金の引き出しができ、本件ではその使途につきいずれも原告にのみ支配管理されている。
(5) 肥料、農薬その他の資材買付も原告の名義でなされている。(6) その他農業に関する資金の調達、その他営業の方針決定について原告が支配している。
(7) 昭和四〇年当時、Aは二六才の独身、Bは一八才の独身の未成年者であり、いずれも農業を営むに十分な資質、経験を有しない。
Aは昭和四〇年当時、売薬業者であるDの使用人として一年のうち半年間は静岡県下に居住して行商に従事していたものであるから一年の半ばを富山県に居住せず、不在で、しかも世帯もまだ持つていない独身の若年者なのであるから、農業の経営者というものではなく、実体は父である原告の農業の手伝いをしていたものと見るのが社会通念に合致する。
仮にAが農業の経営者であるとすれば、原告とは別個に所得の確定申告をした際、Aは当時松井薬品商会よりの一二六、四〇〇円の給与所得があつたのであるから、当然右申告に合算して申告すべきはずであつたのに何ら右給与に関し申告がない。Bは昭和四〇年三月に上市高等学校薬業科を卒業後、同年六月まで大阪の薬品会社に勤務していたものであり、また未成年者であるから民法上も親権者たる両親の保護の下に生活し、親権者の同意を得ない法律行為をしても取消される状態にあつたものであるから単独で有効な法律行為をなし得ない者を農業の主宰者、経営者と見ることは一般の社会通念からみても とうてい肯認し得ない。
以上の各事実を総合すれば、被告が、原告が原告方の生計を主宰し、農業経営主体であると認定し、実質所得者課税の原則により、その農業所得がすべて原告に帰属するものとして課税した本件処分は適法である。
三、原告は所得税法(本件係争年当時のもの、以下同じ)一四三条に規定する青色申告書を提出せず、しかも農業所得に関する収支が必ずしも明瞭に記載されておらず農業所得計算上必要な収入および必要経費を明らかにすべき農業帳簿が完備されていないので正確な農業所得の把握ができないところから、所得税法一五六条に基づき「田畑所得標準表」を用いて推計した。
右の標準表とは金沢国税局において北陸三県管内における農業所得の収入と経費がおおむね中庸と認められる基準町村を選定して反当りの所得を調査し、そのうえ北陸三県の農業団体たる農業協同組合中央会の意見を徴して決定したものを参考とし、被告税務署長が管内の農業所得につき調査して農業団体等の意見を徴したうえ決定したものであつて適用地域の課税対象農家もほとんど右標準表によつて自ら確定申告をなしている実状にあり、精度のきわめて高い実態を反映するものといえる。
そこで被告税務署長は原告の実際の耕作面積を調べたところ別表(二)のとおりであつたから、以上により原告の農業所得、専従者控除による差し引き所得金額を計算すると別表(三)のとおりそれぞれ金一、四九三、〇〇〇円、金一、一五五、五〇〇円となる。
従つて、被告が、原告の農業所得額、一、四二九、〇〇〇円、妻E、A、Bの専従者控除による差し引き所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円としてなした本件処分は、原告の前記所得額の範囲内においてなされたものであるから正当である。
四、なお、原告主張事実はすべて争う。
(被告の主張に対する原告の答弁および主張)
一、被告の主張二の事実は否認する。
被告主張の原告方の家族構成の点は認める。但し、A、Bは原告とは世帯を別にするものである。
耕作面積は否認する。またA、C名義の土地については原告は耕作していない。同(1)、(2)の事実は否認する。
同(3)のうち、昭和四〇年当時Bに耕作名義がなかつたことは認めるが、Bは当時現実に耕作していたものである。
同(5)のうち、農薬の買付が原告名義でなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。
同(6)の事実は否認する。
同(7)のうち、A、Bの年令および独身であること、Bが昭和四〇年三月に上市高校薬業科を卒業後、同年六月まで大阪の薬品会社に勤務していたことは認めるが、Aは農閑期にのみ売薬行商に出ていたものである。
なお、Aが給与所得の申告をしなかつたとしても原告には何ら関係ないことである。
二、同三の事実中、仮に原告が昭和四〇年にA、Bの土地をも耕作したとすれば原告の農業所得一、四二九、〇〇〇円、差し引き所得一、〇九一、五〇〇円となることは認め、農業所得の計算につき被告主張の標準表に基づいて計算することは争わないが、別表(二)の耕作面積については否認する。
三、A、Bは原告とは別個のそれぞれ独立した農業経営主体である。原告の昭和四〇年の耕作面積は田二町一反、畑二畝であり、これは昭和三九年と同一であるが同年分の所得税は六、八〇〇円であつた。なお昭和四〇年に原告がA、Bの土地をも耕作していたとすれば農業所得一、四二九、〇〇〇円、専従者控除による差し引き所得は一、〇九一、五〇〇円となることは認めるが、A、Bは以下に述べるとおり原告とは世帯を別にするそれぞれ独立した農業経営者である。(1) 原告の長男Cは原告とは別個に農業を経営していたが、健康上の理由で農業を営むことができなくなつたため、同人が耕作していた土地をAとBに耕作させることに当事者間の話し合いで決つた。
Aは昭和三九年から独立して田約四反六畝を耕作してきており、農閑期には売薬行商に出ていたが、昭和四〇年にはCが耕作していた田をも合わせて耕作するようになり、同人らは同年五月二日、暫定的に右事項の契約書を取りかわした。Bは同年六月まで大阪で勤務していたが、その後Cの農業を引き継ぐため、富出に戻り、農業を営むようになつた。同年七月四日にはCとの間に暫定的に契約書が取りかわされ、昭和四一年七月五日には農業委員会から耕作権設定が認められた。Aは昭和四〇年当時二六才の独身ではあるが、すでに昭和三九年には保有米のほかに三〇俵の供出米を出すなど、またBは一八才の独身ではあるが、経験は浅いとはいえ、農家に育つた青年であり早くから原告らの農業の手伝いをしており、農業に関する知識も十分にあり、共に独立して農業を営む資質は十分ある。(2) A、BはCの農業を引き継いだ際、その農機具等もCから借り受け、従つて同人らは原告所有の農機具を使用していない。その管理も各自が行い、修理代金等も各自が支払つている。Bは昭和四〇年八月に動力結束稲刈機を購入して以後それを使用している。
肥料、農業用資材、供出用米叺等それぞれ原告とは別個に購入して別個に使用し、それぞれの通帳で決済されている。但し 農薬だけは共同で買い入れ原告の通帳で決済し、後に決算している。
資金の調達もそれぞれが行い、Aらの資金調達に原告は何らかかわりない。Aは昭和四〇年三月に政府から農地取得金四〇万円を、Bは、同年七月政府から米穀売渡しの前借りとして金八三 〇〇〇円をそれぞれ借りている。
収穫物の売却も各自で行つている。昭和四〇年の政府売渡し米は原告一六〇俵、A六八俵、B八三俵であり各自が代金を受け取つている。
組合への出資は原告五一口、Bは元、出資一口を有していたが一世帯一人ということで名簿から削られた。しかし昭和四〇年原告とは別世帯であることが認められて出資者名簿に載せられた。その後Cが有していた組合出資をA、Bが譲り受け昭和四一年二月一五日その手続をなした。
農協預金等は各自の名義のものを各自が有し、これらは同一家族員であつても本人に無断で勝手に処分できないものである。農業共済水稲掛金等も別個に行つている。
(3) A、Bは昭和四〇年当時原告と同一家屋に居住していたが(後Aは結婚して原告とは別家屋に住むようになり、Bも家屋を新築してそこに住むようになつた。)それぞれ別世帯であり、一般生活上も事実上も何ら原告の支配下にあるものではない。寄付金等もそれぞれ別個に出すし、祭礼等には各自が各自の来客の接待をし万雑費もそれぞれ別個に出している。但し、昭和四〇年度の万雑費は原告が一括して支払い、後に精算した。炊事設備は共同で使用するが、保有米は各自が有し、燃料費、電気代、肴代等も各自が負担し、その他生活上の物資購入もそれぞれの通帳で行われている。
(4) 昭和四〇年分の所得税についてもA、Bらに申告用紙を原告とは別個に送つてきており、Aらはそれぞれ納税している。
以上のとおりA、Bはいずれも原告とは世帯を別にし、それぞれ独立した農業経営者である。
第三、証拠(省略)
理由
一、請求原因第一項の事実については当事者間に争いがない。もつとも、成立に争いのない乙第一号証(昭和四三年五月一五日付再更正決議書)によると、被告が昭和四一年五月一一日になした更正決定の際の更正額は、所得金額一、二〇四、〇〇〇円、所得税額一四四、二五〇円、過少申告加算税六、五五〇円であつたことが認められる。
二、ところで、原告は、原告の六男A、八男Bが、それぞれ独立の農業経営主体であるにもかかわらず、原告の昭和四〇年分所得に右A、B両名の各所得を加算の上、これに対して課税したことは違法である旨主張するので、以下この点につき検討する。
成立に争いのない乙第四号証の一、第五号証、第九号証、第一一、第一二号証、第一六号証、第二二号証の一、二、第二三ないし第二七号証、第二九、第三〇号証、証人Fの証言により真正に成立したと認める甲第六号証の一〇、乙第七、八号証、証人C、同Bの各証言により真正に成立したと認める甲第六号証の一八、証人C、同Aの各証言により真正に成立したと認める甲第六号証の一九、証人G、同Hの各証言により真正に成立したと認める乙第一五号証に、証人G、同F、同I、同C、同A、同B、同J、同Hの各証言を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(一) 原告の長男Cは、自己所有名義の農地一町三反八畝二一歩を有し、従前から原告とは別に舟橋村<以下略>に世帯を構え、生計も完全に分離し、全く独立の経営主体として農業を営んでおり、従つて昭和三九年までは課税も別個になされていたが、C夫婦の健康上の理由から、昭和四〇年六月、田の植付の終つた後、Cが富山市内の製糖会社に入社すると同時に同市内に居宅を移し、農業を廃業した。(二) しかして、六男Aは東京の松井薬品商会に籍を置いて、売薬行商の仕事に従事し、昭和四〇年中に金一二六、四〇〇円の給与所得を得ており、そのため年間一五〇日前後は富山県内に居住しておらず、農業に専念できるような状態ではなかつた。一方、八男Bもまた同年三月、上市高校薬業科卒業と同時に大阪の藤沢薬品株式会社に入社して原告世帯から転出し、大阪市内に居住していた。そこで、Cは弟Bに対し、舟橋村に帰つて農業に従事してほしい旨再三にわたつて交渉したが同人は快くこれを承諾しなかつたので、原告が、前記会社に赴き直接Bに対し農業に従事するよう説得したところ、同人も農業に従事する決意をし、同年六月二〇日付で前記会社を退職して帰村し、兄Cが植付を終つた田畑を引継ぎ原告および売薬行商の合い間に帰省するAらと共同して耕作することになつた。しかし、昭和四〇年当時は、CとA、Bとの間においてC所有の農地につき、農地法三条による使用貸借または賃貸借契約が設定されていなかつた。またA、Bは単独で農機具を所有していなかつたし、原告方に作業場は一つしかなく、原告およびA、Bの三名が原告またはCの農機具、作業場等をすべて共用していたものである。そして右両名がC所有の農地につき富山県知事より農地法三条による賃借権設定の許可を受けたのは翌四一年七月五日(申請は同年六月二〇日)である。
(三) ところで、昭和四〇年当時、Aは二六才の独身者であり、原告居宅と別個に自己の居宅を有していたわけではなく、翌四一年六月結婚により新居を構えるまで、売薬行商から帰つてきた時の生活の本拠は舟橋村所在の原告方であり、原告らと起居、生計をともにしていたし、Bも同年三月高校を卒業したばかりの一八才の独身者であつて、前記のような経緯で舟橋村に帰り、農業に従事するようになつてから、翌四一年暮B自身の居宅を新築するまで、原告らと同一家屋に居住して起居を共にし、原告と生計を一にしていた。
(四) また、昭和四〇年当時の原告方の住民登録によると、Aは世帯主原告と同一世帯になつており、Bは同年三月大阪に転出した後昭和四一年一月二五日原告の世帯に転入するまで、大阪に住民登録がされたままになつている。しかし、前記のとおり、Bは昭和四〇年六月末頃から引続き原告方に同居しているので、同年一〇月一日の国勢調査の際には、原告を世帯主とする原告世帯の家族構成は、原告のほか、その妻E、六男A、三女K、八男Bの五人とされていた。
(五) 右のような家族関係のため、原告らの居住する舟橋村の区長および付近住民らは、当時、A、B両名については原告の世帯員として取扱つていた。例えば、部落の万雑費(農村において世帯単位で徴収される雑費)についても原告のみからこれを徴収し、昭和四〇年分万雑費のうち、各戸の耕作反別に従つて課される分については、原告に対し四町三畝一九歩の耕作反別(但し、生産組合の反別帳による。C所有名義の分を含む。土地台帳による耕作面積は四町九反三畝歩。)があるものとして賦課し、A、B両名からは耕作反別割の分はもとより各戸平均割の分についても一切万雑費を徴収していなかつた。
(六) また、舟橋村農業協同組合(以下農協と略称する)では、農家を組合員、非農家を準組合員とし、組合員としての出資関係については、一世帯一株主という方針をとつていたが、昭和四〇年一二月現在、原告方で農協の組合員資格を有するのは原告のみであり、原告は五一口(二五、五〇〇円)を出資していたが、A、Bは出資分がなく、組合員資格もなかつたので購買関係の口座も設定されていなかつた。従つて、肥料、農業資材の買付けは全部原告の購買通帳、農協預金により決済されていた。右両名は翌四一年二月一五日に至り、始めて従前Cが農協に出資していた五五口(二七、五〇〇円)の持分のうち、Aにおいて二〇口(一〇、〇〇〇円)、Bにおいて二五口(一二、五〇〇円)を譲り受けて組合員資格を取得したものである。
以上の各事実が認められ、証人C、同A、同Bの各証言並びに甲第三号証の三、四、第六号証の一三、二二、第二四号証の一のうち、右認定に反する供述並びに記載の部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できないし、右親子、兄弟間で取交されている甲第六号証の一六、一七、二四、二五の書面も本件係争後に作成されたものと窺われるからにわかに信用できない。
以上認定の各事実を総合すると、昭和四〇年当時、A、Bは、いずれも原告と生計を一にする同一世帯内の家族員にすぎなかつたというべきであるから、同人らがそれぞれ独立した農業経営主体であつたとは認められない。右認定に反し、原告とA、Bは同一家屋に居住していても世帯は別であり、従つて三人はそれぞれ別個独立の農業経営主体であつたとする原告主張の事実に副う原告本人の供述は、前記認定に供した各資料に照らしてたやすく措信できず、その他右認定を覆えすに足る的確な証拠はない。
もつとも、前掲各証拠および証人Fの証言により真正に成立したと認める乙第八号証ならびに原告本人尋問の結果によると、昭和四〇年分の供米の予約は、原告方では原告、A、Bの三名の名義でなされていること、農協には右三名の普通預金口座があり、各人の供米代金は、それぞれ各普通預金口座に振込まれていること、昭和四〇年分の所得税について、被告から原告のみならずA、Bらに別個に所得税の申告書用紙が送付されてきたことが認められるが、前掲各証拠によれば、供米予約は本人の自由な申告に委されているものであつて、容易に名義を変更でき、これを受け付ける農協では本人の耕作権の有無等を特に調査したりなどしていなかつたこと、また、農協預金は部落住民が互いに顔見知りであるため、同一家族員であれば、他人名義の預金でも通帳の呈示により簡単に払戻しうる取扱いになつており、原告は自己の印鑑を使用してA、B名義の預金に振込まれた供米代金を自由に払戻したり、A名義で借受けた農地取得資金の償還に充て、これを運用していたこと、さらに所得税の申告書用紙は本人から税務署に請求があれば誰にでも送付する建て前になつていることが認められる。従つて、右各事実はいずれも前記認定を左右する理由とはならない。
四、そこで、原告世帯における農業経営の主宰者すなわち原告らの農業所得の実質的帰属主体について検討する。
親子間における農業について、その事業主が誰であるかを判定するには、実質課税の原則に従い、農地の所有または耕作名義、米穀の売渡名義いかんにかかわらず、両者の職業、年令、知識経験の程度、農耕能力、農業資材の有無、耕地所有権または耕作権の所在等を総合勘案して、その農業の経営方針の決定等につき支配的影響力を有し、事業収益を実質的に支配享受していると認められる者が、当該農業の事業主に該当するものと解すべきところ、これを本件についてみるに、前記認定のとおり本件係争年度当時、Aは二六才で、売薬行商のため、年間半分近くは原告方に居住していず、従つて農業経営の方針決定等をなすには困難な状態にあること、また、Bは当時一八才で、高校卒業後直ちに就職し僅か三ヶ月で帰郷したばかりであつて、従来から原告の農作業の手助けをしていたが、農業経営全般にわたる方針決定等をなしうるまでの知識経験を有していなかつたものと認められる。これに対し、原告は、当時六〇才をすぎたばかりで農作業に十分従事でき、長年の農業経験から的確な農業の基本方針を決定しえたであろうことおよび原告が生計の主宰者であつたことを併せ考えると、原告は農業全般についてこれを主宰し、農業経営の方針を決定し、現実に農業に関する収支計算の主体としてその経営を担当し利益を支配享受していたものであり、A、Bらは単に原告の経営する農業に家族として協力し補助的に従事していたものと認めるべきである。
五、そうすると、原告は昭和四〇年当時、従来原告が耕作していた農地のほか、Cが耕作していた農地の耕作をも同人から引き継ぎ、台帳面積合計四町九反三畝歩をA、Bおよび妻Eら家族とともに耕作していたものというべきであるから、同年中の原告の農業所得には、A、Bが得た農業所得をも加算すべきものというべきである。右のとおりこれを加算すると、原告の農業所得金額が一、四二九、〇〇〇円、妻E、A、Bの専従者控除後の課税所得金額が一、〇九一、五〇〇円となること、しかるに原告が係争年度の確定申告に際し、これを分離し農業所得金額四六七、五〇〇円、課税所得金額一五三、九〇〇円、所得税額一三、二〇〇円と申告したことは当事者間に争いがない。してみると、被告が昭和四三年五月一五日原告に対し、昭和四〇年分所得税として、右所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円と再更正決定したのは相当であつて何らの違法はない。
以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 土田 勇 大橋英夫 佐野久美子)
(別表(一)~(三)省略)
判例本文

この判例ページのURL

LINEで送る
Pocket